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あすなろおじさん

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「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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実効支配とは…
 記事(“【記者は見た 北方領土の今】(上)存在しない領土問題 ”)によれば「日本固有の領土、北方四島に在住するロシア人との交流を目的とした元島民ら日本人によるビザなし訪問(団長・大塚敏夫連合総合組織局長、63人)が6月30日~7月4日の5日間、行われた」そうである。
 そして、その“ビザなし訪問”に同行された産経新聞の記者の方が“msn産経ニュース”に三回にわたってその取材記事を掲載されていた。
 「“異国の地”と化しつつある両島の現状」と題するその記事は、非常に生々しく、且つ、日本人にとっては痛々しい内容である。“実効支配”というのもがどれほど無常なものかを如実に物語ってくれている。
 私たち日本人の心根では、北方四島で生まれ育ったロシアの子供たちに「出て行け!」とはとてもいえまい。また、言うべきでは決してない。
 三回目(下)の記事中に「交流事業の中心的な存在である児玉泰子さん(北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長)」の言葉が記載されている。

「返還(を交渉するの)は政治だ。私たちの役目は、日本人は本当にマメで、心が温かく、『こういう人とだったら、島が返っても一緒に暮らせるかなあ』と(ロシア人に)思ってもらうことしかできない」

 戦後、60余年が経過した今となっては、これ以外に何ができよう。「返還」は明らかに国と国との外交的問題であり、政治的問題だ。
 将来、“北方四島”を故郷にもつロシア人の方々と日本人が、和気藹々と一緒に暮らしていけることを夢見ることしか、今の私たちに出来ることは最早残されてはいないのではあるまいか。そしてそこには、郷土を愛する心でお互いに結ばれ、国境を越えた信頼関係を手にした人々が集り、それこそ“世界市民”が暮らす地域へと変貌することが求められているのではあるまいか。
 時は冷酷に過ぎ去ってしまった。今さら日本の外交の至らなさを嘆いて見たところで仕方があるまい。過去は二度と戻ってはこない。私たちに残されているのは未来だけである。
 勿論、私は“北方四島”返還要求には大賛成であるし、他の“北方領土”のロシアの領有権の主張には大いに疑問を感じている。
 何れにしろ、二度と過ちをくり返さないためにも“北方四島”も含めた“北方領土問題”は決して忘れてはなるまい。日本人の一人ひとりが自らの問題としてもう少し真剣に考えてみることも必要であろう。
 そのような意味においても、今般の産経の記事は非常に有用な内容であると考える。何れサイトからは消える運命にある記事でもあることだし、少し長文ではあるけれども全文を拙ブログにもコピペして保存しておきたい。今後の“つぶやき”にも大いに参考になる要素が多そうだ。
 記事の最後(下)に掲載されていた以下の言葉が心に残る。

『ある団員は「このままでは北方四島は絶対に日本に戻ってこないということがよく分かった訪問だった」とつぶやき、掛け声だけの返還要求では意味がないことを痛感したという』


“【記者は見た 北方領土の今】(上)存在しない領土問題 ” msn産経ニュース
2008.7.19 18:01

20080722.hoppouryoudo.01〔写真; 択捉島などを管轄するクリール行政府の一室には、壁に択捉島(左)とウルップ島などを一体的に管轄していることを示す地図が掲げられていた=2日、択捉島・紗那(酒井充撮影)〕

 日本固有の領土、北方四島に在住するロシア人との交流を目的とした元島民ら日本人によるビザなし訪問(団長・大塚敏夫連合総合組織局長、63人)が6月30日~7月4日の5日間、行われた。訪れた国後、択捉両島は原油高騰の好景気を後ろ盾にした経済計画で着実にロシア化が進むと同時に、日本の影も確実に消えつつあった。主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)期間中の8日に行われた日露首脳会談でも、問題解決に向けた大きな進展はなかった。そんな“異国の地”と化しつつある両島の現状を3回にわたりお伝えする。(酒井充)



 記者にとって初めてのビザなし訪問で、最初に待ち構えていたのは予想外の手続きだった。6月30日の出発にあわせ、前日に船の出港地となる北海道根室市に入り、さっそく訪問を実施する独立行政法人「北方領土問題対策協会」(北対協)の受付があるホテルに向かった。すると「持込荷物リスト」と書かれた1枚の紙を手渡された。

 紙に書いてある説明では、「北方四島で入・出域の手続きの際、四島側の税関に提出する手荷物リスト」だという。要するに「出入国」に必要な手続きである。訪問時に持ち込むたばこやアルコール飲料、デジタルカメラなどを書き込むよう指示があった。

 日本国内を移動するだけなのだから、パスポートもビザもいらないのはもちろん、「入管」手続きだって必要ないはずだ。しかし、それはあくまでも建前。「入管手続き」は必要、それが現実だ。

 政府は北方領土を「日本固有の領土」と主張する。当然北方四島を不法に占拠するロシアの管轄下にあることも否定する。それにもかかわらず、北方四島への「入国」(日本側は入域と呼ぶ)手続きを是認することは、ロシアの管轄権を容認していることになる

 しかし、この訪問で矛盾を追及していたらキリがない。なにしろ日本固有の領土なのに日本人は1人も住んでおらず、原則としてロシア人しかいない。日露両政府で合意し、開始から17年の実績があるビザなし交流訪問とはいえ、上陸前には国境警備隊のチェックが行われる。上陸後も自由な行動はまず認められない。通貨はルーブルであり、日本の行政機関は存在しない。日本の携帯電話も、特別な設定をしなければ通じない。恥ずかしながら、日本国内であるはずの北方領土に時差があることも、今回の訪問で初めて知った(北方四島は「日本時間」よりも2時間早い)。あれもこれもすべてが「外国」としか言いようがない

 しかし、目に見えるものによるショックは、まだほんの序の口だった。こうしたロシア化の実態を最も感じさせたのは、現地で接したロシア人の自信に満ちた言動だった。



 訪問前、現地では「領土問題で日本人が何を言い出すか、戦々恐々としているのではないか」と思っていた。しかし、それは本当に単なる思い込みだったことが、すぐに分かった。

 根室港を出港して約4時間、最初の訪問地・国後島の古釜布港の沖に停泊した船の中で一夜を明かし、翌朝、1人1人国境警備隊のチェックを受けて「入域」した。大塚団長ら代表団はさっそく表敬訪問のため、同島などを管轄する南クリール行政府の建物を訪れた。

 島内随一の施設という2階建ての新築の建物で応対したコワリ区長は、「ビザなし交流で島の住民は多くの良き友人をつくることができた」と、友好的な雰囲気で出迎えてくれた。しかし、双方のあいさつを終えて、話題が発展する島の経済に移るに連れ、雲行きがあやしくなってくる。

 「入札はすべて公開入札で、日本のビジネスマン、企業が参加できる入札だ」

 コワリ氏は、急速な経済発展を遂げる国後島での建設事業に日本も参加せよと誘ってきたわけだ。

 日本政府は、北方四島での経済活動は不法に占拠するロシアの管轄を容認する恐れがあり、認められないとの立場をとる。彼らは日本側が経済活動をできないと承知で、あえて口に出してきたのだ。

 同席したドブルーシン行政長に至っては、「いま国後島は出生率が伸びている。家族をつくる気持ちが出てきたということは、今後の生活に対する自信が生まれているからだ。ここで暮らして仕事をしていたいという希望の表れだ」と言ってのけた。

 最初は、強がって言っているのかと思った。交流事業とはいいながら、日本人を牽制(けんせい)する意味合いではないかと思った。しかし、どうやら大きな勘違いをしていたらしい。経済発展やロシア人の定住化を胸を張って話す2人に、「悪びれた」とか「遠慮がちに」という雰囲気は全くない

 そう、彼らにとっては領土問題は存在していないのだ。だから、問題を解決するという発想そのものがない。決定的な認識のズレだった。



 その証拠に、南クリール地区幹部のような態度は、訪問先の至る所で見られた。古釜布港の桟橋の建設現場では、説明者が「みなさん(日本人)も来たければどうぞ働いてください」とうそぶき、択捉島では、経済を一手に仕切る「ギドロストロイ社」の最新水産加工場で、担当者が「日本も参加したければ、出荷品を落札できる」と得意げに語った。

 択捉島を管轄するクリール地区のレチコ副議長は、欧州の観光客向けに自然散策ルートの整備に着手していることを明らかにし、訪問団に笑顔で「日本人の観光客にもぜひ来ていただきたい」と語った。訪問団員の顔が引きつったのは言うまでもない。

 国後島・古釜布では、訪問団向けに現地ロシア人の子供による歌の披露があった。「ロシア版ちびっ子のど自慢」といったところで、女の子が日本語で「恋のバカンス」を歌うあたりは実にほほえましい。しかし、披露されたほかの歌の多くは「自分たちの故郷を思う歌」だという。

 子供をダシにした当てつけかと思ったが、先方には侮辱という意識はないのだろう。なぜなら、「北方四島はロシアのもの」という考えが、彼らにとっては自然な発想だからだ。返還運動を叫ぶ日本国内の声は、全くといっていいほど、届いていなかった。

20080722.hoppouryoudo.04
国後島の大自然は、ロシア側によって観光客呼び込みの目玉にもなろうとしている=1日、国後島南東部の自然散策路

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北方四島への渡航に向け出発を待つ「ロサゴルサ」号。北方四島に480トンの同船を停泊できる港がないため、訪問団のための「船上ホテル」となった=6月30日、北海道・根室港

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国後島・古釜布港に放置された廃船。最近は鉄不足の中国向けに回収が進んでいるともいわれる=1日(酒井充撮影)


“【記者は見た 北方領土の今】(中)消えゆく「日本」” msn産経ニュース
2008.7.20 18:04

20080722.hoppouryoudo.02〔写真; 昭和5年に建設された旧紗那郵便局。ここ数年で天井が完全に落ち、手入れがされないまま放置されている=2日、択捉島・紗那(酒井充撮影)〕

 北方四島のビザなし交流団が訪れた国後、択捉両島は、規模は違うが、日本の高度経済成長期を思わせる。舗装されていない道路を行き交うダンプと、それに伴って舞い上がる砂ぼこり。至る所で重機がうなりを上げ、道路脇には資材が積み重ねられていた。

 道路、地熱発電所、国際空港、港湾、病院、学校、幼稚園-。これらはみな、2007年からの8カ年で810億円相当を投入するロシア政府の「クリール諸島社会経済発展計画」によるものだ。北方四島のロシア人は、オイルマネーを背景にした大規模な発展計画を後ろ盾にして自信に満ちあふれ、ますます「北方領土はロシアの領土だ」と主張することに迷いがない。

 国後島の行政府幹部は、ビザなし交流訪問団に参加した自民党の石崎岳衆院議員に向かい、「領土問題は存在しない」「領土問題を指摘する日本は第三次世界大戦でも始める気か」と言ったという。彼らにとっては、日本の北方領土返還運動は「侵略」だという認識なのだ。本末転倒である。石崎氏は「現地のロシア人は領土問題にかたくなで、考えが変わらない感じだった」と振り返る。

 これは決して偶然の産物ではない。旧ソ連時代から今も続くモスクワ政府のしたたかな国策の表れだ。

 北方四島ではソ連時代から一定期間の在住者に賃金や年金をかさ上げする優遇政策がとられてきた。出稼ぎ感覚で島に移住し、そして蓄えができれば、島を離れる。住民1人1人が特別手当を受ける「国境警備隊の一員」といっても過言ではない。実際、択捉島で出会った住民の中には、「早く本土の故郷に戻りたい」と漏らす初老の女性もいた。

 ところが、オイルマネーによる好況は、こうした「本土志向」も変えつつある。詳細な統計は明らかではないが、北方四島が生まれ故郷という2世、3世のロシア人が着実に増えているという。訪問団に加わった村井友秀防衛大教授は「彼らにとっては北方領土は奪ったものではなく、生まれ故郷という感覚だ。そういう人たちは1世のロシア人よりも、北方領土を返還することに強く抵抗する」と指摘する。

 これは何を意味するのか。村井氏が続けた。

 「これから経済が発展して北方領土にとどまるというロシア人が増えた場合、北方領土を日本のものにするために考えなければならないコストがドンドン大きくなる。だから日本の返還運動の質的なレベルアップが求められる」

 ひるがえって日本は北方領土のみならず、竹島を不法に韓国に占拠され、領土問題が存在しないはずの尖閣諸島まで中国や台湾に脅かされている。領土という国の根幹に対する気概がロシアとははっきりと違うのだ。



 ロシアの国策と軌を一にして、日本の名残は確実に消え去っている。

 交流訪問では、さまざまなプログラムが企画された。その一環で行われたのが、択捉島の中心都市・紗那にある日本人墓地の清掃だった。

 オホーツク海を臨む小高い丘の墓地にはロシア人の墓も混在し、子供の背丈ほどありそうな草がうっそうと生い茂っていた。現地のロシア人は、年に1回、「お墓参り」の風習があると強調するが、日露双方の墓とも、とても人の手入れがされた形跡はない

 択捉では珍しい陽気の中、ヤブ蚊と格闘しながらロシア人の子供も加わった総勢70人以上による草刈り作業で、草で見えなくなっていた墓も小1時間で姿を見せた。訪問団が持参した線香をともし、周辺に咲いていた花も添えた。地下に眠る日本人は、まさか自分の墓が放置され、しかも島自体をロシアに占拠されるとは思ってもいなかったろう。そう思うと涙がにじんできた。

 紗那には、戦前に建てられた日本家屋2棟がある。いや、あったと言ったほうが正確だ。すでに「廃屋」だからだ。

 そのうちの1つ、昭和5年に建てられた旧紗那郵便局は2年前まで外観を保っていたというが、今回の訪問では屋根が完全に落ちていた。20年8月28日、ソ連の侵攻は、この郵便局からの無線で本土に伝えられた。中をのぞくと当時の面影はまったくない。廃材が散乱し、ペットボトルなどのゴミも無造作に捨てられていた。

 道路を挟んだもう一つの水産会事務所(5年築)は、なんとか外観は保っていたが、中に入れば状況は郵便局と同じだ。床は抜け落ち、1階からは2階がのぞけるように穴が開いている。ロシア側は2棟の再建に向けた取り組みを約束したそうだが、現状は完全放置といっていい



 日本の名残は、歴史上からも抹殺されようとしている。紗那の博物館を訪れた際のことだ。博物館といっても、通されたのは古びた2階建ての建物の一室だった。説明役の学芸員は「15世紀にアイヌが択捉島に現れた」、「ヨーロッパ人の択捉島初上陸は1643年、オランダ人のデ・フリースだ」といった説明ばかりで、その後の日本に関する言及は一切ない

 すると、話は一気にソ連がいかに島を発展させていったかという話に移った。展示物を見てもアイヌ民族の生活ぶりは石器や宝飾品の展示などを含めて詳細にふれているが、戦前の日本人の生活に関するものは無視されている。数年前にこの博物館を訪れた訪問団員の1人は、「以前は確かに日本に関する展示もあったはずだ」と証言する。意図的な日本はずしだった

 国後島では、戦前に日本人が切り開いたという山中の道も歩いた。クマを警戒して猟銃を手にしたロシア人の先導に従い、身の丈もありそうな草地の中の「獣道」を歩くこと約1時間。眼前に広がったのはオホーツク海と、その先に立ちはだかる知床の山々だった。

 携帯電話をみると、特別な設定なしに電話が通じた。手が届きそうなところにある日本。20年夏、終戦後のソ連による不法占拠が行われた際、一部の日本人は闇夜にまぎれて脱島を計画し、荒れ狂う海を手こぎで渡ったという。途中で海の藻くずとなってしまった人もいた。当時の北方四島の全住民約1万7000人のうち、犠牲者の数は1割程度というから、相当な数だ。近くて遠い日本という現状は、63年たっても少しも変わっていない。(酒井充)

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日本人とロシア人の墓が混在する墓地で、ビザなし交流訪問団と一緒に草刈りをするロシア人の子供=3日、択捉島・紗那(酒井充撮影)

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択捉島・紗那の博物館では、先住民族のアイヌの生活やと北方四島などを占領した旧ソ連の栄光は展示してあっても、「日本の統治」に関する展示は完全に無視されていた=2日、択捉島・紗那(酒井充撮影)

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択捉島の経済を支える「ギドロストロイ社」の水産加工場には、「クリール(北方四島)はロシアの領土」と書かれた看板が掲げられていた=2日、択捉島・オーヨ湾(酒井充撮影)


“【記者は見た 北方領土の今】(下)ガラス細工の「信頼」” msn産経ニュース
2008.7.21 19:39

20080722.hoppouryoudo.03〔写真; 国後島の中心地・古釜布のメーンストリート周辺。道路は舗装されておらず、空が広い=1日(酒井充撮影)〕

 北方領土を不法に占拠するロシア人の生活は、おせじにも豊かとは言えない。まず驚くのは、道路が舗装されていないことだ。乗用車(ほとんどが日本の四輪駆動車)に乗って気を抜いていると、すぐに舌をかみそうになる。車が走り過ぎれば、たちまち砂ぼこりが舞う。ビザなし交流の訪問中は晴天に恵まれたが、雨が降れば道路はぬかるみに一変するという。

 建物もバラック小屋のような平屋か、せいぜい2階建てで、「辺境の地」を感じさせるには十分だ。総勢63人の訪問団が宿泊できるホテルもないので、宿泊はすべて船の中。この480トンの船が入港できる水深をもった港もなく、船は常に沖合に停泊し、「はしけ」で港に入る。

 訪問団に参加した村井友秀防衛大教授によれば、この雰囲気は世界有数の辺境で、「モンゴルの田舎とだいたい同じだ」という。商店といっても、国後の古釜布や択捉の紗那など、中心地域のごく一部に10軒程度固まっているに過ぎない。過疎化が進む日本でも、ここまでひなびたところを探すのは、なかなか難しい

 対照的なのがロシア人の身なりで、決して悪くない。交流事業で訪れた家庭も、床には高級そうな絨毯が敷き詰められ、ベッドなどの調度品がそろい、液晶テレビなどの家電も充実している。5人家族で4LDKはある。外観は、いまにも崩れそうな古びたアパートなのに、中は平均的な日本人家庭の生活レベルと変わらない感じだ。村井氏は「ロシアを見るときに、外見のボロさに惑わされて実力を見誤らないようにしないといけないと心に強く感じた」と感想を漏らした。

 国策で優遇措置がとられる北方四島のロシア人住民は、お金には困っていない。永住するつもりもないから、建物を豪華にする必要もなく、日々の生活が充足していれば文句はない。お金がたまれば、本土に帰って立派な家を建てればいい。見た目と生活レベルのギャップの背景には、恐らくそんな考えが根強く浸透しているのだろう。今後は定住化が進んでいくとも言われているが、そうなると、徐々に建物も立派になっていくのだろうか。



 北方領土の住民の中には、17年目を迎えた交流事業を通じ、日本人をよく思っているロシア人が増えているに違いない。択捉島では子供向けに日本語講座が設けられ、女の子が「お元気ですか?」と、覚えたばかりと思われる日本語で楽しそうに話しかけてきた。同島では、ロシア人の子供たちと一緒に玉入れやパン食い競争といったミニ運動会を開き、みな笑顔になれた。玉入れで、ゲーム終了を何度も告げてもルールを守らずに玉を投げ続ける子供たちは、いかにもロシア人という感じだが、それも愛嬌(あいきょう)だろう

 交流事業はロシア人の日本本土への招待も行う相互訪問だ。北方四島へは日本人が延べ約9000人、四島からのロシア人は同じく6400人に達している。歯舞群島(志発島)出身で、交流事業の中心的な存在である児玉泰子さん(北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長)は、「返還(を交渉するの)は政治だ。私たちの役目は、日本人は本当にマメで、心が温かく、『こういう人とだったら、島が返っても一緒に暮らせるかなあ』と(ロシア人に)思ってもらうことしかできない」と、交流の意義を語る。

 一方で、交流事業で着実に培ってきた両者の信頼関係を傷つける“事件”も起きた。

 訪問団は最終日の4日朝、貴重な鳥類が観察できるという択捉島南部の萌消湾内でバードウオッチングを行う予定だった。しかし、1日の国後島上陸時になって、国境警備隊側から「聞いていない。ダメだ」と拒否されたのだ。ロシア政府に事前に日程表を提出し、了解を得ていたにもかかわらずだ。船で湾内を航行するだけの行事は、先方の連絡不徹底で、いとも簡単に拒否された。

 事前の予定が強制的に変更させられたのは、17年目で初めてという。一方的な通告に対し、抗議をしてもらちがあかない。予定通り強行することも考えられたが、実施主体の北方領土問題対策協会は最終的に「今後の交流事業が困難になる」との理由であきらめた。軍事力を持った実効支配者の前では、なすすべもなかった



 ロシアの日本に対する認識を象徴する出来事は、択捉島の玄関口となっている内岡港で、もっとも露骨に表れた。訪問団が「はしけ」で入港すると、右手の陸上に漁船が整然と「陳列」されていた。だれかが叫んだ。

 「見ろ! あれがロシアが拿捕(だほ)した日本の漁船だ!」

 日本の漁船は4隻あった。入港時にもっとも目につく場所だ。数百メートル離れた船上からも「第三十一 吉定丸」といった舷側の漢字が肉眼で読めた。昨年12月13日に国後島沖でロシアに拿捕された漁船だった。

 これとは別に一昨年夏、日本の漁船が拿捕され、35歳の若者が銃撃されて死亡した。事件の真相は藪の中で、日本側は証拠物件として返還を求めている。しかしロシアは、その船を国営企業にリースしているという。陳列されていた4隻の漁船の管理も、すでに民間会社に委託されていた。

 日本人が訪問すると分かっているにもかかわらず、これみよがしに陳列された日本漁船に訪問団員が当惑しているうちに、はしけは着岸した。上陸する訪問団員に対し、港で出迎えたロシア人の女性が満面の笑みで「ズドラーストヴィーチェ!(こんにちは!)」と言ってきた。日本人の感覚からすると、ちょっと理解できない。



 初めて北方領土を訪れた訪問団員の中には出発前、「絶対に島を奪還するぞ!」と意気込む者もいた。だが、実際に北方四島に上陸し、日程を消化するにつれ、団員に落胆の表情がくっきり浮かんできた。「ロシア化」の現実を直視したからだった。

 ある団員は「このままでは北方四島は絶対に日本に戻ってこないということがよく分かった訪問だった」とつぶやき、掛け声だけの返還要求では意味がないことを痛感したという。

 ビザなし訪問による交流は現在、閣議了解などで元島民や返還運動関係者のほか、研究者や報道関係、国会議員らに限られている。まずは、1人でも多くの日本国民がこの現実を体験するためにも、広く一般に門戸を開放したらどうだろうか。=おわり

(酒井充)

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国後島・古釜布の商店街。日本の商店街とは随分イメージが違う=1日(酒井充撮影)

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ビザなし交流訪問団とのミニ運動会(パン食い競争)に興じるロシア人の子供たち=3日、択捉島・紗那(酒井充撮影)

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ロシア国旗がたなびく択捉島・内岡(なよか)港では、昨年12月にロシア国境警備隊が拿捕(だほ)した日本の漁船(右から4隻)が、ビザなし交流訪問団に見せつけるように「陳列」されていた=3日、択捉島・内岡港(酒井充撮影)

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