プロフィール
写真;Mt.Fuji

あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
カテゴリー
ブログ内検索
最近の記事
最近+最近ではない記事
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
月別アーカイブ
記憶に残したい動画・他
鳥居民氏
 鳥居民氏の予言。当たらないことを願う。

2008年3月14日 産経新聞(Net View)より2008.03.14.sankei.06

「台湾人は遠い親戚(しんせき)の叔父や姪(めい)と会ったような懐かしい気持ちを胸に日本人を招じ入れる。日本人は遠く離れた故郷の昔なじみに再会したような喜びを感じて台湾人を迎える。」

「反日と侮日を説いて国民を扇動することは、それこそ興奮剤、栄養補給菓子を与える以上の効果があると信じる為政者がいれば、独裁の暴虐の歴史を覆い隠すためには日本がおこなった残虐さを児童に教え込むことが不可欠と考える指導者もいる。」

「 ところで、そのようなやり方を真似(まね)たいと望む政治家が台湾にも登場する恐れがある。22日の台湾総統選挙が近づいているのである。」

「台湾の政府与党、民進党は16日に100万人を動員するデモをおこなう予定だ。3年前の同じ3月に中国政府が定めた「反国家分裂法」に抗議するデモである。その6日あとに投票日が迫る。」

2008.03.14.sankei.07

「日本を誹謗(ひぼう)し、反日を宣伝することからはじめなければならない。」

「尖閣諸島の利用である。」

「北京オリンピックのあとには、中国共産党は尖閣諸島を利用して、日本と台湾とのあいだに不和を起こさせ、台湾に反日感情の火種をつくり、それを大火にしたいと願うだろう。」


 鳥居 民氏のことは余りよく知らない。本のプロフィールによれば1929年(昭和4年)の東京生まれの横浜育ちであるらしい。私の母が昭和4年生まれで同い年である。母は終戦当時16歳の女学生であった。
 当時の母は浅草に住んでおり、空襲当日は一時松葉町(現松が谷)の海禅寺の防空壕に非難して、その後住職の指示に従い逃げまどいながら何とか家族共々生き延びられた経験を私に話してくれた。母は三人兄弟の長女で、空襲当時は末っ子で次女の妹は学童疎開で仙台へ疎開しており、祖母と伯母と弟の四人で時たま離ればなれになりながらも何とか逃げのびられたという話である。さもなければ今の私が生まれていない。
 深夜から続いたこの東京大空襲の3月10日の明け方に、海禅寺で口にした炊き出しの味噌おにぎりが美味しかったことが忘れられないと話していた。また、足の裏が熱かったということも。はだしで逃げまどったのであろう。そして海禅寺のご住職が亡くなられていたこと、また黒焦げの死体に躓いたことなども話してくれた。亡くなられたご住職がいらっしゃらなければ母は海禅寺の防空壕の中で命を失っていたかもしれない。
 鳥居 民氏は「戦争体験者」のお一人である。私は戦争を体験していない者たちによって語らる戦争の話を聞き、そして読んでもきた。実際の「戦争体験者」の話は余り聞く機会はなかった。本にしても殆どは戦後生まれの団塊の世代の書いた著作が主流であったような気がする。私が母から東京大空襲の話を詳しく聞いたのも最近のこと。母は自らは進んで“戦争”を語ろうとはしなかったように思う。父にしてもそうである。昭和二年生まれの父は幹部候補生として陸軍航空隊に所属していた。まだ練習生であったらしく実際の戦闘には参加した経験はないようではあるが、2年ほど軍隊の飯は食ったらしい。終戦は岐阜の各務ヶ原で迎えたということだ。最初は浜松航空隊にいたのだけれども米軍の艦砲射撃に遭い、岐阜へ移動したそうだ。各務ヶ原の何処かの小学校の校舎で寝泊りをしていたそうである。小学校の名前は記憶にないそうだ。父も余り多くを語らない。しかし、終戦時の軍隊の混乱については時たま話してくれていた。今では時効とは思うけれども終戦後に軍事物資を売りさばいたことなども語っていた。既に上官は何処かへ消え失せ、仕方なく実家へ戻っていたら突然に召集を受けあわてて岐阜へ赴いたそうだ。その後、除隊。そして大学へと進学した。母とは大学卒業(正確には中退)後、東京の下町で所帯を構え、終戦から10年目の昭和30年8月に私は生まれた。既に三歳上の姉がいた。姉は昭和27年生まれ。サンフランシスコ講和条約(平和条約)発効の年である。その後昭和37年に弟が生まれ、できの良し悪しは別にしても母は三人の子宝に恵まれた。
 東京大空襲では一夜にして10万余命の尊い命が失われたといわれている。直撃による死者の数からすれば広島・長崎の原爆以上の犠牲者がでている。アメリカの“作戦任務報告書(Tactical Mission REPORT)―東京を爆撃せよ 新版―米軍作戦任務報告書は語る”を読み解くと、今ここにある命の不思議さに驚愕する。母が住んでいたのはまさに投下目標の「焼夷地区一号照準点AP(Aiming Point)“055102”」の直ぐ側である。
 母と同い年の鳥居民氏。何冊か著作も読んでいる。私は“戦争体験者”の話を聞きたい、読みたい。戦後の偏った理念で武装された“戦争を知らない世代”の“戦争話”には正直飽き飽きしている。現代の価値観で平気で過去を裁く。史実を捻じ曲げ観念で歴史を語る。そのようなものは“歴史”ではない。“政治”である。間違いを繰り返さない為には“正しい歴史”を学ぶことが大切だ。多面的な歴史へのアプローチが必要となろう。今後も鳥居民氏の著作(著述)は読み進めていきたい。しかし、執筆途上の“昭和二十年 ”は大分読み応えがありそうだ。

近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任
(2007/03/21)
鳥居 民

商品詳細を見る

原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀
(2005/06/01)
鳥居 民

商品詳細を見る

「反日」で生きのびる中国 -江沢民の戦争「反日」で生きのびる中国 -江沢民の戦争
(2004/02/24)
鳥居 民

商品詳細を見る
関連記事
凡人の独り言 | 【2008-03-18(Tue) 00:33:03】
Trackback:(0) | Comments:(0)
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

くまック時計
カレンダー
01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
気になるサイト・他
このブログをリンクに追加する
♪BGM
下町の太陽/倍賞千恵子

J.S.Bach Goldberg Variations
GLENN GOULD

I'll Close My Eyes
Blue Mitchell

©Plug-in by PRSU
アクセスカウンター


現在の閲覧者数:

2007年10月10日設置
自戒の言葉