プロフィール
写真;Mt.Fuji

あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
カテゴリー
ブログ内検索
最近の記事
最近+最近ではない記事
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
月別アーカイブ
記憶に残したい動画・他
陰謀史観?
 今月号の“WiLL (マンスリーウィル) 2009年 02月号”に掲載されている秦郁彦氏の“反論(?)”を読む限りにおいては、「木を見て森を見ず」との格言がしきりに私の頭の中を駆け巡る。
 この辺が、いわゆる“「歴史専門家」の一つの限界”なのであろうか。

 秦氏は「中西、渡部論文に反論 陰謀史観のトリックを暴く」という勇ましいタイトルで“反論(?)”を展開されてはいるが、私にはどうしても「“陰謀隠蔽史観”のトリックの露呈」であるとしか読み取れない。
 
 まさに秦氏の論考(反論?)は“自縄自縛”の“諸刃の剣”といえるのではなかろうか。

 その理由としては、先ず第一に、初っ端から『私も「陰謀」は大好き』と言いながらも、その後『「陰謀史観」となると、話は別だ』との秦氏の論述は、“自己満足の類の言い回し”、即ち“小学生でも使う喧嘩言葉”としては参考にさせていただけるものの、正直、私にはその後の秦氏の“陰謀史観の説明”を何度読み返してみても、その意味を理解することは出来なかった。

 秦氏はどうやら「陰謀」の存在は認められてはいるものの、「陰謀があった」とは“歴史学者としてはいってはならない”ことと理解されているらしい。あるいは、「陰謀は決して実現しない」と“確定”されてされているようにも読み取れる。

 別に“秦氏”に限ったことではないけれども、このように「通説」とか「定説」と言う言葉を多用しながらも、結局は「ものごとを確定」しながら論旨を展開されている論客なり歴史学者の方々は他にも多く見受けられるが、少なくとも“謙虚さ”だけは忘れないでいただきたいものだ。

 世の中には、「確定が出来ることなど何一つとしてない」ことが、唯一の「確定できること」なのではないかと個人的には考えている。

 秦氏は「明確に誤った事実を土台にして組み立てた構図は、人心を惑わすだけで針の一突きにより崩壊するもろさを内蔵している」と仰られてはいるけれども、その後の秦氏の“針の一突き”を読ませていただく限り、とても私には“真正な針”とは思えない。その秦氏の使用されている針は“先端が変形した曲がった針”なのではないかと考えさせられてしまった。

 このように言うと、「“ど素人”が何をいうか!」と、「歴史家の秦氏」からは叱責を受けそうだが、“歴史の素人”としては、何度読み返してみても“曲がった針”に思えてしまうのだから仕方がない。

 「ユン・チアン(プロホロフ)針」にしろ「金振中や張治中針」にしろ“歴史の素人”が今回の“反論(?)”読ませていただく限りにおいては、とても“真正な針”とは読み取れない。

 また、秦氏は、何か「“史実を確定している”のは私ではない」とも言いたげのようだが、“秦氏の反論”を読む限りにおいては、秦氏の歴史観も、そして田母神氏や渡部氏や中西氏が指摘される歴史観も、「“史実”としては“確定”はされていない」ことは現実のようである。

 秦氏は11月13日号の週刊新潮の誌上で「たとえば張作霖爆殺事件は、関東軍の高級参謀・河本大作によるものだったということが史実として確定しています」と述べられている。

 ならば、「Will2月号」の誌上で、『こうした場面では主張の是非はともあれ「世間をお騒がせしたことはお詫びします」と頭を下げるものだが、彼はその流儀に従わなかった』と、婉曲表現を使って田母神氏を非難される秦氏でもあるので、何故素直に自ら率先して「世間をお騒がせしたことはお詫びします」と頭を下げる』ことをしないのであろうか。よもや“思考停止(反論からの逃避)”されたのではあるまいが、「信奉者には何を言っても無駄と私は半ばあきらめの心境である」などとの“捨て台詞”にしか受け取れないような言葉が、秦氏の本意であるとは個人的には思いたくない。
 
 正直、このような態度は“権威ある歴史家”としての秦氏にとっては“見苦しい態度”といわざるを得まい。

 是非もう一度、渡部氏と中西氏に対して、“真正な針”で「反論」を試みてもらいたいものだ。

 これでは、“田母神論文”が「崩壊するもろさを内蔵している」のではなく、“真実の歴史を語っている”ものと、それこそ秦氏にとっては思いもよらぬ“陰謀史観”が世の中を闊歩することになってしまう。

 個人的には、秦氏の言うところの“陰謀史観”もまごうことなき“歴史の一面”であると考えている。
 だからこそ日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と、田母神氏は主張されたのである。

 私には、このような“歴史の一面”としての“陰謀史観”を否定・非難される方々は、国際的(世界史的)観点が欠落した、視野狭窄の、何等かの悪意を持った“原理主義者”に思えて仕方が無い。
関連記事


田母神論文と仲間達 | 【2009-01-01(Thu) 23:38:56】
Trackback:(1) | Comments:(4)
コメント
> Bruxellesのある町の全員の人ととても気があった楽しい思い出があることと、最初の恋人がBruxelles出身だったこと、もともとシャンソンのサイトをしているのですが、その歌手がBruxellesでキャリアのきっかけをつかんだこと、などがBruxellesの理由です。
>
> 「今回の秦氏の言動には何等かの“政治的な力”が働いているとしか私には思えません」とかかれていますが、だとしたらもう秦氏には何も期待しないほうがいいと思います。秦氏のみならず驚くほど多くの方が、吃驚するようなタワゴトをおっしゃったので、心底驚愕しました。でもよく考えると昔はもっと酷かったですね。
> シャンソンの世界でも、たとえばイヴ・モンタンをはじめ共産党員だった歌手は、過半数以上を占めたでしょう。あちらの人は、何党員であれ、国家の名誉は守ります。それに共産主義運動はむこうではレジスタンスに繋がっているので、とてもヒロイックです。その勢いで自国の名誉のために植民地の独立運動に荷担した人も多いですし。共和国の人たちって祖国に対するコミットメントが強くて、どちらに振れようと本質的に(個人的に?)愛国者のような気がします。共和国の国民の意識って、どんな感じなのかなって、時々真剣に悩みます。
> 話がそれてしまいました。
> ところで敗戦利得者って、たとえばドイツにもあたり前のように(日本のように多く)居るのでしょうか?

Bruxelles さんへ

 個人的には「敗戦利得者」はドイツにも居るとは思いますが、“当たり前のように(日本のように多く)居る”かどうかは分かりません。

 また、日本とドイツでは同じ「敗戦利得者」とはいえその性格は大いに異なるものと思います。

 先ず、先のニュールンベルグ裁判では“ナチス党”は断罪されましたが「ドイツ国家」は罪を負ってはいません。対して、極東軍事裁判では「日本国家」が裁かれました。さらに、敗戦後にドイツは東西に分断されましたが、日本は幸運にも分断されずにすみました。

 ここら辺りがドイツと日本の“敗戦利得者”の性格に大きく影響しているのではないかと思われます。

 おそらく、ドイツの“敗戦利得者”にはドイツ国歌やドイツ国旗に嫌悪感を抱く者はほとんどいないと思いすが、日本の“敗戦利得者”は国歌(君が代)や日本国旗(日の丸)を忌み嫌っております。

 その理由は、ひとえに“ベルリンの壁”を起点にして戦後半世紀にわたり“共産主義思想”の脅威に直接晒されてきた多くのドイツ国民の思いがあるのではないかと個人的には考えております。

 対して、日本では、未だに“当時の戦勝国の思惑”に便乗して利権を有して居る者たちが数多く残っており、しかもそのような“敗戦利得者たち”が日本の指導的立場に今も厳然と居座っていて、言論界で言えば“朝日新聞社”などはその典型だと思われますが、そのことがいわば“日本の戦後レジューム”の根幹ではないかと考えております。

 “朝日新聞社”の他にも“日教組”や“部落解放同盟”、そして数々の“在日(反日)団体”や“自治労”等などが“敗戦利得者たち”の代表的な仲間だと思われますが、それらの“敗戦利得者たち”は“体制”を批判し“国家”を否定することによってしか生きていくことができない、いわば“吸血鬼”のような存在のように私には思われます。

 そして、そのような“吸血鬼”の生息を助長しているのが戦後の日本の“官僚民主主義体制”であり、それは“共産主義思想”のある種の“変態”ではないかと個人的には考えております。

 正直、一見「自由・平等・平和・人権」を金科玉条に掲げる“共産主義思想”は魅力に満ちあふれているように思われます。しかし、私にはそれこそ“人間性が疎外”された単なる“ユートピア思想(桃源郷)”であり“悪魔の思想”に思えて仕方ありません。

 その理由としては、先ず第一に、“共産主義思想”は多種多様な人間性を“唯物史観”という机上の空論で矮小化し、同様な“労働価値説”によって人間の無限の可能性を否定し、“革命(人殺し)”による社会の変革をを奨励している思想であるからです。

 歴史を紐解けば“共産主義思想”がどれほど多くの尊い人命を犠牲にしてきたことか。そして、現に今も奪われ続けております。

 このような“悪魔の思想”である“共産主義思想”を戦後の日本社会の中で幇助し続けているのが“敗戦利得者”であり、我が国日本においてはその根底に“東京裁判史観”があるものと個人的には考えております。

 何れにしろ、“敗戦利得者”は国は違えどもいたる所にいらっしゃるものと思われますが、「日本の“敗戦利得者”」は「“共産主義”という“悪魔の思想”」に魅入られている人々が数多いところにその特色があるのではないかとも考えております。

 確かに、“人類の恒久平和”を願っていることも“共産主義思想”の一つの特色かもしれませんが、私に言わせればそのような“理想”とは裏腹に“日本国を断罪することによって飯を食っている輩=敗戦利得者”が必死になって“戦後レジューム”を守ろうとしている状況が今の日本の姿であり、そのことが“共産主義思想”の一つの現れのように思われます。

 国家を否定し消滅させることが“共産主義思想”の一つの目的であり理想です。彼らは“世界市民”や“世界人類”を夢見ています。しかし、それはそれで素晴らしいことであると思うのですが、個人的には“国家”があっても“世界市民”や“世界人類”的な連帯は可能だと考えます。否、むしろ“国家”の存在なくして“世界市民”や“世界人類”はありえないと考えています。

 だから、誤解されることを恐れずに言わせてもらえば、“人は理想に生き、生かされるのではなく現実に生き、生かせれる”のが一番幸せな生き方だと考えます。とはいえ、“理想”も“現実”も、はたまた“生きる”も“生かされる”も、その「塩梅」が大事ではあるのですが。

 要するに、多種多様性の中でしか人は幸せにはなれないのではないかと思います。シャンソンがありカンツォーネがありポップスがあり歌謡曲がありクラシックがありジャズがあるからこそ、人生が豊かになり幸せに暮らせます。ですから“共産主義思想”のような“原理主義”的考え方には個人的には賛同いたしかねます。

 そのような意味において、今般の「“田母神論文”騒動」は確固たる“戦後レジーム”の存在を白日の下にさらし、“村山談話”という原理主義(共産主義)的な“言論弾圧”の道具の一側面(本性)を私たち日本人に開陳してくれました。

 “村山談話”を否定されたのでは“敗戦利得者たち”は生きていくことが出来なくなってしまいます。なぜならば、先の大戦の主たる原因のひとつとして“共産主義思想”があったことが暴露されてしまうからです。
 せっかく、悪いのは「日本国・日本人・軍部」と騙してきたのに、ここにきて嘘がばれてしまってはたまりません。先の大戦の原因は決して“日本国”や“日本人”、はたまた“軍部”にだけあったのではありません。それ以上に大きな影響力をもたらしたのが“共産主義思想”だと思います。そしてその継承者が“敗戦利得者”です。

 Bruxelles さんへのご質問からは大分話がそれてしまったようです。申し訳ございません。
 要するに、「たとえばドイツにもあたり前のように(日本のように多く)居るのでしょうか?」というご質問に対しては正直、私はドイツに住んだことはありませんし、ドイツ人の知人も居りませんので正確のところは分かりません。
 ただ、もし居たとしても“日本の敗戦利得者とは大きく異なる”のではないかとの“個人的な見解”の一端を述べさせていただきました。

 尚、今般の秦郁彦氏の論考(反論)には確かに首を傾げざるを得ませんが、少なくとも“従軍慰安婦”に関しては秦氏の有意義な実証的な調査研究のおかげでその呪縛から逃れられた経緯があります。“従軍慰安婦”は「虚実」であるということです。
 ですから、個人的には秦郁彦氏の今後のご活躍に期待しております。
2009-01-19 月 14:11:13 | URL | あすなろおじさん #- [ 編集]
Bruxellesのある町の全員の人ととても気があった楽しい思い出があることと、最初の恋人がBruxelles出身だったこと、もともとシャンソンのサイトをしているのですが、その歌手がBruxellesでキャリアのきっかけをつかんだこと、などがBruxellesの理由です。

「今回の秦氏の言動には何等かの“政治的な力”が働いているとしか私には思えません」とかかれていますが、だとしたらもう秦氏には何も期待しないほうがいいと思います。秦氏のみならず驚くほど多くの方が、吃驚するようなタワゴトをおっしゃったので、心底驚愕しました。でもよく考えると昔はもっと酷かったですね。
シャンソンの世界でも、たとえばイヴ・モンタンをはじめ共産党員だった歌手は、過半数以上を占めたでしょう。あちらの人は、何党員であれ、国家の名誉は守ります。それに共産主義運動はむこうではレジスタンスに繋がっているので、とてもヒロイックです。その勢いで自国の名誉のために植民地の独立運動に荷担した人も多いですし。共和国の人たちって祖国に対するコミットメントが強くて、どちらに振れようと本質的に(個人的に?)愛国者のような気がします。共和国の国民の意識って、どんな感じなのかなって、時々真剣に悩みます。
話がそれてしまいました。
ところで敗戦利得者って、たとえばドイツにもあたり前のように(日本のように多く)居るのでしょうか?
2009-01-13 火 01:12:45 | URL | Bruxelles #qXcWIg3k [ 編集]
> 全く同感です。歴史学者なのでド素人のようなことが言えない苦境はわかりますが、あれで「暴かれた」のは論理を失ったご病気の露呈の方。善良なお顔をされているので、反論するのが申し訳なくお気の毒に思えてしまいます。ご指摘の捨て台詞を含め、文章の半分以上が自傷行為です。

Bruxellesさんへ

コメント、並びにトラックバックありがとうございます。
ところで、Bruxellesさんはベルギーにお住まいなのですか?あるいはお住まいではないにしろ“ブリュッセル”に何か思いいれがあるのでしょうか。

それはともかく、秦郁彦氏は個人的には信頼している数少ない歴史家のお一人なのですが、今回の田母神論文への批評、並びに反論には正直、少し拍子抜けしてしまっています。
是非とも“Will3月号”で渡部・中西の両氏に対して“歴史の素人”にも納得のいく反論をしていただきたいと個人的には願っております。

とはいえ、私自身“田母神論文”で主張されている歴史観を“100%正しい”と考えているわけではありません。また、田母神氏ご自信も“100%正しい”などとはいってはいないと思います。
あくまでも“日本だけが侵略国家などといわれる筋合いもない”ということと、“日本は素晴らしい国”だということ、そして“日本は日本人の手で守らなければならない”ということを主張されたかったのだと思います。
そして、そのように事実・真実を主張されただけで困る立場の人たちが今の日本には沢山いることが大いなる問題だと考えています。
即ち、一言でいってしまえば“敗戦利得者”ですね、過去の日本も含めて“日本が素晴らしい国”であっては困る方々というのは。日本のマスメディアを例にとれば“朝日新聞社”がその筆頭でしょう。
そして、そのような敗戦利得者の多くは“唯物史観”と“労働価値説”と“階級闘争”の「夢」を見続けている“コミュニスト”であり“マルキスト”だと考えております。

マルキストは“国家転覆”を謀ります。そのために“階級闘争”を煽ります。そして、“区別”のことを“差別”だと言いがかりをつけ、“労働価値説”を基にした“唯物史観”を盾にとり「国家」を否定し、「世界市民」を標榜します。ある意味、そのようなコミュニストが目指す「平和で貧富の差がなく平等な社会」は非常に魅力的な世の中ではありますが、“桃源郷”であることには代わりはありません。それこそ“人間性を矮小化”した“疎外”された世の中です。

ここのところを理解できない人たちが余りにも多いのには驚かされます。しかも、いわゆる知識人と言われている方々や、立法府の政治家や行政府の官僚、そして法曹界の人たちの中にもコミュニスト(乃至は“隠れコミュニスト”)が多くいらっしゃるように見受けられます。

いずれ詳しく“つぶやき”たいと思いますが、要するに悲しいことではありますが、人間は決して“平和”だけを望んでいるのではなく、“平等”だけを求めている存在ではないということです。むしろ“乱世”を望み“不平等”を求めることも人間であれば極当たり前の基本的な情動です。
だから「平和で貧富の差がなく平等な社会」は確かに“頭の中だけで考えれば魅力的な社会”かもしれませんが、反面、人間存在にとって「平和で貧富の差がなく平等な社会」ほど住み難く、生き辛い世の中は無いということでもあります。
私にはその目的そのものが「濡れないつもりで川の中に飛び込む」というような「不条理」の極致のように思えて仕方ありません。勿論、「人間存在」そのものが「不条理」の極致ではあるのですけれども。

話がそれてしまいましたが、何れにしろ“既得権益の擁護”に走ることを誰も咎めることは出来ないのではないかと思います。

その意味において、秦郁彦氏を責める気は毛頭ありませんが、“歴史家”を名乗る限りはもう少し真摯に“現実”を見つめていただきたいものです。

“歴史”と“政治”は表裏一体というか、むしろ同一概念なのではないでしょうか。
現在では歴史的側面だけで歴史を語ることは慎まなければならないことだと個人的には考えるようになってきました。なぜならば、“歴史は政治によって創られる”ということを知ってしまったからです。
中国・韓国の歴史はまさに政治の賜物です。そして、現在の“村山談話”に見られるような“東京裁判史観”に基づく自虐的歴史観は、いわば「戦勝国の歴史(歴史観)」です。

したがって、結論から言えば、たしか秦氏ご自信も仰られているように「確定した史実などは無い」ことが唯一の「確定した史実」なのです。

いずれにしろ、数々の「コミンテルン陰謀(史観)説」も歴史の大事な一側面であり、秦氏以外の数多くの“歴史専門家”も認めていることだと思うのですが、今回の秦氏の言動には何等かの“政治的な力”が働いているとしか私には思えません。

少なくとも、“日本国の政治的な力”は“日本国の為”に、そして“日本人の為”にこそ使われるべきです。それが、戦後一貫して“戦勝国の為”、“コミンテルンの為”、“日本人もどき(世界市民?)の為”に使われてきたのが日本の現状ではないでしょうか。

今後は“日本・日本人の為”に歴史は築かれなければならないと私は思います。だから、“田母神論文”は素晴らしいと私は考えております。

是非、秦氏をはじめ、日本の“歴史専門家”の皆様にはこれからは“日本・日本人の為の歴史”を多く語っていただきたいと思います。「“戦勝国”や“コミンテルン”の歴史(歴史観)」には正直、うんざりです。

今の日本には「“戦勝国”と“コミンテルン”の双方の歴史観」を象徴するような日本人ならば誰もが知っている“碑文”があります。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」

先ずは“主語”は誰なのかをはっきりと議論することから始めてはいかがかと思います。

「主語」が“日本・日本人”ならば「戦勝国の歴史観」で、“人類・世界市民”ならば「コミンテルンの歴史観」、そして“連合国(United Nations)・国連(United Nations)”ならば「限りなく真実に近い歴史観」であり、“アメリカ・アメリカ人”ならば「敗戦国(日本)の歴史観」になると考えます。

個人的には“連合国(United Nations)・国連(United Nations)”を「日本・日本人の歴史観」にしてはどうかと思うのですが。

兎にも角にも、実証的研究を生業とする秦郁彦氏には「日本・日本人の歴史観」を大いに語っていただきたいと願っております。
2009-01-12 月 16:11:17 | URL | あすなろおじさん #- [ 編集]
全く同感です。歴史学者なのでド素人のようなことが言えない苦境はわかりますが、あれで「暴かれた」のは論理を失ったご病気の露呈の方。善良なお顔をされているので、反論するのが申し訳なくお気の毒に思えてしまいます。ご指摘の捨て台詞を含め、文章の半分以上が自傷行為です。
2009-01-12 月 10:07:33 | URL | Bruxelles #qXcWIg3k [ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

「Will」2月号秦郁彦氏の「陰謀史観のトリックを暴く」について。 前ペイジで触れた秦氏の文章について具体的感想を書くことにする。 恐ろし...
【2009-01-12 Mon 12:35:36】 | TEL QUEL JAPON : POLITIQUE
くまック時計
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
気になるサイト・他
このブログをリンクに追加する
♪BGM
下町の太陽/倍賞千恵子

J.S.Bach Goldberg Variations
GLENN GOULD

I'll Close My Eyes
Blue Mitchell

©Plug-in by PRSU
アクセスカウンター


現在の閲覧者数:

2007年10月10日設置
自戒の言葉