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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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原爆死没者慰霊碑の説明文
 広島の原爆死没者慰霊碑の傍らに「広島市は趣旨を正確に伝える為に1983(昭和58)年11月3日、日本語・英語の説明版を設置」しているらしい。

(原爆死没者慰霊碑)碑文趣旨・説明板より

 「…碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心が ここに刻まれている…」


 だとすれば、最初から“すべての人びとが”という主語を入れればよいのにと思うのだけれども、以下の管理人の方のコメントが全てを物語っているような気もする。

主語がないのはけしからんというたぐいの話をよく聞きます、
高名な評論家がTVで堂々と云っているところ、それなりの政治家がTVで発言していたりするところを見てきましたわたしは・・・
日本語を専門に勉強してきたわけではないわたしが敢て云いましょう、
あなたは、日本で生まれ、日本で死んでいくのでしょう・・・いちいち主語主語と云わなくてもわかるのが日本人なのではと

05.12.18裕・記編集    00.01.15裕・編集


 まさに、“あいまいさ”への礼賛、あるいは信頼ともいえよう。換言すれば日本、日本人への“誇り(矜持)”ともいえようか。“あいまいさ”の中には“思いやりの心”も含まれている。

20080406hiroshima02

 それにしても、以下の英文の説明文が少し気にかかる。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」との碑文が"Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil."と翻訳されてしまっている。これではせっかくの日本語の“名文の真意”が読み取れないのではなかろうか。いくら“過ち”the evil."と“言い換え”ようが“主語のないあいまいさの真意”を伝えることはできないであろう。少なくとも“思いやりの心”は消えてしまっている。そこにあるのは“日本の心”ではなく「“神”を中心とした“西洋的合理主義”の残影」でしかない。矢張りここに“文化的な大きな壁”がある。“あいまいさ”は日本人にしか分からない心根なのかもしれない。
 兎にも角にも良い悪いは別にして、“あいまいさ”“唯一絶対神”ではなく“八百万の神”の教えであることだけは確かなようだ。

20080406hiroshima03


凡人の独り言 | 【2008-04-06(Sun) 19:40:20】
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あいまいな日本人
20080406hiroshima01 “あいまいな日本人”の“あいまいな日本語”。その代表的な文言として広島市の広島平和記念公園内に設置されている広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の碑文がある。

「安らかに眠って下さい/過ちは/繰返しませぬから」

 以前はこの“主語のない悪文”に、“戦後民主主義の真髄”を垣間見て反発を覚えていたものだが、最近では非常に“日本的な名文(迷文?)”だと感じるようになってきた。

(※写真は“as subjectively as possible”さんより借用)

…石棺には、「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻み込まれています(碑文を書いたのは被爆者のひとり、雑賀忠義広島大学教授です)。

 当時の浜井信三市長は、「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」と述べましたが、碑文は、この考えをうけてつくられたといわれています。

 1952年11月、極東軍事裁判の弁護人であったインドのパール博士はこの碑を訪れて、「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と発言しました。このことがきっかけとなっていわゆる碑文諭争がおこりました。

 碑文の主語は誰なのか。誰が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」「繰り返させませぬ」かといったことが主な論争点でした。

 また、1970年には、「碑文を正す会」が、「碑文は犠牲者の霊を冒漬している」として、碑文の抹消・改正を要求する運動をおこしました。これに対して、「誤った民族主義・軍国主義の復活をめざす『碑文改正』は許せない。核兵器使用の悲劇を二度と繰り返さぬという人類の願いと誓いが碑文にはこめられている」とする「碑文を守る会」などの運動がおこりました。

 当時の山田節男広島市長も、「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を発表しました。

このため、現在では、碑文の意図するところは、国籍をこえて、この碑の前に立つすべての人間が、自国の間題、人類の1人として、二度と核戦争をしないことを誓うことだという解釈がいきわたっています。

広島国際学院高等学校 バーチャル フィールドワーク<広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)>より


“as subjectively as possible/B-29日本列島縦断飛行プロジェクト”より

 広島の爆心地にある平和祈念公園の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という文言が刻まれている。この主語の無い不完全な文章は、その解釈を巡って議論を巻き起こしてきた。やはりひとりでも多くの人々が理解できるよう、きちんと主語を入れて「誰が・・・過ちを繰り返しませぬから」と訂正し、原爆死没者慰霊碑に刻み直すべきである。その主語が日本なのか?アメリカなのか?政治なのか?世界の邪悪な者を指すのか?それを吟味し決定すべきである。さらには「過ち」とあるからには、どんな過ちなのか?具体的にそれを検証し、どんな経緯を辿って、その過ちは起こったのか?「過ち」を防止するためには、いっさいの情緒的なものを排して冷徹に、その原因と「過ち」が起こったプロセスとメカニズムを検証し、明らかにする必要があるだろう。こうした作業に対して感情的に反対する者こそ、同じ「過ち」を再び繰り返しかねない危険な者たちなのである。

原爆死没者慰霊碑にある「過ち」を直接に犯した者は、日本の軍隊組織でもなければ、日の丸でも君が代でもない。この「過ち」を直接に犯した者は、アメリカ大統領トルーマンおよびルーズベルトであり、それを選んだアメリカ国民であり、B-29搭乗員の者たちである。ゆえに、「過ちは繰返しませぬから」という文言は、当然ながら、米軍横田基地や厚木基地や嘉手納基地のメインゲートや米アーリントン墓地に「英語」でその碑を建てるべきである。アメリカ人のほとんどが「原爆によって戦争を終わらせた。原爆が日本本土上陸に際して失われたであろう数十万人の米兵の命を救ったんだ」などと本気で思っている。アメリカの義務教育でも子供たちにそう教えている。こうした間違った教育を受けたアメリカ人たちを、自らが行った「非道な行い」について正しく再教育していくことこそ、慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」の本当の趣旨ではないのか!?であれば、アメリカ人ひとりひとりに対して「過ちは繰返すな!Never Repeat Your Mistakes!」と叫ばなければならない。歴代のアメリカ大統領は広島・長崎を一度も訪れたことがない。


 TAMAGAWABOAT 氏の“B-29日本列島縦断飛行プロジェクト”にはある意味感動した。“あいまいな日本人”を覚醒させる為には一つの効果的な方策(企画)、なのかもしれない。しかし、どこかで白を白としない、黒を黒といわない(いえない)、“あいまいな日本人”そして“日本文化・文明”が好きな私がいる。“和を以て貴しと為す”という心根の所為であろうか、それとも“色即是空 空即是色”の箴言の故か、はたまた何処かの誰かさんが仰った“以徳報怨(徳を以って怨みを報ず/恨みに徳をもって応える)”の成せる技であろうか。
 尚、“以徳報怨(徳を以って怨みを報ず)”は時の国民党総統の蒋介石が語ったといわれている言葉である。決して“孔子(論語)”の言葉ではない。未だに蒋介石が孔子(論語)の言葉を引用したと誤解されている方々が多くおられるようだ。少なくとも孔子は“そんなバカなこと”はいっていない。“孔子(論語)”“以徳報怨(徳を以って怨みを報ず)”を否定しているのである。嘘だと思う吾人がいれば“論語 憲問第十四”を読み“直し”ていただきたい。そこには以下のように記されている。

『或日、以徳報怨、何如。子曰、何以報徳。以直報怨、以徳報徳。』

〔読み下し〕
或(あ)るひと日(いわ)く、徳(とく)を以(もっ)て怨(うら)みに報(むく)いば何如(いかん)。 子日わく、何(なに)を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん。

〔通釈〕
ある人が、「悪意に対しては善意を以てせよ!という言葉がありますが、いかがなものでしょうか?」と問うた。孔子は、「ならば善意に対しては何を以てするのかね?悪意に対しては誠意を以てし、善意に対しては善意を以てするのが良いのではないかな」と云った。

“論語に学ぶ会”より


 色々な解釈の仕方があるとは思うけれども孔子は決して“以徳報怨”とは言っていない。“以報怨”と語っているのである。
 はてさて、ここに戦後日本人の“呪縛”の一端が見受けられる。“以徳報怨”という“政治的(策略的)な言葉”を後生大事に抱え込み、“以報怨”の貴重な教えを忘れ去ってしまっている。あくまでも“以徳報怨”“中華的(政治的)な教え”であって、決して“あいまいな日本人”に適した教えではない。“以報怨”“以徳報徳”の心根こそ本来の“和を以て貴しと為す、あいまいな日本的な精神”の一つの現われとなろう。
 少なくとも“以徳報怨”という“中華的(政治的)策謀”の一面だけは理解しておきたいものだ。いわば“以徳報怨”とは中華の国お得意の“指桑罵槐(しそうばかい)”の類なのである。お人よしの日本人は直ぐにだまされてしまう。ものごとには裏と表がある。陰と陽がある。善と悪とがある。そのような二面性の彼方に“あいまい”という概念が存在する。“あいまい”という概念は西洋的な“絶対(神)”という概念とも中華的な“独善”という概念とも異なる性質を持つ。このことが日本的であり日本文化の真髄ともなろう。神は“八百万の神”であり、“八紘一宇(人類皆兄弟)”がその世界観である。だからこそこのような日本的な精神を育んだ“あいまいな日本人”は素晴らしいと私は思っている。
 日本の政治家、官僚、そしてマスコミ人や知識人には是非とも“以徳報怨”の呪縛から逃れて“以報怨”の心根を持って事に当たっていただきたいものである。そこで始めて“あいまいな日本人”のよさが発揮される。先ずは“以徳”ではなく“以の心で、“北京オリンピック反対”とか“チベット侵略反対”とか“北方領土を返還しろ”とか“アメリカは謝罪しろ”等などと声を枯らして叫んでいただきたい。それなくして“あいまいさ”は発揮できない。兎にも角にも先ずは“以に対応することが寛容だ。それさえできないようでは日本人として恥ずかしい。ということは“恥を知る心”を取り戻すことから始めなければならないか。
 何れにしろ真の“あいまいな日本人”になる為には一度は白黒をはっきりさせなければならない。白黒つけるのを逃げてばかりいたのでは“あいまいな日本人”としての名が廃る。
 広島の碑文を例にとれば“アメリカ大統領に謝罪”してもらい、「米軍横田基地や厚木基地や嘉手納基地のメインゲートや米アーリントン墓地に「英語」でその碑を建てる」ことが実現できてこそ「安らかに眠って下さい/過ちは/繰返しませぬから」という主語のない碑文の“あいまいさ”は生きてくる。現実的には難しいことかもしれないけれどもその心根だけは忘れずに持ち続けたいものである。“あいまいな日本人”の一人として。

或日、以徳報怨、何如。子曰、何以報徳。以直報怨、以徳報徳


凡人の独り言 | 【2008-04-06(Sun) 17:41:23】
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日本統治時代
 “翻訳出版”されたとしてもはたして“理解”できるのであろうか。韓国の人々に“真実”が。
 “真実”を知る為には先ず“現実”の認識が必要となる。

陳腐な通説歪曲された歴史認識によってその歴史的意義が隠蔽されてきた」

2008年4月5日 産経新聞(Net View)より20080405.sankei.01


アジアの特定三国 | 【2008-04-06(Sun) 00:13:15】
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