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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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大阪地裁判決の実態
 大阪地裁で行われた「沖縄戦の集団自決を巡る“名誉棄損訴訟”裁判」。以下の原告側弁護人である徳永信一弁護士の発言が全てを語っている。

『…徳永信一弁護士は「軍が関与したという事実をもって、隊長2人が自決を命令したという名誉棄損表現を免責するのは論理の飛躍だ。裁判所は逃げたという思いを禁じ得ない」と述べた。』(“asahi.com”より)

 それにしても“朝日”の論考にはおかしなところが数多い。例えば冒頭の論説。
 「軍の関与」“深く”関与」と何気なく強調し、さらに「集団自決の背景に“軍の存在があった”ことを“明確に認めた”“すり替え”“レトリック”を利用して“論理を飛躍”させている。何時ものことではあるけれども、呆れてものが言えなくなる。“アサヒる”癖は今も健在のようだ。もしかしたら本人も分かっていないのかもしれない。もし分かって書いているとしたら相当な確信犯だ。とても“公正な言論機関”とはいえない。特定の政治的思想・信条を持った“プロパガンダ機関”である。

 ―それから、大江さん。原告は「軍の関与」など問題にしていませんよ。あなたが“嘘をついて金儲けをしているのだから謝れ”といっているだけですよ。それを「軍の関与」があったと裁判所が認めたからといって“私は正しかった”などと、よく臆面もなく記者の前で話せますねぇ。そういう人を日本人の良識では“恥知らず”というのですよ。そもそも“軍の関与”ばかりではなく“村長も助役も防衛隊員、そして村民も関与”していたでしょうし、“アメリカ軍も関与”していたのは自明の理です。ことさら“(日本)軍の関与”を強調させることもないでしょうに。それに“関与”“強制”は別の言葉ですよ。それを“すり替え”て使うのは止めて下さい。文学者ともあろう者が恥を知りなさい恥を。―
 
 と、愚痴の一つも言ってやりたくなる。“アサヒる報道機関”“ノーベル賞作家の大江氏”と大阪地裁の“深見敏正裁判官”に。

 ―それと「…太平洋戦争が始まった41年の春、故郷の愛媛県で国民学校(現在の小学校)に入学。軍国教育で「生きて虜囚の辱めを受けず」という訓示を受けた。…」と記事には書かれていますけれど、大江氏が相当に“私は頭がいい”と自ら自慢したいのか、記者が“読者をバカにしている”のかは分かりませんが、このような“印象操作”をしていると誤解されそうな記事はなるべく書かないようにした方が宜しいかと思いますよ。大江氏は確か1935年生まれ。大戦時は6~10歳の子供。そのような“子供の考えていたこと”を現代では余り信じることはいたしません。おそらく大江氏は相当に“素直なお子様”であったのでしょうから、日本の敗戦後のGHQの軍政下において行われていた“戦後民主主義教育”に毒されてしまうのも致し方ないことかもしれませんね。とはいえ“タテの構造への弱さ”等のような適切な日本人分析もできる方のようでもありますのでもう少し頑張って理性的な判断ができるように是非努力してみてください。このままでは“タテの構造への弱さ”を一番持っているのが大江氏だと勘違いされてしまいますよ。“朝日さん”に倣って言わせてもらえば“タテの構造への弱さ”とは“権威に阿る”ということでもありますし“選民思想の僕”“既得権益の擁護”“保身”も類義語だからであります。大江氏の言動を聞いていると、そしてそのような大江氏に屯する人たちを見ていると、“既得権益の擁護”“保身”に汲々としている人たちとしか私には思えません。是非ともノーベル賞作家でもある大江氏には『皇民教育』などという“矮小化(責任転嫁)された概念”にこだわることなくもっと“本質”を捉える努力をしてもらいたいものですねぇ。―

 と、愚痴の二つ目も言ってやりたくなってしまった。

 軍関与を司法明言 元隊長、悔しい表情 沖縄ノート判決
2008年03月28日13時16分

 集団自決は、旧日本軍が深く関与した――。岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐる28日の大阪地裁判決は、沖縄・渡嘉敷島の島民らの悲惨な集団自決の背景に軍の存在があったことを明確に認めた。体験を語り継いできた島民らは安堵(あんど)の表情を浮かべ、「歴史の改ざん」を許さなかった判決を評価した。「国民に死を命じるわけがない」と主張してきた元戦隊長らは原告席で、訴えを退けた裁判長を凝視した。

     ◇

 「軍と国の教育を背景に軍の強制があり、悲劇が引き起こされたと考えている。私の書物が主張していることをよく読み取ってもらえた」

 閉廷後の記者会見で、大江健三郎さん(73)は判決をこう評価した。「今回の判決で軍の関与は非常に強いものだったことが明らかになった。教科書に『関与』という言葉しかなくても、教師はその背後にある恐ろしい意味を子どもたちに教えることができる」

 大江さんはこの日、法廷で判決の言い渡しを聴いた。表情を変えずに聴き入り、最後に裁判長に一礼した。

 太平洋戦争が始まった41年の春、故郷の愛媛県で国民学校(現在の小学校)に入学。軍国教育で「生きて虜囚の辱めを受けず」という訓示を受けた。戦後、中学時代に施行された憲法の9条が、その後の人生の「原点」になった。

 「将来の日本人が、沖縄戦での悲劇をもう一度繰り返すことにならないか。1945年の経験がありながら、日本人はタテの構造への弱さを克服していないのではないか」。大江さんはそんな懸念を抱き、日米安保問題で揺れる70年に「沖縄ノート」を出版した。これまでの出版数は32万部を超える。

 戦後文学の旗手として平和と反核に根ざした文学活動を続け、94年にノーベル文学賞を受賞。戦後60年が近づく04年6月、哲学者の鶴見俊輔さんや作家の故・小田実さんらと「九条の会」を結成。平和憲法の大切さを各地で講演し、戦地イラクへの自衛隊派遣も続くなか、市民に輪を広げていった。そんな活動のさなか、訴訟が起きた。

 昨年11月の本人尋問では証言台に座り、自らつづった陳述書を手に、3時間にわたり質問に応じた。集団自決は、当時の沖縄の人々が「皇民化教育」を受け、捕虜になる「辱め」を軍が許さない中で、軍と住民の「タテの構造」において強いられたと主張。著作について「訂正する必要を認めない」と言い切った。

 判決前、大江さんは朝日新聞の取材に「判決にあたって」と題する手書きの回答文を寄せた。「口頭なり文書なりの命令があったかなかったかは、『集団自決』の結果を揺るがせはしない。日本軍の構造の全体が、島民たちにこの大量の死を強制した」と改めて考えを述べ、こう結んだ。

 「日本の近代化をつうじて行われた『皇民教育』のイデオロギー復活に道を切り開かぬように努力する。それが私の作家活動の、終生の目標です」

     ◇

 元座間味島戦隊長の梅沢裕さん(91)は、悔しそうな表情を浮かべ、判決を読み上げる深見敏正裁判長を原告席から見つめ続けた。閉廷後、代理人弁護士に「控訴して闘う」と話した。

 日中戦争が激化する1939年、中国北部の戦地へ。44年、米戦艦を「特攻艇」で攻撃する任務を帯び、沖縄本島西側にある座間味島の部隊を統括する戦隊長を命じられた。当時27歳。終戦5カ月前の45年3月、米の上陸作戦で部下は相次ぎ命を落とした。米軍が攻撃を強めるなか、約130人の住民は集団自決で命を絶ったとされる。

 戦後10余年がたったころ、住民に自決を命じた元隊長と週刊誌で報じられた。「ショックだった。お国のために必死で戦ったのに」。軍の命令とした「沖縄ノート」のほか、教科書も「軍の強制」と指摘するようになった。85年、沖縄ノートにも引用された住民らの証言集「沖縄戦記・鉄の暴風」を出版した沖縄タイムス社に訂正を申し入れたが、断られた。戦友らの勧めもあって戦後60年の夏、元渡嘉敷島戦隊長の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)とともに「名誉を回復したい」と提訴した。

 昨年11月の本人尋問で、集団自決は、米軍上陸前に沖縄知事や各町村幹部らが県民集会で決議し、座間味島の助役らを通じて出した「行政側の指令だ」と持論を展開した。証言台に座る大江さんに原告席から厳しい視線を投げかけ、大江さんへの不満を記者会見であらわにした。「国民に死んでくれ、などという兵はいるわけがない」

 今月8日、原告側の判決前集会が大阪市で開かれ、元軍人から大学生まで支援者ら約200人が集まった。梅沢さんは壇上に立ち、マイクを手に訴えた。「沖縄で戦った部隊ほど悲しく寂しい軍隊はない。私や赤松が『悪役』とされたから、(『軍の命令』ということで集団自決の)犠牲者側は遺族年金をもらい、沖縄も復興した。しかし、真実は一つなのです」

 判決後、梅沢さんと赤松秀一さんは会見場に姿を見せず、弁護団が会見。弁護士によると、原告の2人は判決後、「本当ですか」と驚き、落胆した様子だったという。

 徳永信一弁護士は「軍が関与したという事実をもって、隊長2人が自決を命令したという名誉棄損表現を免責するのは論理の飛躍だ。裁判所は逃げたという思いを禁じ得ない」と述べた。




参考;

“YOMIURI ONLINE”より

大江さん「主張読み取ってくれた」元少佐側は「控訴審ある」

 沖縄戦の集団自決を巡る名誉棄損訴訟で28日、旧日本軍が深くかかわったと認め、原告の訴えを退けた大阪地裁判決。

 被告のノーベル賞作家で『沖縄ノート』著者の大江健三郎さん(73)は「私の主張をよく読み取ってくれた」と静かに受け止め、自決を命じたと記述されたとして名誉回復を求めていた元少佐・梅沢裕さん(91)ら原告は落胆し、記者会見に姿を見せなかった。

 この日は渡嘉敷島で島民が集団自決してから63年となる「慰霊の日」。沖縄県民らも、重い歴史をかみしめ、判決を受け止めた。

 傍聴席が埋まった大阪地裁202号大法廷。午前10時、深見敏正裁判長が「原告の請求を棄却する」と主文を言い渡すと、被告席の大江さんは表情を変えることなく前方を見つめた。

 「沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯していた」「集団自決には軍が深くかかわったと認められる」……。

 中空を眺めるようにしながら、判決要旨の朗読に耳を傾け、閉廷後、裁判長に向かって深く一礼した。

 一方で、原告席の梅沢さんと赤松秀一さん(75)は厳しい表情を見せた。少し身を乗り出すようにして朗読を聞き、納得できないのか、閉廷後も梅沢さんはしばらく席に座り続けた。

 大江さんは判決後、約30分間、記者会見し、笑顔を交えて所感を述べた。主な一問一答は次の通り。

 ――判決への感想は

 「裁判長が沖縄ノートを正確に読んでくださったこと、それが最も強い感銘だった。教科書では『軍の関与』と記述されることになったが、教師はその恐ろしい意味を子どもたちに教えることができる」

 ――この裁判の意義をどう考えるか

 「裁判が起こされた背景には、政治的な大きな動きがあった。日本人が戦争で犠牲になるということを精神的、倫理的、道徳的にどう認識するのか、ということが問われていた」

 ――原告への思いは

 「もう一度沖縄ノートを読んでもらえれば個人的なひぼう中傷でないことがわかっていただけると思う」

          ◇

 原告側弁護団の徳永信一弁護士らは、原告らの悔しさを代弁した。

 ――判決後の、梅沢さん、赤松さんの様子は

 「『本当ですか』と落胆した表情を浮かべていた。赤松さんは『兄が命令を出していないということは裁判所も分かってくれたんですよね。でも、なぜ、負けたんですか』と、悔しそうだった。梅沢さんは『残念な判決だ。控訴審でも闘うから』と言い、支援者と握手をかわしていた」

 ――判決の内容をどう受け止めるか

 「『躊躇(ちゅうちょ)を覚える』との表現ではあるが、隊長命令を認めなかったことは評価できるが、長期間が経過しているから(裁判所の認定には限界がある)といった部分も含め、『裁判所は逃げたな』という印象だ」

(2008年3月28日15時37分 読売新聞)

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沖縄集団自決 | 【2008-03-30(Sun) 15:41:28】
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