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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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リンドバーグの証言
 上坂冬子氏の“これでは愛国心が持てない”の著作の中に以下のような記述がある。“リンドバーグ第二次大戦日記”からの転載である。

「…(列の後尾にいた若干名の日本兵は)歩行できないほど飢えており(中略)飢餓のために眼がぎらつこうと疾病の危険性があろうと、われわれは心を動かされなかった。(中略)両手を挙げて投降しようとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった。(中略)
 かかる一連の出来事が走馬灯のように脳裏をかすめて行く。わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。(中略)ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落とした話(中略)。殺されたばかりの日本兵の死体から頚骨を切り出し、ペーパー・ナイフやペン皿を造った話。(中略)歴史を遡れば、かかる残虐行為は古今東西を問わず続けられてきたのであった(中略)
 ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行って来たのである」p236-p237


 このような“連合国側の残虐行為”は色々な著作で目にしてきた。しかし、殆ど一般には語られることが無いように思える。吉田 満著“戦艦大和ノ最期 ”にも、漂流している日本兵に対して容赦ない機銃掃射を浴びせてくるアメリカ軍機のことが書かれていた。大和の乗組員であった著者の体験談である。
 その他にも“畦道を歩いていて機銃掃射された”幼い頃の思い出を語っていた著者がいた。確か五木寛之氏ではなかったか。
 戦後生まれの作家にはこのような“実体験”を語る者は勿論、いる筈はあるまいが“戦争体験者”の著述家は結構、このような“連合国側の残虐行為”について語っている。
 しかし、不思議なことに“日本軍の残虐性”については戦後生まれか終戦当時はろくに世の中のことが分かろう筈もない“年少者”だったにも拘らず、さぞや戦争を体験したようなもの言いで日本の過去の過ちを語るお偉い方々が沢山いる。例えば“大江健三郎”氏。大江氏は1935年生まれ。終戦当時は10歳の子供だった。10歳の子供に何が分かろう。
 私は“明治・大正生まれの戦争体験者”の話は真摯に受け止めるが、“昭和生まれの戦争体験者”の話は余り信用しないことにしている。また、“明治・大正生まれ”でも、例えば“特攻隊員の生き残り”であるにも拘らず“亡き友”を愚弄するような戦争体験者の証言も同様である。
 結果、日本が悪いとかアメリカとか連合国側が悪いとか言うことではなく、戦争というものは“そういうものだ”と理解することしかあるまい。それを“日本だけが悪い”と考えるから世の中がおかしくなる。戦後日本は自ら“日本だけが悪い”と国民を教育してきた。
 戦争は相手があって始めて行われる。相手には相手の言い分。日本には日本の言い分がある。それを一方的に敗者たる“日本の言い分”を封殺し“勝者の言い分”だけが語られてきた。未だにそのような“原理主義的言動”を行っている識者は多い。何故にそのようなバランスを欠いた思索を行えるのであろうか。私には不思議でならない。
 自らが“戦争体験者”ならばまだしも、殆どの場合、“戦争を知らない世代”“日本軍の残虐行為”だけを声高に叫んでいる。


 例えば“南京大虐殺”。確かに時の松井大将も“南京事件”を憂いていた。現代の平和な日本においても毎日のように人が殺され、人道に反する犯罪があちらこちらで発生している。“南京攻略戦”“犯罪行為”が全く無かったとは決して言えないであろう。しかし、実際に“南京攻略戦”を戦った日本人の口から“南京大虐殺”があったという話を私は聞いたことがない。中には売名行為のためか金の為か定かではないけれども何人かの元日本兵が“南京大虐殺”“事実”として証言していることは知ってはいる。だが、そのような話の殆どは“戦闘行為”の一種であり、あるいは“個人的な戦闘行為か犯罪行為”の話でもある。中には整合性の取れない“嘘話”としか言いようの無い話も数多い。それらの話を全て信用したとしても、とても“三十万人を殺戮した”とは思えない。“数の問題ではない”という方がいらっしゃる。確かに数の問題ではない。しかし、かの有名な“ザ・レイプ・オブ・南京”の著作の中で著者のアイリス・チャンは“南京大虐殺”“惨状”を以下のように記している。

「南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけではなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、想起されなければならない。中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。強姦された中国人の女性は二万人から八万人に上がると見積もられる。多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。家族の見ている前で、父親が娘を犯し、息子が母親を犯すことを強いられた。生き埋めにし、去勢し、内臓を切り刻み、火あぶりにするといったことが当たり前のように横行しただけでなく、舌を鋼鉄の鉤にかけて吊したり、腰までを生き埋めにした人がシェパード犬に引き裂かれるのを見物するというような、一層悪魔的な拷問が行われた。」p12-p13


 これが中国が言うところの「日本軍が行った“南京大虐殺”」なのである。
 少なくともこのような“蛮行”は日本の歴史の中においては余り見ることはできない。しかし、中国の歴史の中にはいたるところに現れてくる。中華圏の国々では数多くこのような蛮行が行われてきた。日本人は被害者(通州事件等)となってもこのような蛮行の加害者として歴史に登場したことを私は寡聞にして知らない。
 確かに中国兵や便衣兵を銃剣で突き刺し殺害(処刑)したことは事実であろう。しかし、日本軍は“戦争”を行っていたのであり、今で言うところの“ゲリラやテロリスト”を放置するわけには行かなかった。戦闘行為の一環として当時の慣習に従って“処置”をした。それを蛮行というのであれば仕方がない。だが、いくら想像力を働かして見ても中国が“日本軍がやった!”という蛮行の多くは中国の歴史の中で語られている“殺戮”の状況と酷似しており、とても日本軍の行為とは思えない。
 しかも、中国側が“その証拠”として取り上げている写真や証言も、私の知る限り殆どが出鱈目である。中国国民党軍の行った処刑の模様を編集して日本軍の残虐行為の証拠としていたり、写真の“キャプション”を書き換えていたり、明らかに“偽造”と分かるような写真を証拠として取り上げていたり、中には“捏造”したとしか思えない写真や映画も数多い。証言においても殆どが“伝聞証拠”で、体験者の証言であってもその多くは整合性に欠けており裏づけとなる証拠がない。
 このような状況から言えることは、もし“南京大虐殺”が事実だとするならば“証拠を偽造なり捏造する”ことは必要ないことであろう。したがって、“事実”で無いからこそ“証拠を偽造・捏造”する。これ以外に言いようはあるまい。
 このようなことから中国が言うところの“南京大虐殺”は無かったと証明ができる。だからといって“南京事件(第二次南京事件)”が無かったとは言えない。戦闘行為の中で“行き過ぎた戦闘行為”は確かにあったであろう。そして“戦争”という異常な事態の中で今日から見れば犯罪行為といわれても仕方が無い“残虐行為”もあったのかも知れない。しかし「かかる残虐行為は古今東西を問わず続けられてきた」のであって、日本だけが非難されるいわれは決して無い。
 日本は十分に謝罪し、償いも果たしてきた。戦争の惨禍・惨劇は決して忘れてはならないけれども、何時までも“自虐的な歴史観”を抱えていても仕方が無い。
 今、“日本の正義”を語り始めなければならない。“日本の正義”を語ることが“真の世界平和”には役立つと私は信じている。“真実を見つめられる眼”を養うことが大切である。そして育てることが必要だ。
 戦勝国、敗戦国にこだわることをせず、“真の戦争犯罪(人間の原罪)”を見つめることが出来るようになれば“平和な世の中”は直ぐ隣にやって来る。そうでなければ何時まで経っても悲惨な歴史は繰り返されてしまう。
 そのようなことにならない為にも、私たち日本人は“日本の正義”、そして“戦争の実体”を語り始めなければならないと私は考えている。
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大東亜戦争 | 【2008-02-07(Thu) 18:51:49】
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