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「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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飯田房太大尉
 12月8日を命日とする多くの日本人青年がいる。
 “飯田房太大尉(享年29歳)”もその中のお一人である。
 ことの良し悪し(善悪)は別にして、私はこのような日本人青年がいたことを、同じ日本人として誇りに思っている。

(※以下の文章は「“憂愁”さんの“ホームページ”」より転載させていただいた。)

 飯田房太大尉
 昭和一六年一二月八日(日本時間)、午前七時四五分、飯田房太大尉は、零戦に搭乗して航空母艦 「蒼龍」より発艦し、列機を率いてハワイ・オアフ島へと向かった。オアフ島上空は既に第一次攻撃隊の攻撃によ って猛煙、猛火の中にあった。第一次攻撃隊は奇襲であったために、不意を衝かれた米軍側の反撃はそれ程、激しいものではなかったが、第二次攻撃隊がオアフ島に攻撃を加えたときには第一次攻撃後、防御態勢を整えなおした米軍の対空砲火は熾烈を極めたという。

 飯田隊は迎撃に上がってきた米戦闘機と交戦、これらを撃墜した。オアフ島中部のカネオエ飛行場に駐機していた敵機群を機銃掃射し、大戦果を収めたのであった。飛行場を攻撃した後、飯田機は翼を振り機首を転じて上昇した。列機もこれを追うように続き編隊を組 んだ。しかしこの時、飯田機はカネオエ飛行場銃撃時に敵の対空砲火で被弾して、ガソリンが流出し始めてガソリンが尾を引いていた。編隊を組むと飯田大尉は列機の藤田怡与蔵中尉に対して、手信号で「ワレ燃料ナシ」 と意思を伝え地上を示し、「燃料がない、自爆する」の意味だったのである

 飯田大尉や藤田中尉ら「蒼龍」を母艦とする零戦パイロット達は、ハワイまでの航海途上で毎日のよう にミーティングを行い、飯田大尉は諭すように「常日頃から軍人の最後の決意の重要性について語り、 万一助かるかもしれないなどという女々しい事は考えず、適当な目標物に自爆する」ことを申し合わせていたのである。 そのまま母艦への帰投方向に向ってしばらく飛び、列機にその方向を示した後、飯田大尉は手を 振って別れを告げた後、反転してカネオヘ飛行場の格納庫めがけて垂直に突入して自爆したのであった

 温和な性格から「お嬢さん」と仇名された飯田大尉の凄絶な最期であった。享年二九才の早い最後であった。 飯田大尉の最期に感銘を受けた米軍は、四散した飯田大尉の遺体を拾い集め基地内に埋葬し たのであった。真珠湾攻撃の第二次攻撃隊一六八機のうち、二〇機が未帰還となった。 一九七一年、米海軍は真珠湾攻撃三〇周年を記念して、飯田房太大尉の勇気を讃えて、飯田機が突入した地点に「飯田房太大尉顕彰の碑」を建立したのであった。

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大東亜戦争 | 【2008-12-08(Mon) 18:47:29】
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