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「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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藤田飛曹長
 ひょんなことが切っ掛けで「藤田飛曹長」のことを調べてみた。この方のお名前をご存知の方も多くあろう。「アメリカ本土を爆撃した」唯一の日本人の方である。
 恥ずかしながら、私は「アメリカ本土への爆撃」に関してその事実を「風船爆弾」と共に知ってはいたがその戦闘員(実行者)のお名前までは知らなかった。それも戦後も85歳までご存命で、後に爆撃地のオレゴン州ブリッキングス市から名誉市民の栄誉を受けておられ、そして1997年に亡くなられた後、その遺灰の一部は爆撃地点の山林に埋葬されていることも。

amerika.bakugeki.fujita-hisoutyou
爆撃経路; “アメリカ大陸爆撃物語”より転載

 日本軍(海軍)による「アメリカ本土への“攻撃”」は都合5回行われたらしい(“は太平洋のかけ橋となった男たち”)。内、8日と29日の爆撃が藤田氏らによる爆撃であった。

全て1942年(昭和17年)
  2月23日 サンタバ-バラ砲撃 伊17号
  6月20日 バンク-バ-島砲撃 伊26号
  6月21日 アストリア砲撃   伊25号
  9月 8日 オレゴン爆撃    伊25号
  9月29日 オレゴン爆撃    伊25号


その他参考サイト; “藤田信雄飛曹長” “アメリカ本土を爆撃した唯ひとりのサムライ-藤田信雄” “アメリカ本土空襲(Wikipedia)”

 また、映画の紹介サイトであるようだが“映画 「1941」 より ”のサイトに写真と共に分りやすく説明されていた。

最初の潜水艦による米本土に対する攻撃が行われたのは、開戦後間もない1942年2月のこと。
潜水艦「伊-17」がハワイ南方から進み、サンタバーバラ海峡に侵入。
日没後に浮上して艦載砲で陸上にある油田施設を砲撃。計17発発射して火災を発生させます。

2回目は6月に実施されます。
「伊-26」がシアトル北方バンクーバー島を「伊-25」がアストリア港をそれぞれ砲撃。しかし潜水艦搭載の小型砲ですから小火災を発生させた程度だったようです。

さらに次の攻撃では、潜水艦搭載の小型水上機でアメリカ本土空襲を実施します。
1942年9月9日朝、「伊-25」より76Kg焼夷弾2個を搭載した零式小型水上偵察機1機がオレゴン州の山林地帯に向けて発進します。 藤田飛曹長他1名が乗り組みました。


しかし、同サイトに記されていることだが、以下の話は知らなかった。記憶に留めておくことにしたい。

…実は1941年12月25日クリスマス当日に、西海岸一帯への12隻もの潜水艦による大規模な攻撃が計画されていました。しかし実施直前になって山本五十六連合艦隊司令長官が
「クリスマスの夜はいけない」 と中止させ、立ち消えになります。


 また、「藤田飛曹長」のことを調べていて偶然“シドニーに響いた海ゆかば”の記事を見つけた。そういえばこのような話もあった。将に“恩讐の彼方に”である。本来、「言葉」が違い「皮膚の色」が違っても「心」は通じ合えるものだ。そのことを信じ続けていきたい。
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大東亜戦争 | 【2007-12-04(Tue) 22:58:49】
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