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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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兼好法師が詞のあげつらひ
 確かに、いわば“貴族趣味的な傾向”が“徒然草”にはあるのかもしれないけれど、私には兼好法師も本居宣長も“似たもの同志”に思えて仕方がない。
 何れにしろ、例えば兼好法師が“兼好法師が詞のあげつらひ”をお読みになったとしても、「さもありんかし(さもありなん)」と一言いわれてお終いになりそうだ。何せ「常ならず(無常)」なのであるからして。
 それはさておき、“ウィキペディア(Wikipedia)の無常の項目”に以下の説明文が掲載されていた。非常に分かり易い。今後は「無常(観)」の説明の時に使わせてもらおうかと思う。「日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っている」ので“桜花が好き”なのだと。対して、西洋文明においてはキリスト教を筆頭とする“教条主義的(ドグマスティック)”なものの考え方が主流になる。
 したがって、このような“無常観”を内に秘める日本文明であるからこそ、大江健三郎氏の語る“あいまいな日本(人)”は、ある意味、正鵠を射た指摘とはなろう。ただし、「あいまい」がいけないのではなく“素晴らしいこと”であることをノーベル文学賞の受賞者ともあろう大江氏は理解できていない。悲しい現実である。このことこそ、まさに、宣長が言うところの「外國(トツクニ)のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物としるべし」ということになるのではなかろうか。矢張り私は同じノーベル賞受賞者とはいえ、川端康成氏の「美しい日本(人)」の言の葉の方が大好きである。

日本人と「無常」
「祇園精舎の鐘の声」ではじまる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではじまる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観をぬきに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」といえばサクラのことであり、いまなお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。


〔読み下し文・句読点等付与〕

兼好法師が詞のあげつらひ

 けんかうほうしがつれづれ草に、「花はさかりに、月はくまなきをのみ見る物かは」、とかいへるは、いかにぞや。
 いにしへの歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとひ、あるはまちをしむ心づくしをよめるぞ多くて、こゝろ深きも、ことにさる歌におほかるは、みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを歎きたるなれ。いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん。
 さるをかのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず。かのほうしがいへる言ども、此たぐひ多し。皆同じ事也。すべてなべての人のねがふ心にたがへるを、雅(ミヤビ)とするは、つくりことぞおほかりける。戀に、あへるをよろこぶ歌は、こゝろふかゝらで、あはぬをなげく歌のみおほくして、こゝろ深きも、逢見むことをねがふから也。人の心は、うれしき事は、さしもふかくはおぼえぬ ものにて、たゞ心にかなはぬことぞ、深く身にしみてはおぼゆるわざなるは多きぞかし。然りとて、わびしくかなしきを、みやびたりとてねがはむは、人のまことの情(ココロ)ならめや。
 又同じほうしの、“人はよそぢにたらでしなむこそ、めやすかるべけれといへる(※注①)”などは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にもよみ、つねにもいふすぢにて、いのち長からんことをねがふをば、心ぎたなきこととし、早く死ぬるを、めやすきことにいひ、此世をいとひすつるを、いさぎよきこととするは、これみな佛の道にへつらへるものにて、おほくはいつはり也。言にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ、たとひまれまれには、まことに然思ふ人のあらんも、もとよりのまごゝろにはあらず、佛のをしへにまどへる也。人のまごゝろは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬものはなし。されば萬葉などのころまでの歌には、たゞ長くいきたらん事をこそねがひたれ、中ごろよりこなたの歌とは、そのこゝろうらうへなり、すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるをよきことにするは、外國(トツクニ)のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物としるべし。

注①; 徒然草 第七段(角川文庫ソフィア 今泉忠義訳注 改訂徒然草 改訂六十六版より引用)
…命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふのゆふべをまち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年をくらすほどだにも、こよなうのどけしや。あかず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。すみはてぬ世に、みにくきすがたを待ちえて何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬ程にて死なんこそめやすかるべけれ。…


〔現代語訳・意訳〕

兼好法師が詞への反論

 兼好法師が徒然草で、「花は満開に咲いている時、月は満月の曇りのない時だけを愛でるものか、いや決してそうではない」などと仰ってはいるが、如何なものであろうか。
 昔の歌には、花は盛りである時、月は曇りのない時を見るよりも、花を散らす風を待望し、月の夜は雲を嫌い、あるいは花の盛りや曇りない月を待ち惜しむ心模様を詠むことが多くて、情趣の深さもこのような歌に多いのは、みな花は盛りなのを心静かに見たいと思い、月は曇りがないことを願う気持ちを大切にするかろこそ、そうはならない現実を嘆くのであろう。何処の歌にも、花に風が吹くのを待ち、月に雲が掛かることを願うものはない。
 彼の法師が言っているようなことは、人の心に逆らった、後の世の利口ぶった心の、偽りの風流(みやび)であり、本当の風流な心(誠のみやび心)ではない。彼の法師が仰っていることは、この種の事柄が多く、皆同じことを語っている。総じて全ての人が願う心に反しているのを、風流(雅・みやび)とするのは、偽善的(貴族的)な傾向が多く見られる。恋において、恋人と会ったことを喜ぶ歌は趣が深くなくて、会わないのを嘆く歌ばかり多くて、情趣が深いのも、たがいに出会えることを願うからである。人の心は、嬉しいことは、それほど深くは感じられないものであって、ただ願いどおりにならないことこそ、深く身にしみて感じられるものなので、総じて、嬉しいことを詠んだ歌には、情趣深い歌は少なくて、願いどおりにならないことを悲しみ憂う歌に、しみじみとした趣のある歌は多いのである。そうかといって、さびしく悲しいのを風流(みやび)であるとして願おうとするのは、人の本当の心ではない。
 また、同じ法師の、“人は四十歳に足らずして死んでゆくのが、見苦しくない生き方だろう”などは、最近の人は、皆歌にも詠み言っていることであって、長寿を願うことを、見苦しいことだといい、早く死ぬことを、見苦しくない生き方として、この世を厭い避けることを、潔いことなどということは、仏の道に諂うようなもので、殆ど偽善である。言葉ではそのように語り、心の内でも、そのように思う人もあり、たとへ僅かとはいえ、そのことを信じる人があろうとも、それは本心ではなく、仏の教えを誤解したものである。人の本心は、どんなに思い悩んでいようが、早く死にたいとは考えないもので、命を惜しまない者は一人としていない。しかし、万葉の歌が詠まれたころまでは、ただ長寿を願う歌が多く、それ以後から今日までの歌とは、その心は異なる。
 全て何事も、一般の世の人の本心に反し、そのことを良いことだとすることは、異国の悪影響を受けているからであって、それが“偽善の心”だと知るべきである。

 尚、原典は“ようこそ宣長ワールドへ”“59 兼好法師が詞のあげつらひ[二三一]”を参照させていただいた。また、“現代語訳”は“あすなろおじさんの意訳”。

〔原文〕

兼好法師が詞のあげつらひ

けんかうほうしがつれづれ草に、花はさかりに、月はくまなきをのみ見る物かはとかいへるは、いかにぞや、いにしへの歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとひ、あるはまちをしむ心づくしをよめるぞ多くて、こゝろ深きも、ことにさる歌におほかるは、みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬ を歎きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん、さるをかのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此たぐひ多し、皆同じ事也、すべてなべての人のねがふ心にたがへるを、雅(ミヤビ)とするは、つくりことぞおほかりける、戀に、あへるをよろこぶ歌は、こゝろふかゝらで、あはぬ をなげく歌のみおほくして、こゝろ深きも、逢見むことをねがふから也、人の心は、うれしき事は、さしもふかくはおぼえぬ ものにて、たゞ心にかなはぬことぞ、深く身にしみてはおぼゆるわざなるは多きぞかし、然りとて、わびしくかなしきを、みやびたりとてねがはむは、人のまことの情(ココロ)ならめや、又同じほうしの、人はよそぢにたらでしなむこそ、めやすかるべけれといへるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にもよみ、つねにもいふすぢにて、いのち長からんことをねがふをば、心ぎたなきこととし、早く死ぬ るを、めやすきことにいひ、此世をいとひすつるを、いさぎよきこととするは、これみな佛の道にへつらへるものにて、おほくはいつはり也、言にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ、たとひまれまれには、まことに然思ふ人のあらんも、もとよりのまごゝろにはあらず、佛のをしへにまどへる也、人のまごゝろは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬ ものはなし、されば萬葉などのころまでの歌には、たゞ長くいきたらん事をこそねがひたれ、中ごろよりこなたの歌とは、そのこゝろうらうへなり、すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるをよきことにするは、外國(トツクニ)のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物としるべし、



つれづれなるままに | 【2008-06-01(Sun) 23:44:17】
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松原仁議員
 “松原仁議員”は立派な方ではあるのだけれど、“民主党”が…。とはいえ、“自民党”では似合わない。新党結成とはいかないものか。確か“平沼赳夫議員”が新党結成を示唆されていたような…。

“菅代表代行一行、韓国大統領就任式出席後、李相得国会副議長と会談”
2008/02/25
…また、李副議長は、先般、小沢代表が韓国を訪問し(実弟である)大統領と会談した際、永住外国人に対する参政権に賛意の発言をしたことについて触れ、改めて民主党の方向性を尋ねた。これに対し菅代行は、民主党は永住外国人の参政権について以前党として(賛成)を決めた経緯があることを紹介し、代表の発言も踏まえ、実現していきたいと述べた。…


松原仁議員 長野聖火リレーで暴れた支那人留学生・マフィアと警察の対応について質問 1/4

“松原仁議員 長野聖火リレーで暴れた支那人留学生・マフィアと警察の対応について質問 2/4”
“松原仁議員 長野聖火リレーで暴れた支那人留学生・マフィアと警察の対応について質問 3/4”
“松原仁議員 長野聖火リレーで暴れた支那人留学生・マフィアと警察の対応について質問 4/4”

“衆議院インターネット審議中継”(“条件検索”で開会日;“平成20年5月21日”、会議名;“外務委員会” 発言者名;“松原仁”で検索)

「松原仁(民主党・無所属クラブ)開始時間 13時 30分 所要時間49分 の説明・質疑者松原仁(民主党・無所属クラブ)
開会日 : 平成20年5月21日 (水)
会議名 : 外務委員会
収録時間 : 7時間 17分 」

平沼氏 新党結成を示唆” msn産経ニュース
2007.10.24 22:40

 郵政民営化に反対し、無所属を続けている平沼赳夫元経済産業相は24日、都内のホテルで講演し、「保守系無所属で次の衆院選も戦いたい」と述べ、当面は自民党に復党しない考えを強調。「民主党で健全な保守を目指す人が乗りやすい船を作ることが先輩の使命だ」と述べ、次期衆院選を機に“平沼新党”を結成する考えを示唆した。

 平沼氏は「無所属になり、民主党の若手に優秀な人がたくさんいることが分かった。衆参のねじれ国会を解消するには民主党に手を突っ込まないとダメだ」と明言。「先の参院選で民主党が割れると踏んでいたが、勝ちすぎたので足が止まった」と残念がった。

 また、安倍晋三前首相について「国民投票法や教育基本法改正など、よくやったと思うが、辞め方が最悪だった」と論評。福田康夫首相については「手堅くやると思うが、余裕が出てきたら靖国神社に代わる国立追悼施設建設や、皇室典範改正、人権擁護法案などに手を染めないか心配だ」と危惧(きぐ)し、このような政策や法案には与野党を巻き込んで反対していく考えを示した。

 平沼氏は平成17年に郵政民営化で造反し、自民党に離党を迫られた。18年9月に安倍政権が発足し、復党を打診されたが、誓約書の提出を拒否し、無所属で活動を続けている。昨年末に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、今年5月に政界復帰した。

 その後、平沼氏は7月の参院選を機に新党構想を温めてきたが、自民党が大敗したのに加え、安倍氏の退陣により、構想の大幅に後退した。

 平沼氏は、今後も「日本の伝統、文化に立脚した保守の再生」に向けて勉強会などを呼びかけていく考えだ。与野党を問わず、平沼氏の政治姿勢や政治信条に同調する若手・中堅議員がおり、新テロ対策特措法案などの重要法案に対し、平沼氏がどう判断するかが焦点となりそうだ。



凡人の独り言 | 【2008-06-01(Sun) 00:50:09】
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