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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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「最後通牒」の記事
2007.11.24.snkei.01 「今さら」、という気がしないでもない。しかし、未だに「だまし討ち」と米国側から罵られ非難され続けている以上、はっきりとした“真偽”を知りたいとは思う。
 何れにしろ、今の私は、“アメリカの歴史”“共産主義の歴史”を見つめれば分るように「日本が時代の策謀に嵌った」と考えるようになっている。そのように考えるようになった経緯について今ここで一言では言い表せないが、戦後の「日本悪玉史観」に囚われることなく、真摯に歴史を紐解けば、自ずと導かれる結論であると考える。
 現在の日本を形作っている歴史観は「日本悪玉史観」のみならず「マルクス的唯物史観」や「白人優越史観」、即ちその身近な元凶は「東京裁判史観」に辿りつくことになるのかもしれないが、戦後の日本では余りにも歴史を歪めて見つめ過ぎてきているように思える。以前にも“つぶやいた”ことがあるが、それはひとえに「敗戦利得者達」の策略(陰謀)である。
2007.11.24.snkei.02 今ここで歴史を見つめ直すことは決して無駄にはならないであろう。否、寧ろ、必要でさえある。自国の歴史を卑下し、自ら貶めている限りにおいて日本は“まともな独立国”になることはない。何時まで経っても“戦勝国の被保護国”であり続けることになる。それでよしとするならば話は別だが、それでは多くの先達に対して顔向けが出来ない。
 親の汚名を濯ぐのは子の務めであろう。何時までも汚名の下に自らの安住を謳歌していたのでは日本人としてのDNAが許さない。「和を以って尊しとなす」が日本文明の礎であるならば、「誠の心」も日本人としての歴史が培った大切な行動原理である。このことを確りと理解したうえで歴史を見つめ直すことが大切である。「日本の心、日本人の心」の理解なくして歴史を結論づけることは現代人の傲慢以外の何ものでもない。そこからは“真実”は決して見えてこない。怖れることなく“事実”を見つめ“真実”を掴み取ることこそ、より良き未来を築き上げる為には必要である。
 ここで“怖れることなく”とわざわざ言葉にしたのは、結論から言わせてもらえば、「戦争の真の原因は私たち一人一人の心の中にある」、と考えているからである。
 このことの説明は容易ではない。要は、その真の責任は、“軍部”でも“官僚”でも“政治家”でも“マスコミ”でも“日本”でも“中国”でも“ロシア”でも“ドイツ”でも“イギリス”でも“アメリカ”でもない。“人間文明”が具え持つ“業(ごう)”であり“性(さが)”である。したがって“人間”そのものが変わらない限り、“人間性”が変化しない限り、“人間が人間でなくならない限り”、忌むべき戦争が“人間社会”から消え去ることは無い。

 やれやれ、“つぶやく”ことがだんだん(どんどん)厄介になってきた。また別の機会に“つぶやく”ことにしよう。

 結論、“最後通牒”は“取るに足りない問題”でもある。
 真に争い(戦争)の無い平和な世の中を望むのならば視点を大きく広げなければならない。矮小化した(された)事実からは“真実”は見えてこない。“真実”が見えてこなければ“同じ間違い”を繰り返すだけだ。現に今も“間違い(争い・戦争)”は世界のあちらこちらで繰り返され続けている。
 先ずは“一国平和主義の幻想”から覚醒することが必要であろう。我が国、日本としては。
 
 等などと、兎にも角にも色々なことを考えさせてくれる“最後通牒の記事”であった。

※平成19年11月24日付産経新聞(Net View)より


“msn産経ニュース”より
「瀬島少佐と配達遅らせた」 日米開戦前

2007.11.24 00:21

米大統領→天皇あて親電で陸軍通信課員が証言 新史料が見つかる

 昭和16年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れた原因の一端を示すとみられる史料が、防衛省防衛研究所に保管されていることが分かった。史料は、米・ハワイの真珠湾攻撃成功を目指す旧日本軍が開戦直前、ルーズベルト米大統領から天皇あての親電の伝達を遅らせたことを明確に裏付ける内容で、旧陸軍参謀本部作戦課の瀬島龍三少佐(当時)の関与を示唆した文書が見つかったのは初めて。親電の一時差し止めが最後通告の遅れにつながった可能性を指摘する専門家もおり、通告の遅れをめぐる論議に一石を投じることになりそうだ。

 史料は、昭和11年8月から20年までの軍関係の動きについて、戦後、防衛庁(現防衛省)が関係者から聴取した「防諜(ぼうちよう)に関する回想聴取録」。

 それによると、昭和16年12月の開戦前、陸軍参謀本部通信課員だった戸村盛雄少佐(当時)が昭和37年3月、防衛庁の事情聴取に対し、大統領の親電をめぐる経緯について「7日午前11時ごろ、参本(陸軍参謀本部)の廊下で瀬島(少佐)とバッタリ会った」と証言。

 続けて戸村少佐は「瀬島から『南方軍の船団が飛行機に発見されてこれをおとした』と聞いて、これが開戦の第一発であると思って、瀬島とも一緒に考えて親電を遅らせた」と証言していた。

 これは、日本の船団がマレー半島沖で英軍の哨戒飛行艇に発見されたため、護衛していた旧日本軍の戦闘機が撃墜した事実を指す。この証言が事実なら、瀬島氏は旧日本軍がすでに、米国と同盟関係にあった英国と開戦したという事実誤認から陸軍の規定に従い、親電の配達を遅らせたことに関与していた可能性がでてくる。当時、参謀本部が海外情報の統制のため、外国からの電報を10~15時間程度遅配するよう決めていたが、大統領親電のような特別重大な電報については例外とする余地があったようだ。

 大統領親電の内容は日本側に一見、和平を呼びかけながら日本軍の仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だった。

 学識者の中には、軍部が親電の配達を遅らせている間に外務省本省がこれを解読、翻訳し、最後通告の内容に反映させようとしたため、結果的に最後通告の遅れにつながった-との見方がある。

 作家の半藤一利氏は「瀬島少佐が戸村少佐と会って親電の扱いを話したのは事実で、結果としてこれが最後通告の遅れにつながったという推論はあり得べき話だ」と語る。その一方で、「瀬島氏に親電を握りつぶす力があったかどうかは材料不足で判然とせず、瀬島氏個人の判断が通告遅れにつながったと断定するのは無理があるのではないか」としている。

【対米最後通告の遅れ問題】日本政府は昭和16年、真珠湾攻撃の約30分前の米東部時間12月7日午後1時(日本時間12月8日午前3時)に米国に最後通告を手渡す予定だったが、分割打電した最後の14部について在米日本大使館でのタイプ清書が間に合わず、野村吉三郎、来栖三郎両大使がハル米国務長官に最後通告を手渡したのは、真珠湾攻撃から1時間近くたった、午後2時20分(同午前4時20分)だった。米国は「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に対日戦争に入った。



“msn産経ニュース”より
原因究明に一歩 陸軍と外務省本省の関係がカギ

2007.11.24 00:25

 日米開戦時の最後通告の遅れの問題は、ルーズベルト米大統領から昭和天皇への親電の取り扱いをめぐり、旧日本陸軍の瀬島龍三少佐(当時)の名前が浮上したことで、新たな側面が浮かび上がった。「親電の配達遅れが最後通告の遅れにつながった」との見方もあるだけに、今後は瀬島少佐ら陸軍側と外務省本省が親電の扱いと最後通告に関し、どう連携していたのかが原因究明の焦点となる。未公開の外交史料を保管する政府、外務省の積極的な史料公開が望まれる。(佐々木類)

 この問題が戦後62年たってなお、古くて新しい問題として学者や歴史家の間などで取り上げられるのは、米国に「だまし討ち」の汚名をきせられた問題の真相を明らかにする決定的な史料が発掘されず、いまだ、闇の中にあるためだ。

 大統領親電と最後通告の関係に初めて注目したのは、元ニュージーランド大使で尚美学園大の井口武夫名誉教授。平成16年10月の日本国際政治学会で、軍部と外務省本省が親電を差し止めて最終電文を修正したことが結果的に通告の遅れにつながった、と指摘した。

 当時、井口氏の報告について、細谷千博一橋大名誉教授(国際政治)は学会の席上、「大統領親電と最後通告の関係を指摘したのは新しく、今後も研究が必要」と評価する一方、現代史家の秦郁彦氏は産経新聞の取材に対し、「親電と最後通告の手順は別々に進んでいた。直接結びついていたとは思えない」と否定的な見方を示していた。

 では、実際に親電はどういう経緯をたどって天皇に届けられたのか。

 日本時間で12月7日正午、東京電報局に到着した親電は、10時間以上遅れの同日午後10時半にグルー駐日米大使に配達された。その後、親電は8日午前零時半にグルー大使から東郷茂徳外相に全文が手渡され、東郷外相は1時間半後の2時に東条英機首相の公邸を訪れ手渡している。その30分後、東郷外相は東条首相とともに皇居に参内して天皇陛下に親電全文を読み上げた。真珠湾攻撃とほぼ同時刻だった。

 外務省はわずか1時間半で親電の英文翻訳を終えて天皇あての文書を整えており、これが事前に解読、翻訳したため最後通告の遅れにつながったとの見方につながる。

 一方、分割された最後通告の最終電文「14部」は、親電が東京電報局に到着した12月7日正午から5時間後の午後5時には発電されている。電文は誤字脱字だらけで「大至急」指定がないなどの悪条件が重なった。

 だが、最後通告を手渡す予定時刻の米東部時間7日午後1時(日本時間12月8日午前3時)までは10時間の時間的余裕があることなどから、通告の遅れは大使館の怠慢とされてきた。


 戸村少佐から親電問題について直接話を聞いたことのある京都産業大の須藤眞志教授(国際関係史)は「戸村少佐は日本軍が英軍機を撃墜したという瀬島少佐の話を聞いて遅らせる決意をしたと聞いた。瀬島少佐が最後通告を遅らせるのにかかわったとは思えない」と語る。一方、井口氏は親電の遅配と最後通告の関係について「陸軍不世出の鬼才である瀬島氏にして行えた神業だった可能性が高い」としている。

 外務省は以前、産経新聞の取材に、親電の遅れに関する軍の関与について「記録が残っておらず分からない」と回答。通告遅れの原因は「本省側もさらに配慮すべき点があったかもしれない」とし、大使館に全責任があったとする従来の見解を修正、本省側に一定の責任を認めている。

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大東亜戦争 | 【2007-11-24(Sat) 16:40:36】
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