プロフィール
写真;Mt.Fuji

あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
カテゴリー
ブログ内検索
最近の記事
最近+最近ではない記事
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
月別アーカイブ
記憶に残したい動画・他
八木秀次さんの論考に思う
 “沖縄集団自決”について考えを巡らしているとどうしても思い出してしまう言葉がある。八木秀次氏も引用されておられるが、昭和20(1945)年6月6日夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将が海軍次官あてに打電した有名な文言である。

大田実少将 昭和20年6月13日 沖縄で戦死(自決)、享年54歳。

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


 この文言を思い出すたびに少なくとも“沖縄集団自決問題”に関して否定的なことが言えなくなってしまう。たとえ事実に反することであったとしても、“沖縄の人”が言うのであれば、仕方がないと思ってしまう。沖縄の人たちが、事実を直視できるようになった時、初めて“軍の強制はなかった”ことが史実として歴史書に記される。

 しかし、そのような“沖縄の人たち”の気持ちを踏みにじり、自らの思想信条の為に“沖縄集団自決問題”を利用している輩は許すことは出来ない。彼(彼女)等は無理やり史実”を創り上げ、いらぬ内紛”を演出する。自らの目的を達成する為に。要は“策謀・謀略”である。日本国内を混乱に落としいれ、あわよくば政権の転覆を謀り、自ら権力を握り締めることを夢見ている。
 いわゆる“左翼”という人たちはことごとく“卑怯者”である。“真実”が陽の目を見ることになると困るのはそのような“左巻きの人達”であり、自らの権益の為に“史実”を隠蔽・捏造し、“嘘”を喧伝し続けている。まるで意図的に“事実”を悟らせないようにするかのように。

“マルキシズム”は悪魔の申し子である。

 先の大戦の主要因の一つとして“共産主義思想、及び共産主義勢力”がその根底に存在し活動していたことがある、と私は考えている。このような事実を隠蔽する為に未だ“マルキスト(共産主義者)”たちは活動を続けている。もしかしたら一番の“敗戦利得者”は“20世紀最大の新興宗教”とも言われる“マルキシズム(マルキスト)”だったのかもしれない。歴史を紐解けば、これも一面での真理であることだけは確かなようだ。世紀を超えても未だその“人間性を無視した幻影”は消え失せてはいない。

“沖縄集団自決”参照サイト
“沖縄Imaブログ”
“芋太郎の広場”
“小さな資料室”
“沖縄戦関係資料閲覧室”



“msn産経ニュース”より
【正論】集団自決と検定 高崎経済大学教授・八木秀次
2007.10.25 03:27(トピックス:大学教育)

yagi-hidetsugu■「正確さ」犠牲にはできない 

 ■沖縄への配慮は検定撤回とは別に

 ≪数を頼んだ政治的圧力≫

 文部科学省は今春、来年4月から使用される高校日本史教科書の検定で、沖縄戦での「集団自決」について、日本軍の「命令」や「強制」によるものとした記述に検定意見を付け、修正を求めた。最近、これを不服として、検定意見撤回を求める動きが沖縄を中心に全国に広がりつつある。特に9月29日に開催された沖縄県民集会に多数が集まったことにより、政府もこれに動かされる形で、各教科書会社による自主訂正を容認する形での、「事実上の検定意見撤回」を実現させ、「集団自決」が日本軍の「命令」や「強制」によるものとする記述を復活させようとしている。

 しかし、教科書検定は第一次家永教科書訴訟最高裁判決(平成5年3月16日)が示した通り「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準」を保つためのものだ。教科書記述として最も重要なのは教育内容として「正確」であることだが、「集団自決」については、日本軍の「命令」や「強制」によるものとする見解に有力な異論が近年提出されるに至っており、検定意見もそのような意見に配慮し、「正確」を期そうとしたものだ。数を頼んだ政治運動で「正確」さを犠牲にしてはならない。

 また、教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準などすべて法令に基づいて行われている。数を頼んだ政治運動によって、法令に基づいた検定結果が捻(ね)じ曲げられるのであれば、教育基本法の趣旨に大きく背馳(はいち)する。昨年12月に改正された教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(第16条第1項前段)と規定している。教育が、教育行政を含めてすべて法令に基づいて行われるべきものであるという法治国家として当然のことを規定したものだが、政府が教科書会社の自主訂正を容認する形であれ、事実上、検定意見を撤回するのであれば、明らかにこの規定に反する。政府が率先して法令を無視する形で「政治決着」をするのであれば、教職員に法令遵守(じゅんしゅ)を求めた教育基本法同条はもはや死文と化し、教育界を再び無法状態とする第一歩となろう。

 ≪県民の不満も軽視できず≫

 さらに仮に検定意見の撤回を許せば、検定制度は形骸(けいがい)化してしまう。後述するように沖縄の県民感情に配慮することは必要だが、そのことと検定に例外を設けることは別物だ。「県民感情」に配慮した形で検定意見撤回という事態に至った場合には、将来に大きな禍根を残す。近隣諸国から同じような動きが起こった場合にも、その国の「国民感情」に配慮して検定意見を撤回する事態を招きかねないからだ。

 ただ、参加人数1万3000人とも11万人とも言われる集会に集った沖縄県民の思いは、一部政治勢力に扇動されたところがあるとはいえ、それはそれとして真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

 多くの沖縄県民の胸中には、自身や身内が犠牲になった沖縄戦について、本土側の無理解があるとの不満が渦巻いている。今回の動きも、「集団自決」に検定意見が付けられたことを契機に、「集団自決」という歴史的事実自体が教科書で否定的に扱われるのではないか、沖縄戦における犠牲も軽視されるのではないか、との不安が背景にあると思われる。もちろんそのような不安は杞憂(きゆう)だが、これまでその種の不満をすくい上げてきたのは特定の政治勢力であり、その点、保守派は深く反省しなければならない。

 ≪保守派にも反省すべき点≫

 昭和20年6月6日、沖縄地上戦の海軍部隊司令官を務めた大田實少将が海軍次官宛(あて)に「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と打電し、後に自決したことはよく知られた事実だが、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦における沖縄県民の尊い犠牲に対して果たして本土の側に「特別の御高配」があったかどうか、振り返ってみる必要がある。例えば、教科書記述においても、本土防衛の盾となった沖縄戦の犠牲について、感謝と共感を示す表現があったかどうか。左派の執筆した教科書が“犠牲”と日本軍の責任を強調する一方で、その裏返しとなって記述が極端に少なく、冷淡にさえ映る教科書もある。これでは沖縄県民の共感は得られないし、改善が必要だ。拳(こぶし)を振り上げる前にその点を考え直すべきだろう。

 沖縄の県民感情に配慮すべきはこのような点であり、決して「集団自決」を軍の命令や強制によるものとして史実を捻じ曲げることではない。
 (やぎ ひでつぐ)

関連記事
沖縄集団自決 | 【2007-11-21(Wed) 21:44:10】
Trackback:(0) | Comments:(0)
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

くまック時計
カレンダー
04 | 2020/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
気になるサイト・他
このブログをリンクに追加する
♪BGM
下町の太陽/倍賞千恵子

J.S.Bach Goldberg Variations
GLENN GOULD

I'll Close My Eyes
Blue Mitchell

©Plug-in by PRSU
アクセスカウンター


現在の閲覧者数:

2007年10月10日設置
自戒の言葉