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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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餃子騒動の教訓
「政府が輸入停止などの措置を取ってくれない以上、消費者が自己防衛するしかない。」

 確かにそうだ。それ以外に対策は無いのかもしれない。

2008年2月29日 産経新聞(Net View)より2008.02.29.sankei.13


「この騒動をチャンスととらえて、何が安全な食品か、自分の舌で確かめる習慣を日本人は身につけないといけない。」

 このような文脈の中で“前向き”という言葉は普通は使う。矢張り“中国公安当局の記者会見”は少なくとも日本に対しては“攻撃的”であって決して“前向き”とはいえない。無理に“前向き”にという言葉を使うとするならば他に言葉を付け加えなければならない。例えば、“中華思想に”とか“中国共産党に”とか“役人根性に”とか、あるいは“政治的に”とか。さもなければ分かり難い。
 尚、この文章は間違っている。「自分の舌で確かめる習慣を日本人は身につけないといけない。」ではなくて「自分の舌で確かめる習慣を日本人は取り戻さなければいけない。」である。現に私が幼い頃には“食べられるか食べられないか”“鼻”でにおいを嗅いだり、“指”で小突いたりしながら、最後には“口”に入れて確かめた。何度も腹はこわしたけれどもおかげさまで抵抗力も身についた。

「同時に危険な食品に対する消費者自身の対応能力が重要になる」

 この文章だけではないけれども“食品”の文字を“中国”なり“支那”に置き換えてみると“貴重な教訓”が現れる。

「同時に危険な中国(支那)に対する消費者自身の対応能力が重要になる」

 さらに“消費者”“日本国民”に置き換えれば完璧である。

「同時に危険な中国(支那)に対する日本国民の対応能力が重要になる」

 是非、このように“前向き”に今回の騒動には対処したいものである。

アジアの特定三国 | 【2008-02-29(Fri) 23:32:26】
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いい加減にしろ!福田首相!…???
 目を疑った。耳も疑った。手も足も頭も疑った。身体がおかしくなってしまったのだろうか。耄碌するには未だ早い。しかし、読解力・理解力が失われてしまったと、思わず落ち込んでしまった。どこをどう読めば「中国、非常に前向き」といえるのだろうか。
 しかし、少し冷静になって考えてみると、確かにある意味では「中国、非常に前向き」といえるのかもしれない。だか、“一般的な使い方”ではないであろう。“前向き”とはこのようなところで使う言葉ではない。むしろ“ひにく”としか読み取れない。
 とはいっても、発言の主は“天下の日本国の総理大臣”である。私の理解力・読解力が未熟な所為であろう。謙虚に受け止めることにする。「中国、非常に前向き」と。何せ“政治家の言葉”には“言外の言”が多分に含まれている。一般人には理解し難い。私にはどうしても“攻撃的”とか“支那(中華)的”としてしか読み取れない。

首相「中国、非常に前向き」

『…「(中国の)捜査当局の発表は日本と共同して、しっかり調査したいということを言っていたんじゃないですかね。非常に前向きですね。中国も原因を調査し、その責任をはっきりさせたいという気持ちは十分に持っていると思う」…』


2008年2月29日 産経新聞(Net View)より2008.02.29.sankei.06

 いくら「“政治家の言葉”には“言外の言”が多分に含まれている」とはいえ、これでは「世論がさらに政権に厳しい目を向ける」のも仕方がない。矢張り福田首相は“国”が違えども“国民の生命財産”よりも「役所のメンツ」の方が大切なようだ。しかしそれでは“日本国の総理大臣”としては失格であろう。“他国のメンツ”を庇ってどうするつもりだ。それよりも“日本国民の生命財産”を守っていただきたい。出来れば“尊厳”も。

アジアの特定三国 | 【2008-02-29(Fri) 22:43:50】
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いい加減にしろ!中国共産党!
2008年2月29日 産経新聞(Net View)より

2008.02.29.sankei.01『中国側捜査当局である公安省の公式見解は「中国国内でメタミドホスが入った可能性は極めて低い」というもので、日本側の判断と真っ向から対立した。』

「忘れてならないのは、日本にとっては生命の危険もあった食の安全にかかわる深刻な問題であり、中国にとっても自国の輸出食品全体の信頼性が問われる問題だということだ。真相究明ができないままでは、日本の消費者の不安は解消されず、中国にとってもマイナスでしかない。」

『「故意による犯行」という点では双方の見解は一致している。中国国家品質監督検査検疫総局の副総局長も2月6日、「日中関係の発展を望まない少数の分子が過激な手段に出たのかもしれない」と語っている。』2008.02.29.sankei.02
『その後の中国は「われわれこそ事件の被害者」との態度に一変』

「…中国側もこうしたかたくなな態度を改める必要がある。曖昧な決着は許されない。ましてや捜査に政治的思惑を持ち込むのは論外である。」

 とはいうものの、中国側、即ち“中国共産党”の胸の内(本心)は、“かたくなな態度”を貫き“曖昧な決着”を実現する為に“捜査に政治的思惑を持ち込む”ことであろう。
 今回の騒動を切っ掛けとして“支那(中国)の本性”を一人でも多くの日本人が学ぶべきだ。“支那(中国)”とは“このような国”なのである。
 “傲慢”“不遜”で未だに“中華思想”を根底に持ち続けている国、それが今の“中国(中華人民共和国)”である。
 現在の為政者たる“中国共産党政権”はその“悠久の中華的悪癖”を巧みに利用し活用して自らの権益を維持し発展させようとしている“一党独裁の非民主的な政権”でもある。
 私たちはこの“現実”を決して忘れてはならない。

アジアの特定三国 | 【2008-02-29(Fri) 21:56:49】
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いい加減にしろ!中華人民共和国!
 2008年2月29日付産経新聞(Net View)の一面トップ記事。
 
『中国、真相「封印」か』

2008.02.29.sankei.01「中国製ギョーザによる中毒事件で、中国公安省は28日、問題の殺虫剤メタミドホスが、中国内で混入された可能性は極めて低いと断定し、明言は避けつつ日本国内で混入した可能性を示唆した。さらに、捜査協力をめぐっても、日本側の対応を批判した。殺虫剤が中国内で混入したのは確実としてきた日本側は、猛反発している。一切の責任を回避しようとする中国側の姿勢は、事件の全容解明をさらに遅らせるだけでなく、4月にも予定される胡錦濤国家主席の来日にも、暗い影を落としそうだ。」

「中国政府は当面、冷凍ギョーザ中毒事件の責任は中国側にはないとの主張を貫く方針を固めたもようだ。」

『 当局筋によると、中国政府内には、「日本説」は物証や状況から無理があると批判する半面、日本人の「飽きっぽさ」を指摘、結論を急ぐ必要はないとの意見もあるという。既にワイドショーの関心は、イージス艦事故やロス事件に移っている、と。
 外交筋は胡錦濤国家主席の訪日前の決着を予測していたが、中国側は「捜査継続中」として結論を少なくとも五輪後に持ち越す公算が大きい。既に中国のメディアは「日本混入説」を打ち出し、ネットの掲示板では圧倒的多数が日本説をとっている。
 中国政府が仮に「容疑者」を摘発しても、そうした「世論」を覆す発表をするのは極めて困難になっている。


アジアの特定三国 | 【2008-02-29(Fri) 20:14:19】
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漫画家の良識
 漫画家の“さかもと未明”さん。、どのようなお方であろう。少なくとも“民主党”やその他“野党の政治家”よりは“良識”をお持ちのようである。
(※追記; このような方だった。“さかもと未明 Official Blog”

「…同時に、イージスという最高機密には公開できない部分があることも明言してしかるべきだ。そんなこともできないのは、長いこと自衛隊が“お飾り部隊”だった時代の名残なのだろう。…
…問題の本質を知る人物が留任し、責任を持って変革すべきである。首のすげ替えをして、瑕疵もない代わりに実感もない人物に登場されても困るのだ。」


2008年2月28日 産経新聞(Net View)より2008.02.28.sankei.03


凡人の独り言 | 【2008-02-29(Fri) 19:14:44】
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新世界
 何故かさびしいドボルザークの「新世界」。日本だけが“家路”に向かう。

2008年2月27日 産経新聞(Net View)より2008.02.27.sankei.01


凡人の独り言 | 【2008-02-29(Fri) 18:48:12】
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みどり色のオーロラ
 本日(昨日?、もしくは一昨日)の“うつくしい風景”。

2008年2月28日 産経新聞(Net View)より2008.02.28.sankei.04

2008.02.28.sankei.05


つれづれの風景 | 【2008-02-29(Fri) 00:27:25】
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駄洒落と中華思想
 日本悪い。日本悪い。日本悪い。

 “が”“は”“も”ではこのように意味合いが違ってしまう。日本人ならば何となくその微妙な違いは分かるであろう。似て非なる表現である。と思う。何せ「概念の分け方」は人それぞれであるので自信はない。
 あくまでも私見ではあるけれども、「日本悪い」とか「日本悪い」と考えている人はまだしも、「日本悪い」と考えている人たちはどこか精神的に欠陥があるのではないかと疑ってしまう。“が”には“断定・強調の意味合い”が強い。「日本(だけ)が」“無意識の主張”が感じられる。対して“は”“日本は悪い(と私は思うけれどもあなたはどのように考えるのか?)”というような“非断定的”な表現であり、“も”にいたっては完全な“否断定的”な表現になる。“日本悪い、ということによって明らかに日本以外の悪い存在を肯定している”ことになる。
 おそらく、“が”“中華思想”の影響を受けている助詞ではなかろうか。対して“は”は極めて日本的な“言の葉”である。口に出し見ても分かるように、何か“気が抜けて”いる。だから「日本…」という方々に「日本…」という人たちは論戦で勝てる筈がない。たとえ「日本…」と言い換えたところで無駄である。“も”ではさらに状況が悪化してしまう。
 “が”は断定であり絶対だ。それ以外の考え方を許さない。まるで“共産主義”“全体主義”の申し子のようである。だから“は”が一番無難であろう。人との軋轢を望まない御仁には“は”を多用することをおすすめする。決して“が”は使わない方がよい。
 とはいっても、不思議なことがある。自称“平和・平等・人権愛好家”の方々には“が”を多用する方が多いように思われる。もしかしたら“本心”は“平和”よりも“混乱”を求めているのかもしれない。だとすれば教え諭さなければならない。“は”の効能と“が”の弊害を。おそらく※“歯牙(しが)”にもかけられないだろうけれども。【※ちょっとした“洒落”のつもり。歯牙(しが)⇒“は(訓)”と“きば(訓)”⇒“湯桶読み”⇒“は(訓)”と“が(音)”。】

“中華思想”とは“牙(きば)そのもの”である。

 よって、“歯(は)”では対抗できない。

 やれやれ、何をつぶやいているのやら。少し反省。
 私は傲慢な中国(支那)“は”嫌いである。決して、支那(中国)“が”嫌いな訳ではない。韓国・北朝鮮“も”同じである。

つれづれなるままに | 【2008-02-29(Fri) 00:04:50】
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支那(中国)という国
 矢張り、“中国製品”は敬遠しよう。それが“自らの身の安全”、そして“世界平和の為”には重要である。出来れば“北京オリンピック”もボイコットした方が身のためだ。このような“お国柄”では何が起こるか分からない。

“NHKニュース”より
中国警察 中国の可能性は低い
2008.02.26.nhk.01 中国製の冷凍ギョーザに殺虫剤の成分が混入していた事件で、中国の警察当局は28日、記者会見し、実験で殺虫剤の成分メタミドホスは袋の内側に浸透することがわかったなどとしたうえで、中国国内で混入した可能性はきわめて低いという捜査結果を発表し、両国の捜査内容の違いが鮮明になりました。
2月28日 16時15分

これは、事件の捜査を指揮している公安省刑事捜査局の余新民副局長が、食品安全を管理する国家品質監督総局と共同で記者会見して明らかにしたものです。この中で余新民副局長は、冷凍ギョーザを製造した河北省の「天洋食品」について、生産工程や輸送過程には異常はなかったほか、冷凍ギョーザの包装の工程や、倉庫の管理などにかかわる55人の従業員を詳しく取り調べた結果、「メタミドホスを混入した疑いのある人物は見つかっていない」と述べました。また日本側が、メタミドホスが密封された袋の内側からも検出されていることを中国国内で混入した可能性が高い理由としてあげていることについて、濃度の異なるメタミドホスを袋の外側に塗る実験をした結果、袋の内側に浸透することがわかったと述べました。そして余副局長は「今回の事件は残留農薬に起因する食品安全の問題ではなく、人為的な事件だ」としながらも、「全面的で詳しい捜査と実験の結果、メタミドホスが中国国内で混入された可能性はきわめて小さいと考える」と述べ、日本の警察の見方とは逆に、中国国内で混入した可能性はきわめて低いという考えを示しました。また余副局長は、日中の捜査協力の現状について「日本側は、われわれが要求した、事件の現場や鑑定結果などを視察することに同意していない。たいへん遺憾だ」として、日本側の対応が十分でないと不満を示す一方で、「両国には協力や情報の交換を強化する責任がある」とも述べて、今後の捜査協力には前向きな姿勢を強調しました。28日の会見で両国の捜査内容に大きな隔たりがあることが鮮明になり、今後、事件の真相究明にはなお時間がかかりそうです。


 今回、中国当局が「中国国内で混入した可能性はきわめて低いという捜査結果を発表」した理由はただの“身勝手な面子”以外の何ものでもない。“面子”の為なら平気で“嘘”をつくし“恫喝”さえも平然と行う。それが“世界の中心”“中華”を誇称する“支那という国のお国柄”である。現在“そのお国柄”“中国共産党”によりさらにパワーアップされている。
 「日本側は、われわれが要求した、事件の現場や鑑定結果などを視察することに同意していない。たいへん遺憾だ」については“狡猾な支那の何時ものやり方”である。日本の“親中派の国会議員やマスコミ”の後押しを期待して“日本の調査技術”を盗もうとしている。そして“枝葉末節”にこだわって、時には“事実を捏造”して、“あれは違うこれも違う”とがなり立てる。結果“日本の調査結果(鑑定結果)はあてにならない(信用できない)”と喧伝し始める。このようにして“眼前の否定による暗黙の肯定”を繰り返す。そして、終いには「我々中国人こそが被害者だ。日本人こそ加害者だ」“被害者意識”を前面に出して、“責任”を日本へ押し付けてくる。正に“責任転嫁”“言い逃れ”“支那文明の遺産”であり“中国共産党の党是”でもある。
 今回の事件は、間違いなく“残留農薬等の様々な中国国内における諸問題に起因する食品安全の問題”であり、あくまでも“中国側の問題”である。少なくともその“本質”は、中国当局が言うような「今回の事件は残留農薬に起因する食品安全の問題ではなく、人為的な事件」などでは決してない。むしろ、今後も「人為的な事件」と支那側が執拗に主張し続けるのならば、“組織的な事件”であった可能性が高くなる。だとすれば何れ“犠牲者”が現れる。“人身御供”の犠牲者が。“支那の歴史”“本性”からはそのような現実を暗示させられる。

“NHKニュース”より
警察庁 看過できない部分ある
2008.02.28.nhk.02 冷凍ギョーザに殺虫剤の成分が混入していた事件をめぐる中国の警察当局の記者会見について、警察庁の吉村長官は「看過できない部分がある」と述べ、強く反論しました。
2月28日 19時5分

警察庁の吉村博人長官は28日の定例の記者会見で、中国側の会見の内容について「看過できない部分があるので説明したい」と述べました。そのうえで「中国側は『証拠の提供がなくてたいへん遺憾だ』としているが、捜査に役立つ資料や写真はすでに提供しており、『遺憾だ』というのは理解できない」と強く反論しました。そして、すでに中国側に提供したものとして、▽ギョーザの袋の浸透実験のデータ、▽「メタミドホス」の分析結果、▽袋に開いていた穴の写真、▽流通経路の捜査資料だと説明しました。そのうえで、中国側が求めている問題のギョーザや袋そのものは、今の時点では証拠品なので渡せないものの、容疑者が特定されるなど中国側の捜査が進めば提供したいと述べました。一方、日本側からも中国側に対し、▽過去に中国・河北省で起きた殺人事件などで犯行に使われた「メタミドホス」の分析結果、▽ギョーザの製造工場の内部のビデオ映像の提供を求めていますが、今のところ回答はないということです。また中国側が、会見の中で「中国国内での混入の可能性はきわめて低い」として実験結果を示したことについては、中国側に実験結果の提供を求めたいとしています。


 今回の“事件”を早期に解決する為にも支那(中国)側には以下の資料を早急に提出していただきたい。一人の日本国民からのお願いである。おそらく“国を挙げての偽造・捏造”の最中だとは思うけれども、いくら“偽造・捏造”しようが無駄である。もうその手は通用しない。今でも通用しているのは“南京大虐殺”ぐらいであろう。諦めて一日でも早く日本側へ提出していただきたい。出来れば“偽造・捏造”はせずに。
 
①過去に中国・河北省で起きた殺人事件などで犯行に使われた「メタミドホス」の分析結果
②ギョーザの製造工場の内部のビデオ映像
③「中国国内での混入の可能性はきわめて低い」とした実験結果


アジアの特定三国 | 【2008-02-28(Thu) 21:16:43】
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分かったような分からない話
 何か目から鱗の短い文章。偶然訪れたHPに書かれていた。結局、“複雑多彩な世界”を“概念的に切り取り、分ける”から“分かり合える”。何か“分かったような分からない”話。

“sushi-kuinee (Su-sanの ライブラリー)”より

人間は「ことば」によって、複雑多彩な世界、ものごとを概念的に切り取り、分けている。ことばによって「分けられる」から、ものごとが「分かる」ようになっている。

 「分けられる」ものは千差万別。「分けられ方」も人それぞれ。これでは“分かり合える”はずはない。文化・文明、時代や統治形態によっても「分けられ方」は異なるであろう。その他にも“ものごとの概念的な切り取り方”が違ってしまう要因は、星の数ほどありそうだ。ということは、“分かり合える”ことは夢のまた夢。永遠に“分かり合える”ことはなさそうだ。
 しかし、それでは困ってしまう。世の中の安寧のためには“分かり合う”ことが大切である。“分かり合えない”からこそ未だに“イエス・キリスト”と“マホメッド”は世界のあちらこちらで多くの悲しみを作りだしている。「分けられ方」が違っているのであろう。
 矢張り“寛容の精神”は重要だ。“ゆるす心”、いわば“あいまいな精神”が必要となろう。地球上に暮らす全ての人たちが幸せになるためには白を白としない、黒を黒と断定しない“中間色の心意気”が必要になる。だとすれば“日本の心”は宝物だ。“はっきりしない”とか“にえきらない”とか“何を考えているのかわからない”等といくら非難されようが世界中に“日本の心”を教え諭していくことが大事である。そうすれば地球上から争いはなくなる。仏様もキリスト様もマホメッド様も神様には違いはない。“八百万の神”が世界を幸せにする。この“日本の心”を世界へ広めていこう。それが“日本・日本人”の“使命”なのかもしれない。
 と、以上“分かったような分からない話”のほんの一幕。何れ、二幕、三幕とつぶやき予定。

つれづれなるままに | 【2008-02-28(Thu) 00:02:42】
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グレートバリアリーフ3
 うつくしいけしき。「海の熱帯雨林」。
 “きれい”は純然たる大和言葉ではなさそうだ。やはり“うつくしい”が似合っている。“きれい”ではないが“うつくしい”。こんな表現も出来るかもしれない。大和言葉(日本語)は奥が深い。別の言い方をすれば“あいまい(曖昧)”だ。白でもなければ黒でもない。“灰色の中間色”が日本的なのであろう。
 “けしき”は平安時代から使われている“大和言葉”であるらしい。けれどもルーツは支那(中国)語の「気色」。日本に渡来し日本の色に染められた。衣替えした大和言葉。まだまだ色々とありそうだ。“きれい(綺麗)”、“ふうけい(風景)”、“ふぜい(風情)”も同じ“衣替えした仲間”のようだ。

“やまぐち景観セミナー基調講演 「日本人の景色」(pdf)”

京都大学大学院 樋口 忠彦 教授

2 『けしき』と『風景』と『景観』

● 景観に関わる3つの言葉
景観に関わる言葉は、たくさんあります。まず、『けしき』ですが、平仮名で書かれたり、「気色」あるいは「景色」という形で書かれたりします。「気色」は、中国から入ってきまして、日本では平安時代の初期には平仮名で「けしき」と大和言葉になりました。「景色」は、近世に入ってからよく使われるようになった言葉であります。
『風景』も中国から入ってきた言葉です。これは現在よく使われてはいますが、歴史的にはほとんど使われていません。漢文に堪能なインテリ層のみが使っていたようです。一般化するのは明治以降です。
『景観』は、歴史的の浅い言葉です。明治時代にLandshaft(ドイツ語)・Landscape(英語)・Paysage(フランス語)を翻訳するために、『けしき』や『風景』でなく『景観』としたのです。『景観』は、学術用語として、学術的な世界で使われていた言葉で、一般に使われるようになるのは1980年代でしょう。


2008年2月27日 産経新聞(Net View)より2008.02.27.sankei.04

2008.02.27.sankei.05


つれづれの風景 | 【2008-02-27(Wed) 22:32:15】
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支那の本性とマスメディアの実体(TBS)
 “支那の本性”“マスメディアの実体”“ネットで情報を取捨選択”したりそれなりに“種々雑多な著作・論説・論考”を読まなければ分かりにくい。なぜならば西村氏が指摘されているように殊に日本の大手マスメディアには「日本人に降りかかる被害をメディアが情報操作して隠し続けるという共通点がある」からである。その理由は“様々な利権・権益”が絡んでのことではあると思うけれども、いくら“情報操作”がマスメディアの常だからといっても、それは“国民の知る権利”を自ら奪う行為であり、国民の“生命財産”さえも脅かす愚行でもある。
 何時のことかは忘れてしまったが、アメリカで“フリーズ”の意味が分からなくて射殺された日本人の青年がいた。“現実の支那(中国)人の実体と支那(中国)語”を勉強できる絶好の機会であったにもかかわらず、それを“嘘”をつき誤魔化していたのではせっかくのチャンスも台無しだ。これではマスコミが非難する“戦前戦中の報道体質”と何等変わりはない。あの時は“大本営”、そして今回は“中国当局”の恫喝の所為で“事実・真実”を語ることが出来なかったと“言い訳”をするつもりであろうけれども、それでは余りにも情けない。そのような“権力に阿る事大主義的な報道姿勢”が先の大戦をもたらした一つの大きな原因であることをいい加減に悟るべきである。もし今後中国で日本人が「殺狗(サーコゥ)!」と罵倒され恫喝された時、“逃げ出す”ことが出来なければ命の補償は出来なくなる。もし最悪の状況が発生してしまった時にマスコミはどのようにして責任を取るつもりでいるのか。「殺狗(サーコゥ)!」「中国チームを応援する声援です」とか「支那代表監督への罵声です」等といくら強制されたとはいえ解説しているようでは自ら“責任”を感じて報道しているとは思えないが。まして“中国当局の所為”にするにしても“中国当局”“強制”を認めるはずがないことは分かりきったこと。しらを切られるのが落ちである。少なくともマスメディアに在籍し録を食んでいながら“知らなかった”とは云わせない。最近の“毒入り餃子事件”だけを見ていても“支那の本性”は如実に現れている。
 たとえスポーツの世界のこととはいえ、今回の“東アジアサッカー選手権での支那(中国)選手の蛮行”、及び“U-19国際親善トーナメントの比嘉厚平選手の悲劇”等は正に日本人にとっての“教訓”である。その“大切な教訓”を学ぶためにも、そしてその“教訓を活かす”ためにも先ずマスメディアには“気概”を持って“嘘”をつかずに“事実・真実”を報道してもらわなければならない。“情報操作”等はもってのほか。“イージス艦・あたご”絡みの“防衛省”だけがいけなくて“マスコミ”だけが許されるでは正義も何もあったものではない。情報を判断するのは私たち一人ひとりの国民である。
 何かマスメディア人には“選民思想(エリート意識)”が蔓延しているような気がしてしまう。“私たちは選ばれた民である。一般民衆に情報を取捨選択する能力は無い。だから我々が取捨選択して価値ある情報を提供してあげている。”等と思われているのではないかと日頃の“マスコミの報道”に接していると感じることがある。
 とはいっても、“価値ある情報”であるのならばそれはそれで悪いことではないと個人的には考えてはいるけれども、何せ“無価値な情報”“有害な情報”が巷には溢れかえっていて、中には“情報洪水”の中で溺死寸前の方たちもいるようだ。私も泳ぎは余りうまい方ではない。だから“価値のある情報の取捨選択”“人助け”にもなっているのではないかと私は思う。
 しかしである。“嘘”だけはいただけない。“事実・真実の偽造・捏造”だけは止めてもらいたい。いくら金儲けのため、利権のため、生活のためとはいえそれでは余りにも“視聴者・読者を愚弄”している。
 「殺狗(サーコゥ)!」は確かに「中国人チームを応援する言葉」なのかもしれないが「犬畜生を殺せ!」という意味であることも解説してもらいたかった。
 今からでも決して遅くはない。マスメディアに勤めている方々にはこれからは是非“事実・真実”の報道に専念していただきたい。一人の視聴者兼読者からのお願いである(※朝日・毎日系はほぼ諦めてはいるけれども)。

“酔夢ing voice”より

2008年02月25日
川淵会長と福田首相には、脱「特定アジア」宣言が必要

支那の毒餃子テロと重慶で行われたサッカー東アジア選手権は全く同じ構造を持っている。二つの凶事(まがごと)は、同じ構造の中から生まれたことに留意しなければならない。

第一に、これらは支那でなければ起こり得ない凶事だったことだ。根底にあるのは、支那人の侮日・反日感情であること。元来、支那人が持っていた侮日感情に火を注ぎ、異常な反日感情を醸成したのが江沢民による反日教育であること。

そして、第二に、そういう構造を日本のほとんどのメディアが隠蔽していること。しかも、日本のメディアが無意識の内に支那の情報操作に見事に引っ掛っているケースもあること。さらに、日本人に降りかかる被害をメディアが情報操作して隠し続けるという共通点がある。…

…実際、1月28日にカタールで行われた、カタールU-19国際親善トーナメントの対支那戦で、日本ユース世代の期待の星である比嘉厚平選手(柏ユース 17歳)は、サッカー競技のアクシデントとして常識では考えられない大怪我を負わされた。…

…それにしても、東アジア選手権の日本メディアの報道の拙劣さは言語を絶する。TBSの実況は言わずもがなで、ブーイングの音量をかき消す国歌演奏の音量には触れず、対支那戦では土井アナウンサーが何回も強制されたように、日本への罵声を「これは中国チームを応援する声援です」と不自然に繰り返した。おまけに、支那人観衆が「殺狗(サーコゥ)!」と大合唱しているにもかかわらず、「支那代表監督への罵声です」と変な解説をつける。
「殺狗(サーコゥ)」とは「犬畜生を殺せ!」という意味で、日本人サポーターと日本チームに向けられた言葉だった。

“柏レイソルオフィシャルサイト”より

比嘉 厚平選手の負傷について

 比嘉 厚平選手(MF、17歳)が、カタールU-19国際親善トーナメントの1月28日の中国戦で負傷し、検査の結果、左膝前十字靱帯損傷、左膝半月板損傷、右膝半月板損傷と診断されました。

 比嘉選手は、3月3日(月)に千葉県内の病院で手術を受ける予定で、トレーニング合流までは、術後7ヶ月程度を要する見込みです。



アジアの特定三国 | 【2008-02-27(Wed) 18:38:00】
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体質改善
 不思議だ。あんなに騒いでいた「中国餃子事件」「沖縄米兵事件」の報道が「三浦和義・再逮捕」で影が薄くなってしまっている。何で日本のマスコミはこうも極端なのだろうか。方や既に日本の司法では終わった問題。方や「日本人の生命財産」に関わる現在進行形の問題。どちらが重要な問題であるかは明らかであろう。にも拘らず相変わらずの報道姿勢。これでは“守銭奴”“権力の手先”といわれても仕方がない。日本のマスコミは。
 今の日本には“忌み嫌われている戦前戦中”と変わってないものが少なくとも三つある。一つは“政治家の体質(派閥体質と党利党略至上主義)”。もう一つは“官僚体質”。そして最後の一つは“マスコミ体質”。この三つが社会を混乱に突き落とす“諸悪の根源”である。“メタボリック”をどうのこうのいうよりももっと大切な“体質改善”はここにこそある。
 この三つの基本体質に共通する病原菌は“自己保存ウイルス”であり、その症状は“他人様のことが見えなくなる”ことで一致している。いわば“国民不在体質”でもあり“癌細胞”の特質と何か酷似している。自らの権益を漁りながら終いには自らの生存根拠を失ってしまう。これを専門用語では“エポトーシス”とでも呼ぶのであろうか。仏教用語では“色即是空、空即是色”とでもいうのかもしれない。
 矢張り“体質改善”は必要であろう。“自覚症状”はいたるところに現れているので後は治療に専念するだけでよい。ただ“特効薬”が見つかっていない。“鳥インフルエンザ”のように“ワクチン”の開発には未だ時を有するようだ。“パンデミック(感染爆発)”が起きてからでは手が付けられなくなる。早めの処方が大切だ。“エピデミック(地方流行)”の内に是非とも完治させたいものだ。直ぐには“完治”できないにしても“抵抗力”さえ身につければ後は何とかなる。
 その為には“国を愛する心”“公の精神”の涵養が役にたつとは思うのだけれども、“素人療法”と非難の的にされてしまいそうな気もする。結果、“体質改善”は今の日本にはまだまだ“高嶺の花”か。

凡人の独り言 | 【2008-02-27(Wed) 12:53:24】
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公“損”法人
 恥ずかしながら、“特殊法人”“独立行政法人”の違いがよく分からない。ということで早速調べてみた。“総務省のホームページ”には以下のような説明文が掲載されている。要は“政府(政治家)”が管轄する“公益法人”を“特殊法人”と呼び、“各府省(官僚)”が管轄する“公益法人”を“独立行政法人”と呼称する、とも言えそうだけれども、ことはそれほど単純なものでもないらしい。

特殊法人とは

特殊法人とは、政府が必要な事業を行おうとする場合、その業務の性質が企業的経営になじむものであり、これを通常の行政機関に担当させても、各種の制度上の制約から能率的な経営を期待できないとき等に、特別の法律によって独立の法人を設け、国家的責任を担保するに足る特別の監督を行うとともに、その他の面では、できる限り経営の自主性と弾力性を認めて能率的経営を行わせようとする法人をさします。
総務省行政管理局では、特殊法人の新設、目的の変更その他当該法律の定める制度の改正及び廃止に関し、審査を行っています。

独立行政法人とは

独立行政法人制度とは、各府省の行政活動から政策の実施部門のうち一定の事務・事業を分離し、これを担当する機関に独立の法人格を与えて、業務の質の向上や活性化、効率性の向上、自律的な運営、透明性の向上を図ることを目的とする制度です。
総務省行政管理局では、独立行政法人の新設、目的の変更その他当該独立行政法人に係る個別法の定める制度の改正及び廃止に関する審査を行っています。

★独立行政法人通則法(平成11年法律103号)(抄)
 第 2条 この法律において「独立行政法人」とは、国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人をいう。


 “特殊法人”35法人(平成20年1月1日)。“独立行政法人”102法人(平成19年10月1日現在)。合計で“137”の少なくともその“割合・金額”は別にしても“国民の税金で運営されている法人”があるようだ。
 前掲の「特殊法人向けに発行する財投債などを含めた国債残高は」の記事の文言が気に掛かる。“国の借金の大部分を占める国債残高(8割)”のうちいかほどが“特殊法人の借金”で、“独立行政法人の借金”はあるのかないのか。あるとすれがどのくらいか。そしてそれ以外にどのような“借金の主体”があるのか。先ずはそのことを知りたいと思う。
 以前に“独立行政法人の財務諸表”を眺めていてやたら“役員(勿論、その多くは天下り)の数”が多く、“人件費の割合”が高いことに気が付かされた。それと民間企業ならば考えられないことではあるけれども“期間収益”が計上されておらず、要は“赤字”であるにも関わらず、確りと“役員報酬”が支払われていた。“公益法人”とはそういうものだろうとの思いもあり、深くは考えることをしなかったけれども、「国民一人当たり655万円の借金」があり「国の借金の8割が“財投債”」と改めて聞かされてしまっては、矢張り“財投債”の担い手の“公益法人”のことが気に掛かる。“独立行政”にしろ“特殊”にしろ“公益法人”であることには変わりはあるまい。その“公益法人”「国民一人当たり655万円の借金」を作り出している。これではとても“公法人”とは呼べない。“公法人”が正しい呼称となろう。勿論、借金をしても確りと返済してくれていれば何等問題はない。ただし、返済が滞っている“財投債”も数多くあるようだ。しかも、中には“国民の税金”を使って既に“損金処理”してしまったものも、あるようである。
 “国民の税金”を使って“損”を出し、その“損”を穴埋めするためにまた“国民の税金”を使う。そして“損を垂れ流す法人”からは“給与”をもらい、“天下り”を繰り返して“多額の退職金”を何度も手にする。それらの“源資”は全て“国民の税金”である。それでいて“(消費)税率アップ”などとは片腹痛い。“片腹痛い”どころか“両腹”も痛いし、“頭”も痛くなる。
 ということで、今後も時たま“つぶやき”ながら少しずつでも学んでいきたい。“公益法人・公人(政治家・官僚・公務員)の実体”を。
 “反日日本人の正体”“公益法人・公人(政治家・官僚・公務員)の正体”を今後一つの“ブログテーマ”にしようかとも考え始めている。しかし、何でこんなにも“官僚の文章”とは“うつくしくない”のであろうか。はっきりいって“判り難い”。読むのが“時間の無駄”だとさえ感じてしまう。もしかしたら“それが狙い”かもしれないけれども。“八方美人の事なかれ主義の責任逃れの言い訳の為の文章”としか私には読み取れない。正直、“官僚”の方々の文章は“法曹界”の方たちの文章と“悪文”の一・二位を争っている、と私は思っている。出来れば“夏目漱石”や“川端康成”氏のような“うつくしい文章”を読みたいものだ。

凡人の独り言 | 【2008-02-27(Wed) 00:48:40】
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グレートバリアリーフ2
 “きれい”な風景。“きれい”も大和言葉らしい。

2008年2月26日 産経新聞(Net View)より2008.02.26.sankei.01

2008.02.26.sankei.02


つれづれの風景 | 【2008-02-27(Wed) 00:46:57】
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japin(ジャペイン)
2008年2月26日 産経新聞(Net View)より

2008.02.26.sankei.04 思わずひざを叩いてしまった。「japain(ジャペイン)」。今後は私も時たま使わしてもらおう。それにしても“英紙エコノミスト”はものごとを客観的に見ることが得意のようだ。まぁ、“他人事”だからかもしれないが。何せ“他人”のことはよく見えるものなのである。古今東西、世の常として。

『英経済誌エコノミストの最新号(23日発売)は「japain」と題する巻頭論文を掲載。「japan(日本)」に「i」を書き加え「日本の痛み(pain)」を表した。』

「日本は自民党一党支配の国ではなくなったのに、政党が政権交代を争う状況にはほど遠い

「有権者は政治を正しく機能させるチャンスを求めている」

『 同誌は、米国の住宅バブル崩壊と日本の“失われた10年”を比較し、違いは政治システムにあると分析。住宅ローン担保証券市場の崩壊後、積極的な金融、財政政策をとった米政府に比べ、「日本政府は共犯として市場をあおった上、何年も失敗を隠した」とし、「日本経済は依然として政治家に縛られている」と強調した。』
2008.02.26.sankei.05
「日本が一番輝いていた半世紀の間、政権を握り、今も利権マシンであり続ける自民党は経済構造改革に取り込むのを放棄した
>「自民党も民主党も現代的な改革派と、古い体質の守旧派がねじれを起こしている。かつて改革派だった民主党の小沢一郎代表も今では古い自民党のボスのようだ」

「これは利権政治屋の議論。有識者の選択が大混乱であるなら、混乱させよ

 考えさせられることの多い論考であると思う。ただし、“日本・日本人”に対しての“認識不足”が数箇所ある。先ずは「有権者は政治を正しく機能させるチャンスを求めている」
 日本の有権者は「求めている」のではなくて「諦めている」。だけれども「若干は期待」している。「求める」というような“能動的な姿勢”は余り持ち合わせていない。むしろ「待ち望んで」はいるかもしれないけれども、あくまでも“受動的”「与えてもらう」のを待っている。その点では“我慢強い有権者”である、“日本の多くの有権者”は。また、“認識不足”とは反対に大いに喧伝していただきたい“事実”がある。日本の有権者は忘れやすい。良いことも悪いことも直ぐ忘れてしまう。そこが日本人の好いところでもあれば悪いところでもある。「日本政府は共犯として市場をあおった上、何年も失敗を隠した」。この“事実”は大声を出して叫んでいただきたい。多くの日本の有権者は忘れてしまっている。そして『…「日本経済は依然として政治家に縛られている」と強調した。』 については、少し補足をつけ加えていただきたい。確かに「日本経済は依然として政治家縛られている」かも知れないが「政治家が官僚に縛られている」ことも忘れないでいただきたい。悲しいことに未だ日本は“官僚内閣制”のお国柄である。
2008.02.26.sankei.06 後、「…今も利権マシンであり続ける自民党は経済構造改革に取り込むのを放棄した」についても、もう少し具体的に説明していただきたい。「…自民党は経済構造改革に取り込むのを放棄した」と書かれると誤解を生じる恐れがある。正確には「…福田政権(福田自民党)は経済構造改革に取り込むのを放棄した」が正しい。下記で指摘されているように「自民党も民主党も現代的な改革派と、古い体質の守旧派がねじれを起こしている。」のだから、“ねじれ”が繰り返されれば自民党の中でも「現代的な改革派」が実権を握る可能性もある。“日本の有権者”はそのことを“受動的に期待”している。
 「…かつて改革派だった民主党の小沢一郎代表も今では古い自民党のボスのようだ」にいたっては“目から鱗の発言”である。いわれてみれば確かにそうだ。“自民党の小沢一郎氏”が戻ってきた。だとすれば期待が出来る。“壊し屋の小沢一郎氏”のその力に。出来れば“民主党”も“自民党”も“ぶち壊し”て、そこから“二大政党”を創っていただきたい。このことが“良識ある日本の有権者”の多くが一番に望んでいることであろう。
 いくら「…有識者の選択が大混乱であるなら、混乱させよ」 と仰っても、日本の有権者は「混乱」は余り好まない。だから“ねじれ現象”に期待して“じっと待つ”ことが“日本の有権者”には似合っている。このことが良いか悪いかは別にして“日本的民主主義”の現状とはそのようなものだ。
 いずれにしろ“日本の有権者の大多数”は今の“民主党”には期待はしていない。だからといって“福田自民党政権”に期待が出来るわけでもない。ここに「japain(ジャペイン)」の核心がある。だから、一方では“壊し屋の小沢一郎氏”に期待することにもなってしまう。

凡人の独り言 | 【2008-02-27(Wed) 00:41:31】
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72年後の2月26日に想う
「国の借金838兆円」

「国民一人当たり655万円」

 内、「特殊法人向けに発行する財投債などを含めた国債残高は」

「678兆6416億円(80%)」

 そして、「さらに借金が膨らむ見通し」、とのこと。言葉が出ない。“つぶやく”ことが出来ない。
 今日は“2月26日”。即ち“2・26”“72年前の憤り”。何か分かるような気がする。

“蹶起趣意書” 
昭和11(1936年)年2月26日 陸軍歩兵大尉 野中四郎

…然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。…


天誅!

s008年2月26日 産経新聞(Net View)より2008.02.26.sankei.03


凡人の独り言 | 【2008-02-26(Tue) 19:03:28】
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反動形成(防衛機制)
 最近、時々考えることがある。一言でいってしまえば“日本悪玉史観”についてである。何故“日本軍の戦争犯罪”、そしてその“残虐性”を声高に叫ぶ人たちは何時まで経っても“事実・現実”を見つめることが出来ないのであろうかと。
 “南京大虐殺”を例にとれば、“肯定派”は必ずといって良いほどその証しとして“日本軍人の証言”を取り上げる。ただし、あくまでも“少数”“私は中国人を虐殺した”という証言だけを取り上げて、“圧倒的多数”“南京大虐殺などは有り得ない”という証言には耳を傾けようとしない。“戦争”を体験していない者が“戦争”を語り、多くの“戦争体験者”は沈黙し続けている。そしてまた“反日”を唱える多くの方々は“事実を確り認めることが必要だ”と言いながらも“支那軍”なり“連合国”側の残虐行為の“事実”については目を瞑って棚上げにしている。それでいて“歴史は正しく理解しなければいけない”という。あくまでも非難の対象は“日本軍の残虐行為”だけに絞られる。“過ちは認めることが大切である”ともいいながら“原爆投下”“連合国側の無差別爆撃・残虐行為”については余り語ろうとしない。語ったとしても“因果応報”“日本軍の戦争責任”をそしてその“残虐性”をここぞとばかりあげつらう。“戦争”というものの“実体・本質”を語ろうとすると意地になって“枝葉末節”にこだわって“針小棒大”な話を語り始める。そして終いには“原爆投下”“無差別爆撃”でさえも“日本軍の所為”だとまで主張する人まで現れてくる始末。何が何でも“悪いのは日本・日本軍”としなければ気が済まない。
 私はこのような人たちを“倒錯した精神疾患者”であると考えている。そして、その本質的な要因は心理学で言うところの“反動形成(防衛機制)”が関係しているのではないかと思うようになってきた。

“反動形成(防衛機制)”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2008-02-26(Tue) 00:14:07】
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グレートバリアリーフ
 “うつくしい”景色。
 “うつくしい”は“やまとことば(大和言葉)”。大和言葉は美しい。その“美しい大和言葉”“あいまい(曖昧)な表現”として否定的に考えるお偉い先生もいらっしゃるようだが、ノーベル文学賞は受賞できても“うつくしい”“あいまいさ”の素晴らしさは理解できないようである。何事も“断定的”に理解しなければ気が済まないらしい。
 いざない(誘い)、あでやか(艶やか)、しらべ(調べ)、こころくばり(心配り)、たおやか(嫋やか)、しなやか(撓やか)、きらびやか(煌やか)、さわやか(爽やか)、すこやか(健やか)、すがすがしい(清々しい)、ときめく(時めく)、けなげ(健気)、しとやか(淑やか)、うるわしい(麗しい)、うるおい(潤い)、おもむき(趣)、そよぐ(戦ぐ)、かぐわしい(香しい・芳しい)、なごやか(和やか)、まどろみ(微睡)、そぞろ(漫ろ)、うつろい(移ろい)、うつつ(現)、等など。ついついコピペが多くなってしまった(“和ごころ やまと言葉への誘い”より)。
 矢張り「“やまと”の”ことのは”は“うつくし”い」

2008年2月25日 産経新聞(Net View)より2008.02.25.sankei.01

2008.02.25.sankei.02


つれづれの風景 | 【2008-02-25(Mon) 19:43:43】
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日本は無関係
2008年2月25日 産経新聞(Net View)より

2008.02.25.sankei.03 日本人も是非学んで欲しい。このアメリカの対応を。理由が何であれ「日本の判決、米は無関係」
 “正義”にも色々とある。“法”は決して“正義”“同意語”ではない。“限りなく正義に近いと”思い込んでいるだけのただの“類義語”にしか過ぎない。ここのところを確りと理解しなければいけない。
 人の考え方に色々とあるように“法律”にも色々とある。“良い法律”“悪い法律”。それを判断するのは私たち人間である。
 その人間の考え方が千差万別である以上、人の作る法律も千差万別になってしまう。極めて当たり前の“真実”であろう。いくら“法治国家”とはいえ“国”によっても“時代”によっても“正義”は異なる。“正義”とはそういう一面を兼ね備えている。少なくともマッカーサーの“極東国際軍事裁判所条例”“良い法律”だったとは言えないであろう。
 兎も角、

「GHQの判決、日本は無関係」

 と、一度は言ってみたい。

凡人の独り言 | 【2008-02-25(Mon) 18:18:51】
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情報操作?
 この数日、日本のマスメディアでは“三浦和義(ロス疑惑)事件”で喧しい。少なくともそれまで騒がれていた“諸問題”、即ち“中国餃子問題”“在日米軍問題”“イージス艦事故”に関するニュース報道が総体的に少なくなってしまっている。“影”が薄くなりつつある。
 それぞれは“中国問題”“米国問題”、そして“官僚問題”とも言い換えることは出来るであろう。
 私はマスコミが“かまびすしく”なると眉に唾をつけることにしている。そして“前後のニュース報道”に注視することを心がけるようにする。往々にして“情報操作”が日常茶飯事的に行われていると疑っているからだ。そもそもマスコミは真実を伝える機関ではない。トヨタ自工や他の中国・ロシア進出企業と同じように“営利集団”であることには変わりはない。“事実・真実”は時として“企業利益”に繋がらない。“企業利益”はマスメディアに勤める方々の生活を豊かにする為の“基盤”でもある。誰でも“好い暮らし”はしたかろう。だから、マスコミ人が“真実”を伝えることに“躊躇”したとしても何等不思議なことではない。人間とはそれほど“エゴ”な存在でもある。
 このような“当たり前の人間理解”が未だにできていない人たちがいる。年齢が若ければある程度は仕方がないことかとも考えるけれども、マスコミから流される情報が“全て正しい”とは限らない。極論を言わせてもらえば“正しい報道”など在りようがない。何が正しくて何が正しくないかは“情報の選択”の問題ではなかろうか。
 “大本営発表”は時代の変遷と共に“狡猾さ”を増し現代でもいたるところで発せられている。そのように考えることが現代の“情報洪水”の世の中では特に必要ではなかろうか。少なくとも“中国当局”“米国大使館”“防衛省のお役人”、はたまた日本が嫌いな“親中”“親米”の方々は“三浦和義氏”“感謝”しているのではなかろうか。

三浦容疑者、一美さん銃撃で罪状認否 午後にサイパン裁判所でmsn産経ニュース
ロス事件「新証拠で逮捕」 米FBI、警察庁に回答asahi.com
三浦容疑者:日米の関心に「温度差」 ロスの新聞は地味毎日jp
三浦元社長の拘置質問、サイパンの上級裁で午後からYOMIURI ONLINE
三浦容疑者、移送手続き・領事と面会、不満訴えNIKKEI NET
ロス事件めぐり保釈審理 三浦容疑者、初出廷へ東京新聞

凡人の独り言 | 【2008-02-25(Mon) 12:50:04】
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官僚根性と経営者根性
 目から鱗の“官僚根性”。屋山太郎(ややまたろう)氏は私が尊敬する数少ない政治評論家のお一人。“お・く・や・ま”氏ではなくて“や・や・ま”氏。未だに間違って名前を記憶している御仁が居られるようだ。私もつい先頃まで“お・く・や・ま”氏と呼んでいた。
 屋山(ややま)氏によれば、“官僚根性”が相当な“悪さ”をしでかしているそうだ。「空港施設への外貨規制」もその一つ。官僚の「天下り先確保の為」の奇策(?)らしい。そして、現行の「官僚内閣制」の実情を嘆いていらっしゃる。

2008.02.21.sankei.02 「日本空港には元運輸審議官が天下り、途方もない給料をもらう一方、株主への配当は極端に少ない。」

「外資に買われると天下りも拒否されかねないと恐れた国交省が打ち出してきたのが、空港施設への外資規制だ。」

「それでも運輸官僚(国交省)は同空港会社に役員12人のうち5人もの常勤役員を押し込んでいる。「国の安全」を口実に外資規制をかけておけば、天下りの枠だけは確保できるとの思惑だろう。」

『この発想は「省あって国なし」そのものだ。外資導入という錦の御旗に背いても、天下りポストだけは確保したいという実に小さな動機で国策を考えるのが官僚根性だ。』
2008.02.21.sankei.03
 屋山氏は「資本は誰が持とうと有事の際には当該国の命令に従うという「行為規制」で十分なのだ。」と、その対応策を述べられた後、「これは①官僚がお膳立てをする②それを閣僚が追認する―という「官僚内閣制」の考え方そのものだ。こういう本末転倒の政治から脱却し「議院内閣制」を確立しようというのが、小泉、安倍以来この6年半の動きだった。」「町村氏は昔の小役人根性に先祖返りしているのだ。」と、「官僚内閣制」そのものを批判されている。そして、

『資本市場は良い資本も悪い資本も入ってくる。それを選別するのが経営だ。制度で守ろうという官僚資本主義の考え方は捨てよ。』

 と持論を展開されている。正に“正論”であると思う。そして“理想”であるとも考える。なぜならば、日本の経営者にはろくな者がいない。多くの“企業経営者”はただの“サラリーマン”であり“世渡り上手の事大主義者”にしか過ぎない。殊に大企業になればなるほどその傾向は強い。時代が変われば“経営者”としては失格である。今の日本にはそんな“経営者”が多いような気がする。だから、とても“資本の選別”“経営”に任すことなど出来そうもない。
 そのような“実体”を思い浮かべてみると、“企業経営者”よりも“国家官僚”の方がまだましかもしれない。だとすれば“官僚資本主義”は是非とも必要になる。さもなければ“日本(国家)”が無くなる。“官僚”にとっては“日本(国家)”は必要であろうけれども、“サラリーマン化した資本家・経営者”にとっては“日本(国家)”等はどうでもよい存在だ。「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」。あくまでも“資本意識”が優先して“国家意識”は薄弱となる。そのような“経営者”が今の日本では大きな顔をしている。このような状態ではとても“見えざる手”に国民の生命財産を委ねることは出来ない。そこのところが“心配”である。
 したがって、“官僚根性”“経営者根性”もどっちもどっちとしか思えない。要は日本人一人ひとりの根性を叩き直さねば二進も三進も行かないのが今の日本の悲惨な現状であると私は考えている。先ずは“日本を愛する心”、これを養うことが先決であろう。それまでは“官僚資本主義”に縋るしか手はないのではなかろうか。また、それだけの“自覚”を持ってもらいたいものだ。“官僚”の方々には。そして実績を作っていいただければ、いくら天下りして私腹を肥やそうが国民は文句を言わない。やることをやってくれていないから文句を言うだけである。“薬害”も無く、“拉致”も無く、“税金の無駄遣い”もせずに“国民の年金”を横領せずに確りと管理運用してくれてさえいれば文句の言いようがない。勿論、それだけではないけれども。
 いずれにしても、そのくらいの“気概・やる気”を持って官僚の方々には仕事をしてもらいたいものだ。そうすれば“官僚資本主義”も決して悪いものだとは思えない。もしかしたら“官僚資本主義”こそ“日本型資本主義”“真髄”なのかもしれない。ただし、その場合も「官僚内閣制」だけはいただけない。あくまでも「議員内閣制」に則った“官僚資本主義”でなければ矢張り本末転倒である。

凡人の独り言 | 【2008-02-25(Mon) 00:45:17】
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国民の税金で生活するのを辞めて貰いたい。
  “一燈照隅 ”さんの“正論”“亡国の政治家”“民主党小沢一郎党首”。“一体何を考えているんだ?”、と思うのは普通の疑問。要するに“何も考えていない”が結論となろう。勿論、“党利党略”以外は。

“日本国首相より忙しい小沢さん。”
小沢代表は以前、記者会見で「首相や大臣より忙しい」と息巻いていたが、なるほど、日本の為より支那や韓国の為に頑張らなければならないからだったのか。
支那、韓国にご用聞きに行っただけです。
「竹島の日」に行ったのだから、竹島のことを言う気もなかったのでしょうか。
小沢氏から見れば日本は普通の国でなく、日本人も普通の国民ではないようです。
外国に行ってこのような発言をする小沢氏は日本国国会議員ではないと言えます。
今すぐ国民の税金で生活するのを辞めて貰いたい。
そして、このような人間を代表に据えている民主党所属議員はどのように考えているのだろうか。


 このような政治家を“亡国の政治家”と呼び、その言動を“醜態を晒している”と表現する。未だに“民主党”“国民から支持されている”と勘違いをしているのであろうか。前回の国政選挙において、国民の多くは“民主党を支持”を表明したわけではなく、“自民党”“お灸を据える”気持ちで投票を行った。このように考えることが“良識ある大人の理解”であろう。ただ、幾らかの“敗戦利得者”“安倍政権潰しに決起”した“マスコミの情報操作”に騙された“お人よしの平和・人権主義者”の方々は率先して民主党に投票したかもしれないけれども、このような“醜態”を何度も何度も晒されていてはせっかくの“民主党支持者”も“自らの過ち”に気が付いてしまう。“民主党とは亡国の政党”だということが暴露されてしまう。“ノイジーマイノリティー”を甘言を使い懐柔して“サイレントマジョリティー”を敵に回す。“民主主義”とは“最大多数の最大幸福”を目指すのがその“政治的原則”だ。我が国日本においてはその“国民性”も作用して、現状「“最大多数”は“サイレントマジョリティー”」のなかにある。そのような“現実的な日本の姿”さえも理解が出来ていない。本当に“情けない政党”である。まあ、“旧社会党の残党”が屯している政党でもあるので致し方ないことかもしれないけれども。
 いずれにしろ、このような“こんこんちき”な“民主党”には“日本の行政権”を任せることは出来ない。出来得るならば、“日本国”を愚弄し“外国人”に自らの国を売り渡そうと画策する“亡国の政治家”の方々には、“韓国”なり“中国”の国籍を取得してとっとと日本から出て行ってもらいたい。
 このような“亡国の政治家”“税金”で養うことは“無駄遣い”の一つである。“税金の無駄遣い”は何も“無能な官僚の養育費”だけではない。“亡国の政治家”“活動費”も私たち国民の大切な“税金”“浪費”であろう。

凡人の独り言 | 【2008-02-25(Mon) 00:34:26】
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小学生でもわかる当たり前の理屈
 “家族がいちばん”さんの“正論”“亡国の政治家”“民主党小沢一郎党首”“李明博次期大韓民国大統領”。このような“醜態”を繰り返し晒していたのでは“民主党政権”には日本を任せられない。

2008年2月24日 (日)
韓国大統領が日本のパチンコ規制にイチャモン!

『李次期大統領が小沢代表と会談、参政権付与など要請』(聯合ニュース)

「地方参政権を付与せよ」など余計なお世話もいいところですが、それ以上に許せないのはこれ。

李大統領『パチンコ産業の規制が変わり、事業を行っている在日同胞らが苦境にあると聞いた…関心を持ってほしい』

小沢代表『パチンコ産業については、帰国次第、民団側の話を聞いてみたい』

おいおい、パチンコはギャンブル性が高く公序良俗に反し実質的に違法だから規制されているわけです。日本と日本人を蝕む麻薬だから禁止すべきなのです。在日の方々をいじめるためではなく、韓国の大統領が日本に対して要求すべき問題ではありません。

だいたい、自分の国では禁止しておいて日本では禁止するなというのは無茶苦茶もいいところ。自国で禁止されていることを他国に強要というのは、アヘン戦争を起こしたイギリスと同じ理屈です。

それなら、韓国国内でパチンコを全面解禁し、日本のパチンコ業者を呼び寄せたらいい。

オザワンはそれに対して『帰国次第、民団側の話を聞いてみたい』ですか。なぜその場で当たり前の反論ができないのでしょうか。私の書いていることなんか小学生でもわかる当たり前の理屈、そんなこともわからずに野党の党首をやっているわけでもありますまい。


李大統領になっても反日は変わらないということです。まあ、北朝鮮の手先でなくなるだけましか、という程度でしょうか。



凡人の独り言 | 【2008-02-24(Sun) 14:00:14】
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橋杭岩(はしくいいわ)
 美しい日本の風景。

2008年2月24日 産経新聞(Net View)より2008.02.24.sankei.03
暁の光を浴びて海面にくっきりとした影を映し出す橋杭岩。美しく力強い姿に圧倒される =和歌山県串本町

2008.02.24.sankei.02
(※探訪;http://sankei-tanbou.iza.ne.jp/

つれづれの風景 | 【2008-02-24(Sun) 13:27:57】
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アシュリーちゃん
 久しぶりに“アシュリーちゃん”をテレビで観た。本名“Ashley Hegi(アシュリー・ヘギ)”ちゃん。1991年5月23日カナダ生まれの女の子。だから今年で17才になる。
 “プロジェリア(Progeria )”という遺伝子の病気については彼女を通して始めて知った。以前から“テロメア(Telomere)”という“時を刻む遺伝子”の存在のことは知ってはいたけれど、そしてまた、“早期老化症”という若くして老化が始まってしまう病気の存在も何かの本で読んだ記憶があり知識としては知ってはいた。しかしその現実を映像の形で目にしたのはおそらく“アシュリーちゃん”が初めてである。
 “プロジェリア”について“つぶやく”には今の私には余りにも知識が少なすぎる。“プロジェリア(早期老化症)は現代では不治の病で平均寿命が13才”ぐらいの知識しか持ち合わせてはいない。"アシュリーちゃん”についても同様だ。ただ、“アシュリーちゃん”の話す言葉を聞いていると、時たま“はっと”させられることがある。先程もTVの中で“プロジェリアの病気は神様が与えてくれたものだから大丈夫なの”と話していた。何か胸に突き刺さる言葉である。
 あるサイトに“世界のプロジェリアの子供たちに向けた、アシュリー・ヘギからのメッセージ”が掲載されていた。矢張り"アシュリーちゃん”の言葉には人生を深く考えさせられる不思議な力がある。

人生は不満を言うほど
悪いものじゃないから

私は悲しいとき
楽しかったことを思い出すの
友達のこと家族のこと
自分がどれほどラッキーかって
弟も私をハッピーにしてくれる
面白くてマヌケなの
悲しんだり怒ったりしないで
人生には楽しいことがいっぱいあるから
嫌なことは忘れて
新しい一日を迎えよう
人の役に立つことをすると
気持ちいいよ

( 世界のプロジェリアの子供たちに向けた、アシュリー・ヘギからのメッセージ。 )



つれづれなるままに | 【2008-02-24(Sun) 00:28:46】
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中華(中国)という国
 記事のタイトルは「勢力圏を睥睨したいのか」と何か勇ましいタイトルだ。勇ましく感じてしまうのは“睥睨”という“漢字”のせいでもあろう。支那大陸伝来の“漢字文字”は日本古来の“大和言葉”と違って問答無用の威圧的な迫力を醸し出す。もし論理に自信がないときなどは“漢字”を多用することをおすすめする。出来れば余り目にしない漢字とか二~四文字の熟語を使えば尚更文章に格調が出てくる。中身がなくとも立派に見える。誰も読めない漢字を使えば更に良い。これは日本が導入した支那文化の幸徳の一つかもしれない。
 それはさておき、今の中華人民共和国(中国)が「勢力圏を睥睨したい」と考えていることは、少し“支那”の歴史を紐解いた者ならば誰もが分かる“自明の理”である。「…いのか」等と疑問形にする必要はない。なのに何故「…いのか」なのか。大いに疑問を感じてしまう。この記事が“アサヒる系”の新聞ならばまだしも“産経新聞”なので疑問が増幅してしまう。
2008.02.23.sankei.03 記事によれば“支那の睥睨な姿勢”を以下の文章によって説明されている。

「中国側は司令官に対して太平洋を東西に分割して、東側を米国、西側を中国が管理することを提案」

「 彼は中国要人たちとの会談で、この太平洋2分割論や共同支配論を何度も聞かされたという。彼らは「米中だけでアジア秩序を作ろう」「アジアの未来は米中二極化だ」ともちかけた…」

「勢力圏とはつまり縄張りだから、新興ヤクザが「縄張りをよこせ」といっているに等しい。」

 そして、現状分析として「過去との国際環境の違いは経済の相互依存が高まっていることにある。」と語り、「中国の対外依存度を高めてやれば勢力支配の欲望は減退する。」と、結論を述べられている。

 もし違っていたなら失礼ではあるけれども、東京特派員の湯浅博氏は相当お若い方なのであろうか。文章の質から言うととても若い方とは思えないが、だとすれば“平和教に毒された団塊の世代”の方なのかもしれない。兎も角、産経新聞の記者の方の記事にしては珍しい文章である。
 もし、確りとした“支那”に対しての認識があれば「中国の対外依存度を高めてやれば勢力支配の欲望は減退する。」等との結論は容易く導き出すことは出来ない筈である。“支那の本性”を理解していればこのような子供でも分かる結論は導き出せない。いくら“対外依存度”を高めたところで何時の間にか“対依存度”に変容してしまうのが“支那”の本性である。“支那”“中国”と認識していたのでは仕方がないことかもしれないけれど、確りと“支那”の歴史を見つめることができれば“中華人民共和国(中国)”の素性も分かろうというもの。そうすれば、そこから“支那の本性”は理解できる。

2008.02.23.sankei.04

 兎も角、侮ってはいけない。敵は“中華”の国の“支那”なのである。“お人よしの日本・日本人”とは出来が違う。
 それと、一点明らかなる事実誤認が。支那(中国)の“睥睨な態度”を『…新興ヤクザが「縄張りをよこせ」といっているに等しい。』 と語っておられるが、支那(中国)は「新興ヤクザ」では断じてない。「ヤクザの老舗」である。ここのところは是非間違わないでいただきたい。

アジアの特定三国 | 【2008-02-23(Sat) 19:18:15】
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報道されない史実
 “報道されない史実”とタイトルを付けては見たものの、“産経新聞(Net View)”だけには報道されている。因みに他の新聞(ネット)で調べてみたけれども、矢張り“産経新聞だけ”の報道であった。呆れ返るのは“毎日jp”。“つぶやく”つもりでコピペはしては見たものの、余りのバカらしさに“つぶやく”のは止めにする(“続き”参照)。“宮城晴美”さんは“女性史家”と紹介はされているけれども、この記事の内容が事実であるとするならば“女性史家”とは“歴史家”のことではなさそうだ。おそらく“活動家”の別称であろう。
 とりあえず、今のところ“産経新聞でしか報道されていない記事(史実)”を以下に抜粋して転載する。

『戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの に引用されてきた。』

『…ただひとり生き残った女子青年団の宮城初枝さんが生前の昭和50年代に、「梅沢少佐の自決命令はなかった。戦後、遺族の方が援護法の適用を受けられるように、事実と違う証言をした」などと娘や梅沢さんに告白している。』

『 村長の解散支持が出された後の3月26日未明、宮平さん一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕に行った。そこで、秀幸さんが中隊長の中尉に忠魂碑前で自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
 宮平さん一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉から、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらったという。』


『 日本側の記録によれば、その後、いずれの将校も米軍に斬り込み、戦死している。』

2008年2月23日 産経新聞(Net View)より2008.02.23.sankei.02

『 座間味島では今も、宮平さんを含め、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。』

『…沖縄県の元援護担当者の照屋昇雄さんが「軍命令は遺族の援護法を適用するための創作だった」と証言し、軍命令説はほぼ否定された。』

『 文部科学省はこうした学問状況を踏まえ、日本軍に集団自決を強制されたとする断定的な教科書記述に検定意見を付けたが、検定意見の撤回を求める沖縄県議会の決議などに押されて、検定後の訂正申請で、軍の強制を意味する記述の復活を認める異例の措置をとった。』

“報道されない史実”の続きを読む>>
沖縄集団自決 | 【2008-02-23(Sat) 18:09:56】
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沖縄の一つの真実
『…これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集った住民を解散させて、避難させよ」と命じた。』

 “沖縄での集団自決を日本軍の強制”と声高に喧伝する人たちを良く見てもらいたい。殆どは戦後生まれの“戦争を知らない世代”である。“戦争を知らない人たち”が戦争を語り“戦争体験者”の話を“捏造(嘘)”だと非難する。あるいは“現在の価値観”で、はたまた“特殊な価値観”“日本の過去”を裁いている。いい加減“真実”が語られるべきだ。
 “日本悪玉史観≒左翼史観(マルクス史観)”こそ“諸悪の根源”である。“敗戦利得者”は悔い改めよ。

2008年2月23日 産経新聞(Net View)より2008.02.23.sankei.01


“敗戦利得者”“思考パターン”

        ①“沖縄での集団自決を日本軍の強制”と断定。
        ②“憲法改正”反対。
        ③“国旗掲揚・国歌斉唱”反対。
        ④“靖国神社参拝”反対。
        ⑤“南京大虐殺”の肯定。
        ⑥“従軍慰安婦”の肯定。
        ⑦“人権擁護法案”賛成
        ⑧“在日の地方参政権”賛成
        ⑨“竹島問題”・“尖閣諸島問題”・“北方領土問題”無関心
        ⑩“自由・平等・平和・人権”が合言葉。
        等など。

沖縄集団自決 | 【2008-02-23(Sat) 16:36:35】
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虚しい希望…
 マスメディア批判とか医療技術への慨嘆ということではなくて、“虚しい希望”という言葉に何か深く考えさせられてしまった。
 執筆者の久坂部羊氏は自らの医師としての老人医療現場での“現実体験”から発せられた言葉ではあろうけれども、結果、一人でもたとえ“虚しい希望”であっても“絶望”するよりは少しでも“希望”を見出せる方がそれはそれで良いことなのではないであろうか。
 勿論、久坂部羊医師は“絶望しろ”などとは一言も仰ってはおられない。そこで大切なのはいわば「あるがままを受け入れる心」であるという。

「あるがままを受け入れることは、決して後ろ向きなことではない。それは気持ちを切り替え、別の価値観に目を向けることである。若さや美しさや強さや健康だけが、この世の価値ではないだろう。執着で心まで麻痺させてはもったいない。」

 確かに「執着で心まで麻痺させてはもったいない」とは思うけれども「あるがままを受け入れる」ことは何にも増して難しいことである。“色即是空、空即是色”のような“悟り”の境地といっても過言ではないであろう。

2008年2月23日 産経新聞(Net View)より2008.02.23.sankei.05

 人生は“虚しい希望”の連続である。だからこそ“楽しい”と考えることも決して悪いことではないと思う。要は“達観”“諦観”の違いかもしれない。
 どんなに“無病息災”を誇ろうが“生老病死”は人生の常である。中には不慮の事故等で命を失う方もおられるだろうけれども、様々な困難や生命力の終焉に行き当たった時、“諦観”して“虚しい希望”を持ち続けるのか、“達観”して“あるがままを受け入れる”のかは個人、あるいはその時、身辺にいらっしゃる方々の“選択”の問題であろう。どのような生き方を“選択”するか。そこのところが大切であると私は考えている。
 齢半世紀を越えると色々と考えることが増えてくる。若い頃は“若さ”が永遠に続くものと勘違いしていた。だけれども、実際に“若さ”が減衰していく日常を実体験できるようになってくると“悩み”もそれに比例して増えてくるようでもある。ただし、若い頃とは違ってある程度は“抵抗力”も身につけており、歳相応に“精神も鈍感”になってきているようなので、余り深く悩み込まないで済んでしまっている。“諦観”なり“達観”の“精神的処方箋”のお陰かもしれない。若い頃はこの“処方箋”を持てずにいた。いざ試してみるとこれが結構効く。殆どの場合、私は“諦観”ではあるけれども。
 このような事情もあって、少なくとも今の私は“諦観”の処方箋を屈指した人生を送りたいと考えている。“虚しい希望”を抱きながら“ヒー、ヒー”いって生きていくのも楽しい人生ではなかろうか。
 出来れば“あるがままを受け入れ”“達観”した人生を歩みたいものではあるけれども、その為には今の私には人生修行がまだまだ足りないようだ。
 ここまで“つぶやいて”きて何か本来の“諦観”の意味を間違って解釈してしまっていることに気がついた。ここでの“諦観”の意味合いは、あくまでも「“達観”することを"諦め”た“心理状態”」ということで理解していただきたい。本来の意味では「あるがままを受け入れる」ことが“諦観”の境地なのかもしれない。
 何れにしろこのように色々と考えさせてくれる久坂部羊医師の記事であった。

つれづれなるままに | 【2008-02-23(Sat) 15:47:21】
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2007年10月10日設置
自戒の言葉