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「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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秩父宮殿下
 今読み進めている“昭和天皇、敗戦からの戦い 昭和史の大河を往く第三集”の中に昭和天皇の弟君、秩父宮 雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)の遺書の一部が紹介されていた。秩父宮殿下は昭和28年(1953年)、50歳の若さで病のため薨去されている。
 遺書の一部ではあるけれども何か大いなる感動を覚えてしまった。

上掲書p68-p70
「僕は五十年の生涯をかへり見て唯感謝あるのみ。特殊な地位に生まれたと云うだけで限りない恵まれた一生を終へたと云う他はない、平々凡々たる一人の人間だが。」

「何も我民族の為になることもせず、引いては世界人類の為にも役にたたなかった此の体の最後を、少しでも意義あらしめる為に、勢津子さへ反対― 敢へて我儘が出来るならばと云ひたいところだが― しないならば、
解剖に附してもらい度い」

「火葬にすること
葬儀は、もし許されるならば、如何なる宗教の形式にもならないものとしたい。
僕は、神― 此の字で表現することの適否は別として宇宙に人間の説明し能はない力の存在を認めないわけにはいかぬ ―を否定しない。然し現代の宗教に就いて一としてこれと云ふものはない。現在の宗教は何れも平和をもたらすものとは云へない。(以下略)」


“秩父宮雍仁親王殿下について”

 大正天皇の第二皇子淳宮(あつのみや)として御生まれになり、20歳になり御成人と同時に秩父宮を創立されました。宮号は、秩父嶺が明治天皇の崇めていらした帝都所在の武蔵国の名山であり、殿下の御住居の西北に位置し、往古日本武尊(やまとたけるのみこと)が奥羽御平定の後にこの地方を通られた歴史にちなみ選定されました。
 若き日の殿下は様々なスポーツを愛好され、「スポーツの宮様」と評されましたが、とりわけ登山とスキー、ボートを好まれ、英国留学中にはマッターホルンに登頂されています。晩年には陶芸もなさいました。
 また、戦時下より一貫して戦争拡大政策に批判的で、戦後は御別邸においても御療養生活を送りながら執筆活動をなさいました。その御人柄は広く国民から親しまれていました。


母(貞明皇后)と三人の子供たち(長男“裕仁昭和天皇”と次男“秩父宮”と三男“高松宮”)

2008.02.18.chichibunomiya.01 “御真影集”より

大正13年ごろ
手前貞明皇后陛下
左から皇太子殿下、秩父宮殿下、高松宮殿下

当時の大正天皇は御病弱で御静養中であったため皇太子殿下は摂政宮として国務を代行されていた。

なお秩父宮殿下は歩兵第三連隊の隊附将校(中尉)高松宮殿下は海軍兵学校を御卒業された頃である。

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つれづれなるままに | 【2008-02-18(Mon) 18:51:27】
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