プロフィール
写真;Mt.Fuji

あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
カテゴリー
ブログ内検索
最近の記事
最近+最近ではない記事
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
月別アーカイブ
記憶に残したい動画・他
沖縄集団自決
「沖縄集団自決問題」戦後体制下(“東京裁判史観”に基づく“戦後民主主義”)の今も続く「言論の暴力」の一貫だと考えている。今般の“沖縄集団自決訴訟(民事裁判)”を通して“msn産経ニュース”を参考にしながら少し考えてみたい。

“msn産経ニュース”より

大江健三郎氏が9日出廷 沖縄集団自決訴訟
(1/2ページ)2007.11.8 20:44

先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償などを求めた訴訟で、大江氏の本人尋問が9日、大阪地裁である。「隊長命令はなかった」「援護法適用のためだった」…。軍命令説を覆す有力証言もあり、現在は命令があったのか否かは断定できない状況だ。自らの著書に絡み出廷する大江氏が、記述内容の「真実性」をめぐって何を語るのかが注目される。

 原告は座間味島の元守備隊長、梅沢裕・元少佐(90)と渡嘉敷島の元守備隊長、故赤松嘉次・元大尉の弟、秀一さん(74)。岩波書店が発行した大江氏の『沖縄ノート』と故家永三郎氏の『太平洋戦争』の誤った記述で名誉が傷つけられたとして平成17年8月、提訴した。

 軍命令説は昭和25年に発行された沖縄戦記『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)で最初に記載され、その後、地元の県史や村史など多くの戦記が記述した。大江氏は45年発行(現在51刷)の『沖縄ノート』で、個人名は伏せながらも、地元戦記の記述のみを根拠に軍命令を取り上げた。特に赤松元大尉について「沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」「ペテン」「戦争犯罪者」などと表現している。


 軍命令に疑問を抱いたのが作家の曽野綾子さん。渡嘉敷島で村長以下の住民らのほか、赤松元大尉や部下から取材し、昭和48年発行の著書『ある神話の背景』で、自決命令があったという明確な証言・証拠はなかった-と定説を覆した。

 座間味島についても、住民の集団自決直前に梅沢元少佐と会い、生き残った女性(故人)が57年、「隊長は自決命令を出していない」と告白。後に娘の宮城晴美さんが母の証言をまとめた『母の遺したもの』(平成12年、高文研)を発行した。

 また、戦後、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金などの業務に携わった男性2人が「集団自決の犠牲者遺族らに援護法を適用するため、やむを得ず隊長命令にした」と証言している。

 「軍命令の虚構性は明らか」とする原告側に対し、被告側は沖縄などに残る文献を根拠に「軍命令はあった」と主張。「住民は『軍官民共生共死の一体化』方針で軍に総動員され、捕虜になることを許されずに玉砕を強いられた」と軍の関与を指摘する。

 『沖縄ノート』についても「元守備隊長2人が命令を出したと記述しておらず、2人を特定していない」と強調し、「集団自決の責任者個人への非難でなく、日本人や戦後民主主義を問い直した論評だ」として名誉棄損の成立を否定している。

 9日の口頭弁論では原告2人と大江氏が証言する。原告側代理人の徳永信一弁護士は「大江氏は隊長命令があったとの前提で執筆した。その前提が真実か否かが争点。『隊長には集団自決の責任があった』と抽象的な責任論にすり替えさせず、正面から問いたい」と話している。




“msn産経ニュース”より

集団自決出版差し止め訴訟で、元守備隊長が軍命令を否定 (1/2ページ)2007.11.9 12:11

sankei2007.11.09.01沖縄集団自決軍命訴訟の口頭弁論で、大阪地裁に入る原告の梅沢裕さん(中央)、赤松秀一さん(右端)ら=9日午前10時8分 先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めた訴訟の口頭弁論が9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、本人尋問が始まった。午前中は原告の1人の元守備隊長で元少佐の梅沢裕さん(90)が出廷、「(自決用の弾薬などを求める村民に対し)死んではいけないと言った」と証言、軍命令説を改めて強く否定した。

 午後からはもう1人の原告の故赤松嘉次元大尉の弟、秀一さん(74)と大江氏の尋問が行われる。今回の訴訟で大江氏が証言するのは初めて。訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、集団自決を「軍の強制」とした記述を修正した根拠にもなったが、その後、教科書会社が削除された記述を復活させる訂正申請を出している。

 原告側が名誉棄損の対象とした書物は、岩波書店発行の大江氏の『沖縄ノート』故家永三郎氏の『太平洋戦争』

 尋問で梅沢さんは当時の装備について聞かれ「拳銃に軍刀をさげ、手榴(しゅりゅう)弾を持っていただけ」と答えた。さらに「こんな小さな島では飛行場もできない。敵も上がってこないと思っていた」と振り返り、米軍との陸上戦を予測していなかったため、住民の集団自決を想定できなかった当時の隊内の混乱ぶりを述べた。

 米軍上陸直前、弾薬や弾丸などを要求した村の助役らに「お帰りくださいとしか言わなかったという説もありますが」と問われると、梅沢さんは「そんな生やさしいことは言わない。『帰れ、死んではいけない』と言った」と答えた。

 集団自決をめぐって、大江氏は自著で、島に駐屯していた守備隊長の命令だったとする沖縄戦記の記述を引用し、名指しは避けながらも「戦争犯罪者」「ペテン」などと記載。これに対し梅沢さんらは軍命令を出していないのに名誉を傷つけられたとして平成17年8月、提訴に踏み切った。


■座間味、渡嘉敷両島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月下旬、座間味島と渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。判明している死者は座間味島で約130人、渡嘉敷島で300人余とされるが、正確な人数はわかっていない。

関連記事
沖縄集団自決 | 【2007-11-10(Sat) 14:49:44】
Trackback:(0) | Comments:(0)
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

くまック時計
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
気になるサイト・他
このブログをリンクに追加する
♪BGM
下町の太陽/倍賞千恵子

J.S.Bach Goldberg Variations
GLENN GOULD

I'll Close My Eyes
Blue Mitchell

©Plug-in by PRSU
アクセスカウンター


現在の閲覧者数:

2007年10月10日設置
自戒の言葉