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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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韓国全土に「警戒」警報
 日本の隣国の韓国での出来事。しかも“韓国”でこの有様。お隣の“北朝鮮”はどうなっているのだろうか。そして“中華人民共和国”。かつて“鳥インフルエンザ”を隠蔽して被害を拡散させた前科がある。言いたくはないけれど、北京オリンピックを前にして、たとえ“鳥インフルエンザ”が見つかっても隠し通すのが中国(中華人民共和国)という国家である。冷静に社会科学的に、そして論理的に考えれば考えるほど、そのような可能性が非常に高いお国柄である。当たり前のことではあるけれども“ウイルス”には人間のような“国境意識”などあろう筈もない。
 テレビドラマの話ではない。“パンデミック(観戦爆発)”という言葉が頭の中に浮かんできた。決して不安を煽るわけではないけれど、大変なことなのではあるまいか。“手洗い”、“うがい”を忘れずに。外出の際はできれば“マスク”。細心の注意を払う必要はあろう。

韓国全土に「警戒」警報 鳥インフル拡大、軍も投入msn産経ニュース
2008.4.16 21:02

 韓国政府は16日、鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)による被害拡大を受け、同国全土で国家危機警報の段階を「注意」から「警戒」に引き上げ、各道に防疫対策を指示したと発表した。また、感染地域で家禽(かきん)類を殺処分するため同日から韓国軍兵士200人を投入した。

 「警戒」は4段階の警報のうち最高の「深刻」に次ぐレベル。これまでは感染が確認された同国南西部の全羅北道、全羅南道だけに適用していた。各道は軍や警察に支援を要請できる。

 日本の農林水産省によると、日本は昨年11月から韓国からの家禽類輸入を停止。空港や港では韓国からの入国者の靴底や車両の下回りの消毒を徹底するなど防疫措置を強化している。(共同)



アジアの特定三国 | 【2008-04-16(Wed) 23:30:51】
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産経妙
 本当に“後期高齢者”と名をつけた役人はどうしようもない。これでは何処かの“誰もが”語っているように「高齢者は早く死んでくれと」言っているようなものだ。そんなことも分からない。このような“お役人”は確かに“頭は悪い”のかもしれないが“学業成績だけは優秀な成績”だったのであろう。さもなければ”お役人”にはなれない。兎にも角にも、戦後教育の陥穽がこのようなところにも現れている。
 戦後教育下で育てられた“学業成績だけが優秀”なお役所や税務署の“公務員”の方々が『頼みもしないのに「還付金がありますよ」と知らせてくれるほど親切ではない』ことをお年寄りの方々にはしっかりと教えてあげなければいけない。戦後の“公務員”は名ばかりの「“公”務員」で「“私”務員」といった方がより適切であろう。
 「満額支払われているか怪しい年金から保険料を天引きする」などの悪行は現代の“私務員”でしかできない離れ業である。「国家“私”務員」にしろ「地方“私”務員」にしろその性格は似たり寄ったり。国民に寄生して私腹を肥やしている輩である。そういわれても仕方がない現実が多々ある。“国民に寄生して私腹を肥やす”。これが“私務員”の“金科玉条”であり、“座右の銘”なのであろう。“自らの生活の為にだけ”働いているのが現状の公務員の真の姿でもある。是非とも“公務員”の方々には“公務”の意味をもう一度考え直していただきたい。一人ひとりが“公の心”を学んで欲しい。“公務の世界”は決して“仲良しクラブ”であってはならない。先ずは“上級公務員”の方々には“天下り”することを“恥”だと考えられるようになっていただきたい。

2008年4月16日 産経新聞(Net View)より20080416.sankei.02

 とはいっても、政治家も政治家だ。「ガソリン税を下げて道路をつくれ」とか「保険料を下げて老人医療費はタダにしろ」などと無責任な言動を繰り返し、また、本当に必要な道路であるならばたとえガソリン税が一般財源化されようが予算を獲得すれば済むことだ。それが“本当に必要な道路”というものであろう。もし予算が獲得できないとするならば、それは“本当に必要な道路”ではないということではなかろうか。必要か必要でないかを判断するのが国会である。民主的な選挙で選ばれた国民の代表たる国会議員が“本当に必要なもの”に丁々発止して予算をつける。だから問題などあろうはずはない。それを“一般財源化反対”などと何故に主張できるのであろうか。“既得権益の擁護”以外の何ものでもないことは国民にバレバレである。そんなことも分からず、尚且つ本来、議論すべき事柄を議論せずに、大事な仕事を“お役人”に任せてばかりいて、何が国会議員だ。
 と、“産経妙”を参考にしながら一気呵成につぶやいてみた(愚痴ってみた)。

凡人の独り言 | 【2008-04-16(Wed) 22:48:07】
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康成忌と文学忌
 “文学忌”なるものを初めて知った、と思う。他の“文学忌”を調べてみたら夏目漱石が“漱石忌(12月9日)”で司馬遼太郎は“菜の花忌(2月12日)”、三島由紀夫は“憂国忌(11月25)”で、芥川龍之介は“河童忌(7月24日)”。 高村光太郎は“連翹忌(4月2日)”で、コピペしたもののなんと読めば良いのか分からない。ということで少し調べてみた。

“Wikipedia”より
連翹忌
4月2日は彫刻家・詩人の高村光太郎(1883年 - 1956年)の命日で、これを連翹忌とも呼ぶ。
これは、高村が生前好んだ花がレンギョウであり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことに由来する。


 何れにしろ“文学忌”には“作家名”が多いものの故人を偲ぶために工夫が凝らされている名称も数多い。
 私は川端文学が大好きである。川端康成氏が亡くなられたのは昭和47(1972)年4月16日。私が高校生の時である。死因は“ガス自殺”といわれている。

2008年4月16日 産経新聞(Net View)より20080416.sankei.03

 余談ではあるけれど、川端氏が翻訳者のE・サイデンステッカー氏にノーベル賞の賞金の半分を渡していたことも初めて知った、と思う。川端文学が好きだといいながら本当に情けない。しかし、私も常々感じていたことではあるけれども、川端氏本人の「ノーベル賞は翻訳でもらったのだから、半分は翻訳者のものだ」という言葉には感服する。もう一人のノーベル文学賞を受賞した日本人のお方は如何なものであろうか。まさか賞金を独り占めするために川端氏を批判したわけではあるまい。もしかしたら“あいまいな日本の私”である大江氏は“美しい日本の私”の川端氏をそんな理由で嫌っていたのではなかろうか。そのような下衆の勘繰りを今の私はしてしまっている。
 大江氏の文章なり言質を読み解くと、とてもノーベル賞を受賞できるような作家とは思えない。ノーベル賞という権威に期待しすぎなのかもしれないけれど、おそらくそうとう“翻訳”が上手かったのではなかろうか。だから本来は翻訳者にノーベル文学賞を差し上げるべきだ。少なくとも大江氏の場合、賞金は“100%”翻訳者へ渡さなければならない、と私は思う。

つれづれなるままに | 【2008-04-16(Wed) 19:12:07】
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二宮清純さん
 気骨のあるスポーツ・ジャーナリストの二宮清純氏。

「…他国の公道で聖火を勝手につけたり消したりしているのは青い服を着た中国の“聖火警備隊”だ。彼らが守っているのは五輪の精神ではなく国家の威信である。

2008年4月16日 産経新聞(Net Vew)より20080416.sankei.04


20080416.ninomiya.01二宮 清純氏 プロフィール
にのみやせいじゅん氏。1960年 愛媛県八幡浜市生まれ。八幡浜高校を経て、日本大学商学部卒業。スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして1987年に独立。オリンピック・サッカーW杯・メジャーリーグ・ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開。ジャーナリストとして活躍する一方、「地域」と「住民」を主体としたスポーツクラブづくりにも取り組んでいる。テレビのスポーツニュースや報道番組のコメンテーター、講演活動と幅広く活動中。現在、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。
ホームページアドレス: http://www.ninomiyasports.com >

〔写真、及びプロフィールは“THEATER PEOPLE”さんより無断借用。〕



アジアの特定三国 | 【2008-04-16(Wed) 19:10:01】
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偏向報道と報道規制2
 産経の福島香織記者は「偏向報道と報道規制」では“報道規制”の方が“罪深い”という。しかし、よくよく考えてみたら「偏向報道・虚偽報道は自由な世論に叩かれていくうちに修正されるから」という“大前提”があった。だから、いくら“世論に叩かれ”ても“修正”しなければ"罪深さ”は変わらない。
 ということは、“南京大虐殺”に関わる朝日新聞の偏向・虚偽報道、及び“百人斬り”に対する毎日新聞の偏向・虚偽報道、さらに朝日・毎日を筆頭とする“従軍慰安婦”などの偏向・虚偽報道などが修正されたことを寡聞にして私は知らない。したがって、少なくとも私にとっては“朝日新聞”も“毎日新聞”も“報道規制”を国の政策として行っているかの“中華な国々”と“罪深さ”は“同じ”だということになる。勿論、その他にも“沖縄タイムズの集団自決報道”や、TBSや朝日テレビ、そしてNHKなどの数々の“偏向・虚偽報道”等を含めると、その数は無限大に近くなる。情報操作による印象操作が日常茶飯事であるだけに致し方ないことかもしれないけれども、そのような現実を踏まえて考えてみると、“中華な国”の“報道規制の実態”だけを非難することはどう考えても片手落ちである。“中華な国”には“中華な国”なりの主張がある。たとえその主張が間違っていたとしても、同じ“罪深い報道機関”がいくら難詰したところで“中華な国”が聞く耳は持つことはあるまい。“アンチ朝日”、“アンチ毎日”、“アンチTBS”といわれてしまうのが関の山だ。
 だから、先ずは、日本の“罪深き報道機関”がしなければならないことは、自らが背負っているその“罪深さ”を懺悔することである。“間違っていました”と謝罪して謝ることである。それができてこそ国民からの信頼は回復され“罪深さ”は償われる。そこで初めて“偏向報道・虚偽報道”が“報道統制”よりも“罪深くない”ことが世間一般に認められる。さもなければ“報道統制”も“偏向報道・虚偽報道”も罪深さにおいては同じである。
 ここのところを確りと報道に携わる人たちには頭に叩き込んでもらいたい。“謝罪のされない偏向・虚偽報道”“報道統制”“同じ罪深さ”を持っている。

“北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)”さんより

■偏向報道・虚偽報道VS報道統制

どっちが罪深い?

答え:報道統制

なぜなら、偏向報道・虚偽報道は

自由な世論に叩かれていくうちに修正されるから


 by 自称“偏向報道記者”の福島香織さんのお言葉


(追記; 今の今まで“北京趣聞博客”を“ぺきんこ・ねた・ぶろぐ”と読んでしまっていた。しかし、こちらもよく読んでみれば“ぺきん(北京)・こねた(趣聞)・ぶろぐ(博客)”が正しい。福島香織さんごめんなさい。)

凡人の独り言 | 【2008-04-16(Wed) 17:39:29】
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偏向報道と報道統制
 福島香織記者の名言。北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)さんより。

■偏向報道・虚偽報道VS報道統制

どっちが罪深い?

答え:報道統制

なぜなら、偏向報道・虚偽報道は

自由な世論に叩かれていくうちに修正されるから


 by 自称“偏向報道記者”の福島香織さんのお言葉


 閑話休題。

…■ところで、このアンチCNNサイトに、ある中国人ジャーナリストが4月3日、一石を投じた。これが冒頭でちらりと触れた長平氏の論文である。全文翻訳をぜひぜひ読んでほしい。(南都週刊の編集部に、さっき全文翻訳して日本の読者に読ませたい、問題ないでしょ?と電話したけれど、本人にはつないでもらえず(外国人記者との接触を断っているらしい)、明確な返事はもらっていない。たいてい中国の記者は、勝手にすれば、みんなやってるし、という反応だし、中国のブログではほしいままにコピペされていたから、版権的にはいいんじゃないか?う~ん。と悩んだ末。全文翻訳の5割分を反転で隠してみた。文句がきたら考えなおします。)…


 福島氏は以上のように“中国人ジャーナリストの長平氏の論文”を「全文翻訳をぜひぜひ読んでほしい。」といいながら「…う~ん。と悩んだ末。全文翻訳の5割分を反転で隠してみた。…」ということだったので残念に思いながらも読み進め、何時もの通り“全文”をコピペしてみた。すると、あら不思議“反転して隠れていた部分”が現れてきた。これが「…文句がきたら考えなおします。」の真意なのかと合点して、益々、福島香織記者のファンになってしまった。
 “南方週末新聞部主任の長平氏”はどうやら少しはまともなメディア人らしい。中国でもこのような自由な言論がやっと現れてきた、と見るべきか、そしてまた、“アンチCNNサイトのLiuyichenさん”のような方々を“偏狭なナショナリスト”と見るのか、はたまた得意の“指桑罵槐(しそうばかい)”の類(たぐい)として、あるいは、その“切っ掛け”として見るべきなのかは分からないけれども、少しは未来が明るく見えてくるような錯覚を感じさせてくれる。是非とも“錯覚”ではあって欲しくないのだけれども。

“偏向報道と報道統制”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2008-04-16(Wed) 12:53:05】
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西部邁氏
 矢張り、西部邁氏の論考は“難解”で奥が深い。ただし読めば読むほど多くの示唆を与えてくれる。似たような評論家(?)に小室直樹氏がいる。小室氏の論考も“難解”で奥が深い。はっきり言って私とは頭の出来が違う。逆立ちしてもでんぐり返ししても敵いそうにない。このお二人は間違いなく天才であろう。その博識と論考のロジックには私などには舌も手も足も巻いて逃げ回ることぐらいしか出来ない。おっと、手も足も巻いてしまったら逃げ回ることができなくなる。巻くのは舌だけで勘弁してもらおう。
 それにしてもこのお二人の著作を読んでいると自らが“凡人”であることに幸せを感じる。確か、かの芥川龍之介も“白痴ほど幸せ者はいない”と語っていた。何かの著作で読んだ記憶がある。私自身は少しは悩み事もあるので白痴ではない、とは思うけれども、ご両人のように“頭が良すぎ”ては“悩み事”も天文学的な数になってしまうのではなかろうか。とても安心して眠ることなど出来ようもなさそうだ。始終頭の中は“活性化”されているような気がしてしまう。“知らない”こと“見えない”ことは幸せなことでもある。“知り過ぎる”こと、“見え過ぎる”ことは苦痛以外の何ものでもないような思いがする。
 
2008年4月15日 産経新聞(Net View)より20080415.sankei.01

 それはさておき、西部氏は、要は“スポーツは遊び”であり、“スポーツは政治”であるということを言いたいのであろう。だから論理的には“政治は遊び”になる。そして、スポーツに興じるのは“ピュエリズム(文化的小児病)”のゆえであって『「聖なる感覚」と「厳格な規則」を失う時』でもあるらしい。確かにそうなのかもしれないけれども、スポーツ好きの私としては「おまえは原始人だ!」といわれているような気がして何か悲しくなる。それに“北京オリンピック”“平和の祭典”と考えること自体が“文化的小児病(ピュエリズム)の発症”に当たるらしい。だから今般の“チベット問題の本質”を見失ってしまうらしい。
 氏によればチベット問題の本質とは「国際法の大前提への破壊行為」であるそうだ。それは“「不法の力」(暴力)”などという生易しいものではないらしい。そもそも「秩序なしの自由も格差なしの平等も夢想に過ぎない」ので「秩序や格差が各国の歴史に依存するからには、自由・平等の普遍的価値をかかげる人権外交は、一般に、偽善と欺瞞に落ちていく。ということである。簡単に言えば「おまえ等も歴史的に見れば共犯者(同じ穴のムジナ)なのだから“人権外交”などとかっこつけても何の役にも立たない」ということであろう。
20080415.sankei.02

 『民族浄化は国際「社会」の成立根拠に対する重大な挑戦』であり『国際社会の長期展望が大きく揺るがされているのに目をつむって、国際的な経済取引や政治折衝や社会交際や文化交流について云々するのは、(長期的なものとしての)国益について蝶々することも含めて、児戯に類している。』と言い切る。これでは福田首相もブッシュ大統領も胡錦濤国家主席もたじたじである。「児戯(子供の遊び)に類している」といわれてしまっている。
 『他民族が浄化作戦を受けていることに無関心であるのは、ヒューマニズムに反するとの理由で批判されるのではない。それは、国際社会の否定であるがゆえに、社会的動物たる人間にとって許されざる所業なのである。その禁断を犯している中国、少なくともその嫌疑が濃厚な中国、そんな国家が平和の祭典とやらを主催せんとしている。ピース(平和)がパクス(平定)であるのはよむをえないとしても、それを祝うというのは文化的小児病である。』とさらに手厳しい。
 即ち、西部氏が仰るのは「他民族が浄化作戦を受けていることに無関心であるのは“国際社会の否定であるがゆえ”に非難されるべき」であり「中国みたいな大悪人が平和の祭典を主催するのはチャンチャラおかしい」といっているのであろう。だからタイトルに『…「北京」の笑劇』とあるのだと思う。
 そしてまた、諫言すれば「オリンピックとは“平和の祭典”ではなく本質的には“平定の祭典”であり、それを“平和の祭典”などと誤魔化しているところが“子供じみている(文化的小児病)”と仰っておられるのだろう。
 ことこのように西部氏の論調は分かりにくい面が数多くある。ただし筋は通っているように思える。以下の論考については圧巻である。日本人の一人として真摯に氏の直言に心を傾けたい。
 「なぜ我が政府の外交は、そして我が国民の国際感覚は、他国における民族浄化の問題に、つまり普遍的かつ具体的な国際価値の問題に、かくも鈍感なのだろうか。」と先ずは疑問を呈し、『それは戦後の日本「国家」(国民とその政府)がアメリカからの(精神的)浄化を喜んで受け入れた、という経緯の然らしむるところであろう。』と一刀両断に弾劾される。そして、オルテガの言葉を引用して「外部への適応をもっぱらにするのは、その民族にとって命取りになる」と警告を発せられ、私たち日本人が国際社会そのものを否定する民族浄化の悪行の共犯者とならないため”にも、また“自らが民族浄化されないため”にも以下の二つの“現実的課題の認識”の重要性について語ってくれている。
 『南京事件の嘘を暴露することは、我らの国民性が民族浄化に手を染めるような下等なものではないと確認する上で、きわめて重要なことだ。それと同じくらい重要なのは、原爆投下をはじめとする大空襲がジェノサイドであった、とアメリカに認めさせることである。』と。
 即ち、「南京事件(南京大虐殺)の“嘘”「アメリカによる原爆投下や無差別爆撃による“ジェノサイド”の二つの事柄について「この六十余年、ないがしろにされてきた」が、“嘘は嘘としてジェノサイドはジェノサイドして確りと現実を認識する”ことが先ずは必要であると。そして、そのこともできないようででは“中国による民族浄化”を非難することはできない、ということを暗黙のうちに語っておられるようだ。
 さらに、『米中の文化型は大いに類似』しており、『アメリカ国民には歴史感覚が乏しく』、そして『(現代)中国国民にあっては歴史感覚が破壊されている』と、目から鱗の“分析眼”を披露してくれている。
 最後の文節は紙面の関係もあって尻切れトンボ的な文節にはなってしまっているような気もするが、その“痛烈な皮肉”は心に残る。
 『しかし、歴史感覚を失って国民が人民に変わること、それが、あらゆる国家にとっての、危機の真因である。米中の何れを宗主とするか、二頭宗主体制もよいのではないか、と構えるような日本の外交は、スポーツ(冗談)のようなものである。』

 何れにしろ西部氏の論考についていくのが私には少し難儀ではあるけれども、それなりの収穫を何時も得させていただいているような気もする。身についているかついていないか、あるいは身につくかつかないかは別にして、今後とも注視していきたい私にとって大切な論客のお一人である。

凡人の独り言 | 【2008-04-16(Wed) 00:07:16】
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