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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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お隣の国の「安全性」
 中国の“食の安全性”の問題が気にかかった。“そういえば他にも色々と…”。
 ということで記憶を頼りに少し調べてみた

“中国情報局NEWS”より

こんなにあった! 中国・過去の食品被害

2007年現在、中国産食品に関する被害が国内外から報告されているが、同様の被害は過去にも多くみられる。

04年、安徽省で悪質な粉ミルクを飲んだ新生児らの脳が肥大、または体の変形による死亡事件が多発、前年に違法業者の摘発や企業のブラックリストを公開するなどの対策をとっていた矢先の悲劇は、消費者の食品の安全性に対する意識を高めるきっかけとなった。

被害は国内だけにとどまらない。05年には輸入キムチをめぐって中国と韓国で「紛争」が勃発したほか、中国製ビールからは人体に有害な化学物質が検出された。日本でも02年に中国産の冷凍ほうれんそうから基準値を超えるクロルピリホスが検出され、輸入が事実上の停止となった。

中国側は、収穫から出荷に至るまでの過程を追跡する制度を取り入れるなどの再発防止対策を打ち出したが、安全性をめぐる問題は落ち着く気配がない。



①安徽省の粉ミルク事件
②中国産ウナギ問題
③中国で「ニセモノの塩」が氾濫
④「下水溝」から作られる中国製食用油
⑤中国産塩卵、カップ麺、フライドチキンに工業用染料
⑥中国に残る 髪の毛で造る「醤油」
⑦中国産の即席ラーメンを食べた学生2名が死亡
⑧基準値を超える農薬を使った中国産野菜
⑨中国製冷凍ギョーザ食中毒問題
⑩鉛が滲み出てくる中国産土鍋

と羅列してきてうんざりしてきた。その他にも、

⑪中国製玩具から禁止薬剤検出
⑫中国製歯磨き粉で死人
⑬中国製カゼ薬で死人
⑭中国製医薬品から毒性物質
⑮中国製ペットフードから毒性物質
⑯海洋汚染・大気汚染(光化学スモッグ)

等など、調べだしたらきりがない。そして、一般には余り報道されない事件として、

⑰白ごまにタールを塗って黒ごまとして輸入しようとした事件
⑱肉に色を塗って輸入しようとした事件

 「中国脅威論」は伊達ではない。既に世界中に“被害”を齎している。
 はたして原因はどこにあるのであろうか。正直、私はその“国民(民族)性”にあると考えている。いやはや“北京オリンピック”は大丈夫であろうか。矢張り“国際的イベント”を開催するのは早過ぎた。“未熟な国家”には荷が重過ぎる。

アジアの特定三国 | 【2008-01-31(Thu) 13:04:48】
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応援!
 久しぶりに“博士の独り言”を訪れてみた。何か大変そうである。
 目一杯“クリック”してきた。私にはこれぐらいの応援しか出来ない。今後も是非健康に気をつけて頑張っていただきたい。
 繰り返し“カミングアウト”するが、カテゴリー“凡人の独り言”は“博士の独り言”の“パクリ”である。
 “草莽の志士”はいたるところにいらっしゃる。日本も捨てたものではない。
 
「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

おそらく“博士”殿の心境であろう。

「敷島の大和心を人問わば、朝日ににおう山桜花」

勿論、それぞれは“吉田松陰”と“本居宣長”の作である。

凡人の独り言 | 【2008-01-31(Thu) 00:29:34】
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青い朝
2008年1月30日 産経新聞(Net View)より2008.01.30.sankei.02

 「型染め」もさることながら、“文章の美しさ”に驚愕させられた。久しぶりに“美しい文章”を読んだ。鳥羽美花さんは“染色作家”であるそうだ。天賦の才であろうか、それとも努力の結晶であろうか、一度はこのような美しい文章を描いてみたい。鳥羽美花さんは文章を正に“描いて”いる。

2008.01.30.sankei.03

 夜が開けきらぬ早朝、香河に浮かぶ小船のエンジンの音で目が醒めた。窓の外のわずかな明かりは少しずつ増していく。紫色の闇の中で、満々と水をたたえた香河がゆったりとさざめくことなく色を変えていく。
 紗で覆われたような朝の街を歩いた。香河から引き込まれた水をたたえたお濠、碁盤の目に区切られている街区、息をし始めた新緑の街路樹、そしてかつての皇帝の居城。すべてが、時が止まっているかのようだった。
 しばらくすると小さな川を横切る橋が現れた。そこにはまるで染料が拡散していくような、青い朝が展(ひろ)がっていた。
・・・
 皇帝がいなくなった後の王宮。城壁の緑には、時代を超えて栄枯盛衰を支えた人々の変わらない日常が、小さな川のように穏やかに、そしてたゆみなく流れていく。
 ここからいくつかの朝が、幾時代が明けてきたのだろう。
 静まりかえった水面に時代の光と影が映っている。今朝もまた川の流れとともに、水の都に新しい時が流れ始める。
(文 鳥羽美花)

つれづれなるままに | 【2008-01-31(Thu) 00:18:43】
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矢張り2。
2008.01.30.nikkeinet.01 これだけは確かなことである。中国側は“自ら非を認める”ことは決してしない。必ず“他人の所為”にしてくる。殊に“日本向け食品”で起こった“事件”であるので尚更だ。“反日教育”はこのようなときに生きてくる。
 “原料”の問題か“製造段階”での問題か、はたまた“流通段階”での問題か。原因は今のところ明らかになっていない。しかし、必ず“外国人の関与”を匂わせてくる。その場合、真っ先に便乗するのは“朝日新聞”であろう。
 もし、そのような報道がされ始めたら“眉につば”を充分につけて静観することが肝要だ。それと同時に“何等かの悪意を持った者が意図的に毒物を混入させた”等と報道しだしたら色々な意味で注意が必要である。
 先ずは、“何等かの悪意を持った者”とは“何者”なのか。そして“意図”とは。
 おそらく、中国側としては“日本人”が、あるいは“日本企業”“自らの利益の為”“中国企業”、及び“中国政府”を貶める為に行った“陰謀”である、と主張し始めることであろう。即ち“中国は加害者ではなく被害者である”ということを“何等かの権力”を使って押し付けてくる。
 そのような国なのである“共産党一党独裁政権の中華人民共和国”、そして“中華文明”というものは。
 私は中国(支那)人全てが嫌いなわけではない。寧ろ中国人は好きな国民の上位である。ただ“中国共産党”は嫌いである。“反日を掲げている方々”も大嫌いである。
 今回の”事件”に対して中国側が日本に何等かの誠意のある“謝罪”を行えば少しは“親中”になれるかもしれない。しかし、私が真の“親中”になるためには中国が“反日教育”を止め、歴史の捏造による“反日資料館”を撤去しない限り無理である。
 その為には一日でも早い“易姓革命”が中国には必要だ。“善意の民意”に期待するしかない。
 中国の“民度”を推し量るためには今回の事件は良い機会かもしれない。それにしても今は快復されているようだが重篤に陥っていた五歳の女の子の無事を祈るばかりである。

凡人の独り言 | 【2008-01-30(Wed) 23:41:28】
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矢張り。
2008.01.30.nikkeinet.01 “食品偽装”などで騒いでいる場合ではない。こちらは“人の命”がかかっている。
 もしかしたら“中国のメーカー”は既に存在していないかもしれない。そのような事件が以前に中国で起こっている。そういう国なのである“中国”という国は。
 人のことよりも自分のこと。“自己中心的な考え方”が支那人の“本性”である。自らの利益の為ならば“他人の命”さえも軽んじられる。“身内”に被害が及ばなければ良い。ただし、“身内”とは顔見知りの範疇で決して“中国(支那)人全般”ではない。これが“儒教思想”の唱えるところの“徳”でもある。
 これだから“中華思想”“儒教思想”に毒された国は信用ができない。そして、“善良な国民”もかわいそうである。
 “中華思想の国々”にも“まともな人たち”は数多くいる。そのような人たちの奮起に期待しよう。決して“他国”が管掌して解決できる問題ではない。自らの努力で解決していただきたい。

“日経ネット”より

冷凍ギョーザで10人食中毒症状・千葉と兵庫、5人が重症

 千葉県市川市で22日、中国産の冷凍ギョーザを食べた一家5人が下痢や嘔吐の食中毒症状を訴えて入院し、うち1人が重体、4人が重症となっていることが30日、分かった。さらに千葉市でも2人が症状を訴えたが、退院した。また兵庫県警によると、兵庫県高砂市でも家族3人が5日、中国産の冷凍ギョーザを食べて吐き気などを訴えた。既に全員退院している。

 ギョーザはいずれも中国の同じメーカーが製造したとみられ、千葉、兵庫両県警は製造過程で毒物が混入したとみて、殺人未遂容疑などで捜査を始めた。

 調べによると、発症した人が食べた中国産の冷凍ギョーザから、殺虫剤に使われる有機リン系薬物「メタミドホス」が検出されたという。〔共同〕 (17:07)



凡人の独り言 | 【2008-01-30(Wed) 19:43:33】
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対馬丸
 “イデオロギー”無しに心に刻み込みたい。

“対馬丸記念館”より

対馬丸の子どもたちからのメッセージ

今を生きているきみへ

ぼくらは、いまから60年以上前、戦争ばっかりの時代に生まれたんだ。

沖縄が危険になって、九州へ移動しようとしたんだけど
そのとき乗った船「対馬丸」は、アメリカの潜水艦に攻撃されて
沈んでしまった。
海にほうりだされたお友だちのなかには、なんとか生きた子もいたけど
波にのまれて、力つきて、海の底へ沈んでしまったぼくらのような子が
ほとんどだった。
ぼくたちは60年前のあのときのまま、
今もきみの目の前に広がる海の中にいるんだ。
ぼくたちはどうして死ななくちゃいけなかったの?
ぼくたちは、なにか悪いことをしたのかな。

ぼくらのような思いをする子が、もう二度とでないように、
今、ぼくらに約束してほしいんだ、平和に生きるって。

みんなは「平和」ってどんなものだと思う?
アイスクリームみたいに甘くて、おいしいものかな。
大切な友だちがいつもそばにいてくれること?
妹となかよく遊ぶことかな。
朝日にてらされながら学校に行って、
夕日にてらされながらお家に帰ることかな。
好きな子に「ぼくも(わたしも)きみが好きだよ」って
言ってもらったときかな。

きみがその「平和」を感じているとき、
この地球にくらす、たくさんのほかの子たちは、
「平和」を感じているかな。
今でもまだ、世界では
戦争で多くの子たちが悲しい思いをしているのかな。
想像してみて。

今、ぼくらに約束してほしいんだ、
きみが、平和な地球をつくるって。



大東亜戦争 | 【2008-01-30(Wed) 19:23:57】
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世界の共通語
2008年1月30日 産経新聞(Net View)より

20080130sankei01.jpg “映画「明日への遺言」”“サンタバーバラ映画祭”で上映されるらしい。アメリカの人たちはどのような感慨を持ってこの映画を鑑賞するのであろうか。矢張り“アメリカの正義”を誇示し岡田資中将を罵倒するのであろうか。何せ“38人のB29搭乗員等のアメリカ兵”を処刑した責任者であるのだから。
 私は是非そうあって欲しいと願っている。“岡田資中将はけしからん!と。決して許すことはできない!”と“アメリカの正義”とやらを叫んでいただきたい。
 さすれば、私は言い返したい。無差別爆撃、原爆投下、戦犯処刑、“学童疎開船対馬丸撃沈”等々、“アメリカの正義”とやらは一体何なのだ!と。
 映画「明日への遺言」は、はたして「世界の共通語」となれるのであろうか。

“世界の共通語”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2008-01-30(Wed) 19:06:38】
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戦争犯罪人?
 ふと思った。
 本来“戦争犯罪人の種類”を表す“A級・B級・C級”“A項・B項・C項”の表記が日本語としては正しい表記であろう。少なくとも“級”よりはその意味するところの含意を表現できる。“級”では誤った解釈の原因となってしまう。事実、多くの日本人は誤った解釈を当然のこととして行っているように見える。
 例えば、“罪”“C”よりも“B”の方が重く“A”が一番重いと。戦犯を“A級・B級・C級”と捉えていれば日本人ならば致し方ない。“級”という言葉にはそのようなランク付けの意味が含まれている。
 しかし、実際には“A級・B級・C級”は戦争犯罪を“区別”した記号であり決して犯罪の“程度(軽重)”を表した言葉ではない。したがって“A項・B項・C項”と考えることの方がより実態を理解する為には役立つ。“A級・B級・C級”と理解していたのではそこで考えが止まってしまう。なぜならば、私たち一般の日本人は“級”という言葉の中にその“軽重”を思い描き“A級戦争犯罪人”が一番罪が重く“極刑”を宣告されても仕方が無いと思い込んでしまう傾向がある。確かに“責任”の重さは大きいものがあるかもしれないが、事実は「平和に対する罪」で訴追されただけであり“罪の軽重”とは本来の意味においては関係は無い。
 因みに“A級(項)は「平和に対する罪」”であり、“B級(項)は「通例の戦争犯罪」”であり、“C級(項)は「人道に対する罪」”である。また、A級(項)は“戦争を計画した罪(共同謀議)”で、B級(項)はそれを“指揮・命令した責任”を問われ、C級(項)は実際に“手を下した者”が該当し連合国(GHQ)より訴追された。したがって、A級(項)は上級士官(大将)や政治家・官僚等であり、B級(項)は下士官が多く、C級(項)には一般兵が多くなる。
 このようなことからしても“A級・B級・C級”とするよりも“A項・B項・C項”と捉え直すことが肝要である。“A級・B級・C級”として考えていては隠されてしまう“事実”がある。
 少なくとも“A級戦犯”とは『「平和に対する罪」で起訴された者』を指し、実際には28名が起訴され病死等の理由により内25名が判決を下されている。極刑(死刑)判決は東条英機を含む6名の軍人と1名の文官(広田弘毅)の計7名が受け、絞首刑に処されている。
 いずれにしろ“戦争犯罪人”を未だに“A級・B級・C級”と呼称する風潮については“war of aggression(アグレッション)”を“侵略戦争”と訳して平然としている人たちと同様な何か“政治的な臭い”を感じてしまう。
 尚、現行、日本の国内法に従えば“A級”にしろ“A項”にしろ“戦争犯罪人”は一人もいない。結果、未だに“過去の日本の戦争犯罪”なり“A級戦犯”等と声高に叫ぶ人たちは、間違いなく“嘘つき”“頭がおかしな人たち”である。たとえそのような方々が社会的な地位の高い“政治家”や“学者”や“知識人”、そして“マスメディア”であったとしてもその言動は信用しない方が得策である。

参考投稿; “アサヒった?”

凡人の独り言 | 【2008-01-30(Wed) 00:21:56】
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青い山並
 PC付属の“おまけ画像”。何か“東山魁夷画伯の作品”を髣髴させられる。タイトルは“Blue hills”。
 “香川県立 東山魁夷せとうち美術館”“市川市東山魁夷記念館”に一度は行ってみたい。

2008.01.18.fuukeigazou.01


つれづれの風景 | 【2008-01-29(Tue) 21:54:00】
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映画「明日への遺言」
2008.01.29.sankei.01 本日(29日)の産経新聞(Net View)に“映画「明日への遺言」”についての特集記事が掲載されていた。
 戦後、日本において“B・C級戦犯裁判”が行われたことは知っていた。そして、世界各地で行われた“軍事裁判”で千余名の尊い命が奪われたことも知識としては知ってはいる。しかし“A級戦犯”“東京裁判(極東国際軍事裁判)”とは違い“B・C級戦犯裁判”に関しては一般に目にすることができる資料が少ないような気がしてならない。
 山下奉文大将、向井敏明少尉と野田毅少尉、そして“私は貝になりたい”で有名な加藤哲太郎中尉等々、何人かの“B・C級戦犯”の方々の生き様は知ってはいるが、その数からして“殆ど何も知らない”といった方が正直なところである。
 そのような不明な状態のなかで“映画「明日への遺言」”は一人のB・C級戦犯としての岡田資少将の生き様を知ることができる貴重な映画のようだ。
 B29による日本への“無差別銃爆撃”は明らかなる戦争犯罪である。“非戦闘員を殺戮することを目的とする戦闘行為”“犯罪”と呼ばず何といえばよいのか。
 そもそも“戦争(国家間の戦闘行為)”そのものが“犯罪行為”だと言う者がいる。だとすれば“敗者”だけが裁かれて“勝者”が裁かれない現状をどのように説明するのか。

2008.01.29.sankei.02

「敗戦で自信と誇りを失ってしまった戦犯が少なくない中、岡田中将は強靭な意志と誇りで、この裁判を法による戦い=法戦と称して臨み、戦勝国の論理で裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、非人道的な無差別空襲の罪を認めさせようとした。」

2008.01.29.sankei.03 岡田中将は“戦犯裁判”“法戦”と位置づけていたようであるが、実際にはマッカーサーの占領政策により規定された“裁判所条例”に基づいて行われた裁判であり、決して今日言うところの“法に基づく司法裁判”でなかったことは明言しておかなければならない。
 いわば、“罪刑法定主義”さえも無視し、戦後勝手に戦勝国が“法(条例)”を定め敗戦国を裁いた“暗黒裁判”であった。しかも、その“条例(法)”は敗戦国にのみ押し付けられ戦勝国には一切適応されていない。このような“裁判”が一体“裁判”という名に値するのであろうか。
 この映画の原作は大岡昇平氏の「ながい旅 」だそうだ。「野火」も「俘虜紀」も「レイテ戦記」も読んだ記憶がある。確か戦争の悲惨さを訴えている内容であった。改めて読み直してみたい。原作の「ながい旅」と共に。
 「軍人は上級になるほど政治的になり、ずるくなるが、軍司令官クラスには立派な人物がいることを知った」と大岡氏は語っているらしい。とはいえ、フィリピン決戦において「最後の一戦で本官も特攻する」と特攻隊員に訓示しておきながら、いざとなったらとっとと台湾に敵前逃亡した陸軍第四航空軍司令官の富永恭次中将やインパール作戦で無謀な作戦を立案し実行しておきながら戦後も長く生きながらえ、自らの責任を一切認めようとしなかった牟田口廉也中将、そしてその上官の河辺正三陸軍大将等など、未だに憤りを覚える軍司令官も数多い。結論として、軍人だから軍司令官だからということではなく、その責任逃れをしようとする“官僚的体質”に多くの怒りを感じる。今の厚生官僚、外務官僚と同様な“官僚気質”が成せる技であろう。対して立派な軍司令官なり軍人も数多く居られた。
 忌むべき軍人や政治家などは改めて知る必要はない。少なくとも現代の“国家官僚”なり“政治家”を見ていればその本質は理解できる。しかし、“立派な生き様”を全うした人たちについては非常に興味がある。勿論、軍人や政治家だけに限らない。至るところにそのような方々は居られる。
2008.01.29.sankei.04 それでは“立派な生き様”とはどのような“生き様”なのか。
 少なくとも、「部下に処刑の責任を負わせたり、事実を隠蔽し責任逃れに奔走したり」せず、「裁判にかけられた19人の部下の罪を一人で背負う覚悟を固め」「米軍が国際法を違反し、無差別爆撃を行った事実を後半の中で立証し、その罪を法定で訴え続けた」岡田中将は“立派な生き様”の持ち主である。
 記事の最後に書かれている岡田中将の“ゆるぎなき信念”には頭が下がる。そして是非、私たち日本人は見習わなければならない。

「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆、敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環視の内に国歌の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事も明らかにしようとしないのか…」

 “米英との開戦”に於いて日本には正義があった。そして国民の多くが喝采を叫んだ。いわば当時の“国際情勢”が日本を戦争へと突き進ませたのである。“国際情勢”を知らずして戦争を語るなかれ。戦後は余りにも“国際情勢”を無視し過ぎている。意図的かどうかは分からないけれども、当時の“時代状況や国際情勢”の理解なくして“先の大戦”を理解することはできない。理解できないからその“原因”も明らかにされない。
 おそらく、その方が“都合が良い方々”が多くいらっしゃるのであろう。戦争の原因を明らかにされると困る方々が。私はそのような方々を“敗戦利得者”と呼ぶ。“敗戦利得者”は未だに大手を振るって闊歩している。もうそろそろ悔い改められてはどうか。世の為、人の為に。
 正直に言わせてもらえば、幕末の志士、吉田松陰の有名な言葉に含まれた“日本の心”の中には“戦争”の一つの原因(誘引)があると私は思う。確かに“大和魂(日本の心)”がなければ日本は戦争へと突き進むことはなかったかもしれない。しかし、“大和魂”無くして日本という国は存在し得なかった。“大和魂”を持ちえた故に日本は存在し、それ故に日本は敗れ去った。これもまた事実かもしれない。だが、“大和魂”とは本来「“大”いなる“和”の心」のことである。人々の幸せの為に、国の繁栄の為に、平和な世界を創り上げる為に必要欠くべからざる大切な“日本の心”である。吉田松陰はそのことを以下の二首に詠んでいると私は理解している。岡田中将の心情(信条)も同じ“大和魂”なのであろう。
 現在を生きる私たち日本人も是非とも“日本の心(大和魂)”を取り戻したいものである。

「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」


つれづれなるままに | 【2008-01-29(Tue) 21:22:50】
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だまされやすい日本人
  『疑似科学とは、その名のごとく、「科学に似て非なるもの」のことである。』

 正に戦後日本の近代歴史学は“擬似科学”の代表格である。
 “日清・日露戦争”を侵略戦争と教え、“大東亜戦争”を“太平洋戦争”と呼び換えて、日本の残虐性を捏造し誇張して、戦勝国を“平和を愛する連合国”と呼び讃える。
 “東京裁判史観”に拘泥し、“言論の自由”を謳い上げながら“大東亜戦争史観”は弾圧される。
 日本(大日本帝国)は“大東亜戦争”を戦ったのである。決して“太平洋戦争”を戦ったのではない。このような当たり前の“史実”さえ、今も隠蔽され続けている。
 記事は“マイナスイオン”と“クラスター水”のことについて書かれているが“社会科学”も例外ではない。“だまされやすい日本人”は70余年経っても変わらない。
 「だますよりは、だまされたい」。正直これが私たち“日本人の本音”なのかもしれない。しかし、これでは世界では通用しない。間違いなく「だまされるよりは、だましたい」“世界の常識”であろう。
 未だにアメリカは「原爆投下は日本人の命も救った」と我々をだまし続けている。

2008年1月26日 産経新聞(Net View)より2008.01.26.sankei.01
2008.01.26.sankei.02


凡人の独り言 | 【2008-01-28(Mon) 23:37:04】
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戦争犯罪
 カーチス・ルメイ少将は日本に対して“無差別爆撃”を決断し実行した。無差別爆撃とは“非戦闘員の殺戮”を意味する。老若男女、全ての日本人を殺戮することをその目的とした。

 「…まず、攻撃目標地域の周囲に焼夷弾を投下し、逃げ道をふさいだうえで絨毯爆撃を加える方法…」

2008年1月26日 産経新聞(Net View)より2008.01.26.sankei.04

 “カーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay 1906年11月15日~90年10月3日)”少将は1945年3月10日未明の東京大空襲当時、38歳と4ヶ月の血の気の多い若造。
 その若造が日本全国26万人以上の日本人の命を奪った。奪われた命は戦闘員ではない。“非戦闘員”である。嬰児から老年まで、男女の見境なく殺戮された。
 その“鬼畜ルメイ少将”に戦後日本は『「航空自衛隊の育成に協力した」として勲一等旭日大綬章を贈っている。』
 本当にわが国日本は不思議な国である。
 後に、カーチス・ルメイは「自分たちが負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と語ったといわれている。“戦争犯罪の意味”を悟っていたのであろう。にもかかわらず、戦後の日本には未だに“戦争犯罪の意味”を正確に理解できない者達がいる。

2008.01.26.sankei.05

 “戦争犯罪”を裁いたとされる“極東軍事裁判”は決して“司法裁判”ではなかった。あくまでも欺瞞に満ちた“戦闘行為の一環”であった。この事実を分かろうとしない。未だに“A級戦犯”等と大声を張り上げ“日本の戦争犯罪”を指弾する“日本人の方々”がいる。そのような方々は“戦犯裁判”による“1000名を越える尊い命の犠牲”を何と考えるのか。
 “戦争犯罪”とは本来、“勝敗”を基に規定されるべきものではない。“勝った方”が全て正しくて“負けた方”は全て間違っていたと考えること自体が“大いなる間違い”である。
 勝者も“戦争犯罪”を多く犯している。敗者は既に償った。後は勝者が自らの罪を認め、悔い改めることが必要だ。その為の活動を行うことが“真の平和運動”である。
 少なくとも、広島・長崎に対する原子爆弾の投下、及び東京他、日本の地方都市に対して行われた無差別銃爆撃、そして北方領土に対しての侵略行為、シベリア抑留、大陸における日本人居留民に対しての殺戮行為等は明らかなる“戦争犯罪”である。このような多くの“戦勝国による犯罪”を放置・隠蔽しておいては“真の平和”は訪れない。
 歴史を真摯に見つめ直し、敗戦国、戦勝国の区別なく“戦争の実体”を正確に理解しなければならない。即ち、もし“戦争犯罪”が存在すると言い張るのならば、“敗戦国である日本の戦争犯罪”ばかりではなく、“戦勝国の戦争犯罪”も白日の下に曝されなければならない。何時までも“戦時プロパガンダ”を奉り、“事実を歪曲し隠蔽”していたのでは決して平和な世界はやってこない。
 戦勝国、敗戦国を超えた歴史への取り組みが必要である。先ずは、失われてしまった“日本の心”を取り戻すことが先決であろう。その為の試金石の一つになりそうな気がする、“映画「明日への遺言」”は。

凡人の独り言 | 【2008-01-28(Mon) 22:34:32】
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評論家・呉智英氏?
 「バカの勧め、知性の軽侮」のタイトルには驚いた。これでは余りにも直截過ぎる。ただし、“真実”であろう。
 それにしてもこの“呉智英”氏という評論家はどのような人なのか。少し気になってきた。

2008年1月26日 産経新聞(Net View)より2008.01.26.sankei.03


追記;
 Wikipediaの説明に以下の事柄が書かれていた。益々興味をそそられる。産経新聞のコラムを担当されるのだからさぞかし“有名人”なのであろう。恥ずかしながらどこかでお見受けしたお名前であったが私にとっては“無名人”のお一人であった。


思想
「共産主義と民主主義・人権思想は同根のものである」としており、その論理としては、「フランス革命、そしてそれに先立つ啓蒙思想に端を発」する、「具体的な『解放』の積み重ねがやがて全面的な『人間性の解放』となって歴史の彼方に実現する」という考え、「つまり『人間性解放の神話』」が、「東回りでロシヤに入って共産主義となり、西回りでアメリカに入って人権論となったわけです」としている[2]。



凡人の独り言 | 【2008-01-28(Mon) 00:15:55】
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いまどきの「売国奴」
 民俗学者の大月隆寛氏によれば“多幸症”を患った“いまどきの売国奴”が“百鬼夜行”している』という。“売国奴”という言葉自体も最近では余り聞かなくなったが、“多幸症”という“病(?)”についても今までに聞いた記憶はなく、寧ろ初めて目にする言葉かもしれない。
 氏によれば、そのような“多幸症”という余り聞きなれない疾病に冒された人たちがどのような人たちかというと、『拍子抜けするくらいすっぽんぽんなお人よし丸出し、気分の瞳孔が開いちまって、どだい眼の前の現実のどこをどう見ているのか、その自意識の合焦点自体こちらからうかがい知れないような「地球市民」で「グローバル」で「国際人」』であるらしい。そしてそのような症状を発症した人たちが「消費の欲望に刺激」されて“百鬼夜行”し始めているということである。
 要するに“いまどきの売国奴”とは“多幸症”に冒された“罹患者”のことをいうようだ。即ち、矢張り“病人”ということだ。
 また、この罹患者には『おのれの欲望と引き換えに祖国を売り飛ばすような正々堂々の悪党などはすでになく、実はこういう種類の脳内お花畑な「善意」がうっかり馬鹿正直に煮詰まり切ったその果てに、にこやかかつ穏やかに結晶するものらしい。』という特性があるらしい。

2008年1月25日産経新聞(Net View)より2008.01.25.sankei.02

 確かに「地球市民」「グローバル」「国際人」等を声高に主張する人たちには“おかしな人たち”が多いような気がする。それを“多幸症”の症状の一つとして捉え、“いまどきの売国奴”の方々は“病人”と考えれば納得もいくが、素人ながら“多幸症”は単独で発祥することは少なく、往々にして“躁病的傾向”を併せ持ち、様々な“合併症”を併発しているような気がする。
 例えば、精神疾患として巷間良く知れ渡っている“健忘症”“誇大妄想癖”。そして“強迫神経症”“境界性人格障害”等など、数え上げたら切りがない。
 “多幸症”“原疾患”が何であるかは判らないけれども、“幻覚妄想状態”がその原因の一つであることは間違いないことであろう。そしてその“幻覚妄想状態”は、いわゆる“東京裁判史観”なり“マルキチズム”により醸成されているのではないか、と私は思う。ただし、私は精神科医ではないので確かなことは分からない。
 いずれにしろ“いまどきの「売国奴」”“心を病んでいる”としか考えられない。

凡人の独り言 | 【2008-01-27(Sun) 16:03:15】
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「テーブル・フォー・ツー」に思う
 「TABLE FOR TWO」の記事が2008年1月22日付産経新聞(Net View)に掲載されていた。前傾の主婦の方はこの記事をご覧になったのであろう。
 確か、以前にテレビのニュース番組で取り上げられていた。私も“上手いことを考えるものだ”と感心したことを覚えている。
 記事によれば“テーブルフォーツー”とは『飢餓問題に苦しむ途上国と、食べ過ぎなど生活習慣病が増える先進国との「食の不均衡」を解消するのが狙い。』だそうだ。
 そして、その由来について『途上国と先進国の人が時間と空間を越えて食事を分かち合うことから「TABLE FOR TWO」と名付けれられたこの活動は日本生まれ。毎年1月にスイスで開かれる世界経済フォーラム(ダボス会議)の関連会議で、古川元久衆議院議員、近藤正晃ジェームズ・東京大学准教授らが中心となってアイデアを提唱した。』と説明されている。
2008.01.22.sankei.11 確かに「一石二鳥のわかりやすい仕組み」かもしれない。「世界で認められたスシや豆腐のように、日本発の独創的なこの活動を世界に広めていきたい」という気持ちも分かる。そして賛同もする。しかし、“本質”は見失わないようにしたいものだ。
 問題は“飽食”であり“資源の無駄遣い”であり“環境保護”であり、即ち“世界人類の幸せ”である。その為には一国だけが富めるのではなく世界の国々が富める社会を創り上げなければならない。国が富めば為政者が余程の悪政を行わない限り飢餓はない。だから富こそが重要である。そして今のところはその“富の不均衡が本質”なのである。“富の不均衡”がなければ飢餓は訪れない。富が不均衡に世界へ分散しているからこそ飢餓が訪れてしまう。では、この不均衡をどのように是正するか。これが大問題なのである。ことは“人間の欲望”に関することなので複雑だ。
 先ずは“富の還元”、そして“人間的欲望のコントロール”が必要であろう。“富の還元”“社会システムの問題”である。対して“人間的欲望のコントロール”はいたって“人間的な問題”である。
 “人間の欲望”は他の生物とは違って際限がない。このことが“人間の欲望の特質”である。したがって他の動物と同じく“自然状態”で生きていたのでは何等問題の解決には至らない。“欲望の規制”が必要になってくる。
 そしてその人間的な欲望をコントロールすることはある程度は可能だと考える。結論から先に言わせてもらえば、それを行うのが“教育”であり“躾”である。
2008.01.22.sankei.12 戦後の日本は“教育”以上に“躾”が蔑ろにされてきたと思う。“躾”“教育機関”が行うものではなく“親”なり“地域社会”が行うものである。
 しかし、その“親”なり“地域社会”がまともに機能しなければ“不躾な子供たち”が大量に生産され社会を混乱に陥れる火種となってしまう。
 ある政治評論家が言っていたことだが「人間は躾・教育されて人間になる」
 先ずはこのような認識の上に立って“躾・教育”を見直すことが肝要であると私は考えている。そうすれば何もわざわざ“社会システムを構築”する必要はなくなる。個人が率先して“富を社会へと還元”する。“躾・教育”とはそのような“行動原理(心根)”を持った人間を育てあげなければならない。市場原理主義のサバイバル手引書等を無理して教え込まなくとも良い。“公の為”に尽くし、“他人の為”に生きることの素晴らしさを教えればそれで済む。“義務と権利”“相補性”のものであって決して己だけの占有物ではないことも。
 これだけで世界は変わっていくと思う。相手を慮る心根を兼ね備えた個々人が“躾・教育”によって再生産されていけば自ずから“富の不均衡の問題”は起こらなくなる。
 因みに、“相手を慮る心根を兼ね備えた個々人”こそが“本来の日本人”であると思う。だから、“現代の日本人”も含め世界の人たちが“日本人化”することが“富の不均衡”を無くし、“争いのない平和な世の中”を創る為の一番の早道となる。“日本の文化を世界に伝え日本文明を見習ってもらう”ようにすることが日本ができる“世界への貢献”ではないであろうか。勿論、悪いことは伝えてはいけない見習ってはいけない。そこのところの峻別も大事である。
 以上、日本人の一人としての勝手な“思い込み”である。
 いずれにしろ「TABLE FOR TWO(テーブル・フォー・ツー)」は世界中に広がっていってもらいたいと思う。

凡人の独り言 | 【2008-01-26(Sat) 17:47:58】
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世界1位
 昨日の産経新聞(Net View)に「僅差の2位に表れたトヨタの手堅さ」の記事があった。

2008.01.25.sankei.04

 そして、本日(26日)の記事。

2008.01.26.sankei.06

 販売台数が世界1位でも2位でもどちらでも良いが「日米貿易摩擦の再燃」が心配だ。GMは『(経営者と)社員の慢心や奢り』の所為でトヨタに追い越されたのであろう。
 しかし、矢張り「世界1位」は困る。「世界1位」はアメリカに譲ってせめて「世界2位」に甘んじることはできないか。さもなければいずれ“日本虐め”が始まる。このことは歴史が教えてくれている。自らの権益の為ならば原爆をも投下するお国柄である。何をしでかすか分からない。今の日本には防ぐ手立てはない。これが現実である。
 先ずは一日でも早く“真の独立国”になることが必要だ。“傭兵”を雇っているようでは“真の独立国”とは決して言えない。尚且つ“経済戦争”を吹っかけられては“軍事力を恃みとする傭兵”では何の役にも立たない。寧ろ“重荷”でさえある。“経済戦争”での連合軍は“ドル・ユーロ・元”の精鋭部隊だ。そこに“ルーブル”が加勢してきたら目も当てられない。“円”はたちどころに敗退する。何か“ABCD包囲網”が脳裏にちらつく。“資源”のないわが国日本に“経済的な自立(独立)”も今のところは考えられない。エネルギーの主体が“石油エネルギー”から“太陽エネルギー”“海洋エネルギー”に変われば話は別だが、石油エネルギーが未だ主流を占めている現状、いくらその負担率が下がったとはいえ、60余年前と何等情勢は変わってはいない。
 “いじめられっ子”はまだまだ“いじめっ子”には敵わない。哀しいかな、これも現実である。

凡人の独り言 | 【2008-01-26(Sat) 17:13:07】
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一般民間人・主婦の良識
2008年1月25日 産経新聞(Net View)より

 “途上国支援食”“大食い番組”

 「各家庭でも、食べ残したり賞味期限にこだわりすぎることなく、食物は限られた資源であるという認識を深めて欲しいと思います。」とは“良識”ある発言である。だが、「…あれは芸でなくただの体質です。」とは、ちと手厳しい。
 しかし、「食料の自給率が40%程度で、あとは輸入というわが国、いつ、飢餓状態になるかわかりません。」とは溜飲が下がる言葉である。正に正鵠を射ている。
 このような“良識”を持った主婦の方が日本にはいらっしゃる。日本の行く末に少し安堵感を感じる。
2008.01.25.sankei.03 ただ、気になることが一つ。この方は齢76歳のご老体の方である。ご老体といっては叱られてしまうが、歴史を紐解けば明らかなように、歴史は若い世代により創られる。
 例えば明治維新等は10代~30代の青年達により実行された。大方の40代~50代の壮年層は既得権益にこだわり抵抗勢力として時代を歩んでいる。60代以上の老年層は既に人生を達観した境涯にあり観戦を決め込む。これが歴史の教えてくれている“世代間の実態”である。勿論、中には気概ある壮年やご老体もいらっしゃる。そのようなご方々は例外として考えたい。あくまでも主役は“若い世代”の青年たちである。
 そのような意味において“良識”“若い世代”により多く持っていただきたい。
 敢えて言えば今の日本は未だに“官僚主導型民主主義社会”である。それは“戦後民主主義社会”とも換言できる。いずれにしろそのような“戦後体制”からの脱却が是非とも必要である。その為の武器が先ずは“良識”であろう。
  では、“良識”とは具体的にどのようなものか、等と難しいことはここでは言わないし、言えもしない。ただ、“大食い番組”“良識に反し”ていて“途上国支援食”“良識に合致”している、ということだけ“つぶやく”ことにする。
 確かに“良識”とは“抽象概念”であり、人それぞれに“良識”の意味合いは違ってくるかもしれない。しかし、“上述の良識”については“一般概念”として確定したい。
 そして、このような多くの人たちが共有できる、即ち“一般概念化”した一つ一つの“良識の積み重ね”が明るい日本の未来を切り開いていくと私は信じたい。その為の“道標”として、これまた抽象的な概念ではあるけれども“日本の心”を拾い集めていきたい、と私は考えている。
 「テーブル・フォー・ツー」“日本の心”であるそうだ。是非大切に育んでいきたいものである。

凡人の独り言 | 【2008-01-26(Sat) 15:03:55】
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行ってみたい
 “3時間の旅”に2100万円はちと高い。価値観の問題ではあろうが2万ドル(約210万円)程度まで値下がるまでは我慢したい。ただし、“定員は6名”とのこと。これではおそらく“順番待ち”で命が潰えてしまう。

2008年1月25日 産経新聞(Net View)より2008.01.25.sankei.01


つれづれなるままに | 【2008-01-25(Fri) 13:01:27】
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マスメディアの実体
 マスメディアの情報だけでは事実を歪めて理解してしまうことが数多くある。悪意を持って意図的に情報を捏造・歪曲しているかどうかは正直分からないが、視聴率を稼ぐ為に“多少の脚色”“報道”でさえ日常茶飯事に行われている。そもそも客観的な報道などはできようもないので、ある程度は仕方がない。しかし“明らかにおかしい”と思える“情報”も数多い。以下の“あなたを忘れない”関連の報道(情報)もその一つである。
2008.01.25.anatowowasurenai.01 映画「あなたを忘れない」のタイトルは「あなたは忘れた」の同意語でもある。ただ、この意味を分かっている人が数少ないように思える。詳しくは“特亜を斬る/何時まで利用?「あなたを忘れない」”を。
 因みに「あなたを忘れない」の“あなた”“韓国人の李秀賢(イ・スヒョン)さん(26)”であり、「あなたは忘れた」の“あなた”“日本人の関根史郎氏(47)”と、もう一人“ホームから転落した男性”の方のことである。
 李秀賢(イ・スヒョン)さんの“崇高な精神”をたたえるのは決して悪いことだとは思わないけれども、何か胡散臭い。政治的な匂いがする。
 そのような“政治的な匂い(思惑)”は別にしても、もしかしたら“朝鮮民族”と“日本民族”の根本的な違いがこの事故の経緯には現れているのかもしれない。一言で言えば“自己主張”“謙虚さ”、そして“相手を慮る心”である。
 この事故ではホームから転落した男性と、それを助けようとした李さんと関根さんの三人の命が失われている。命の重さは同じ筈である。李さんの命だけが重い筈はない。
 おそらく“日本の心”をお持ちの方はお分かりになるであろう。このように李さんが顕彰されることによって“関根さんのご家族”、そして“ホームから転落した男性のご家族”が如何様な心象を懐くか。本来ならば“そっとしておく”のが“日本人の優しさ”であり、“相手を慮る心”ではなかろうか。
 このような“心根”は何も関根さんのご家族の方々のことだけではない。その思いは異なるにしても“敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長”のことを思い出してしまった。工藤艦長は戦後一切を語らなかった。
 日本の歴史の中にはこのような“心根”が数多く見られるような気もする。理由は色々とあるにしても“相手を慮り、謙虚さを大切にする”。このことは貴重な“日本の心”なのかも知れない。世界を見ているとそのように思える。少なくとも“中華思想の国々”にはそのような“心根”は余り見当たらない。“自己主張”だけが目立つような気がする。

凡人の独り言 | 【2008-01-25(Fri) 01:47:13】
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歴史の欺瞞
「70年前の事件が―それが虚構であることが完全に証明されているのに―まだポッポと燃えている熱い時事問題なのであり、未来問題でもあろうとしている」

1月14日 産経新聞(Net View)より2008.01.14.sankei.05

 渡部氏が指摘されているように“パル判決書”は決して“日本を擁護”しているのではない。あくまでも『“国際法”に基づいて“連合国を非難”している』のである。『国際法の“冒涜”に怒っている』のである。

『私は日本に対する好意であの判決書を書いたのではない。私は国際法に忠実であることをこころがけただけである』

2008.01.14.sankei.06

 渡部氏によれば、「パル判決の主眼」「戦勝者をも同じ基準で裁かなければ国際法にならない」ということであり、換言すれば『“極東国際軍事裁判(東京裁判)”は国際法に基づかない“不正な裁判”』であるということである。そもそも、いわゆる“東京裁判”は“東京軍事裁判”であって“justice(正義)”を謳った“法に基づく公正な裁判”ではなかった。あくまでもマッカーサー(GHQ)の指令による“極東軍事裁判所条例”に基づいた“軍事裁判”であって国際法並びに近代法に基づく裁判ではない。したがって、当裁判での判決は“justice(正義)”に従えば“欺瞞”であり、本来、その裁判の性格上、即ち、軍事裁判である以上、日本の講和(平和)条約締結後は“無効”とされなければならない。
 決して“欺瞞”を正当化してはいけない。
 兎も角、連合国側に“戦争犯罪人”がいないというならば当然、日本にも“戦争犯罪人”などは一人もいない。
 戦後のいわゆる“A級戦犯”も含め“戦争犯罪人”として処刑された“1000余名”の日本人の多くはあくまでも裁判を偽装した“戦争(戦闘)行為”により命を奪われた“戦死者”であり、決して“近・現代法”により裁かれた“犯罪者”ではない。

“歴史の欺瞞”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2008-01-25(Fri) 00:05:18】
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ある“戦後民主主義者達”の生き様
2008年1月24日 産経新聞(Net View)より

2008.01.24.sankei.03 「分割・民営化に伴いJRに採用されなかったのは、旧国鉄が分割・民営化に反対する組合員を採用候補に選ばなかったため」だという。
 これを主張しているのは「旧国鉄清算事業団も解雇された旧国鉄の組合員等58人」だそうだ。
 よって、「組合差別」をしたのは“不等”で“金をよこせ!”ということらしい。そして法曹界も“金を払え!”との判決を下したらしい。
 これだから“法曹界”は信用がならない。最高裁判事だからといって“神様”では決してない。法をも守る番人であり、“官僚”である。その“番人”が「組合差別があった場合の責任は国鉄や清算事業団にある」と記事によれば“述べた”としか書かれていないのではっきりとしたことは分からないが、お陰で「組合差別があった場合」は“損害賠償”や“慰謝料”の対象になってしまった。
 “組合差別”があって当然であろう。“民営化”に反対して“権利”ばかりを主張していたのだから当たり前のことである。“旧国鉄”が一体どうなったのか。旧国鉄の職員の一人として“国民に対しての義務・責任”を一体どのように考えているのか。“恥知らず”もいい加減にしてもらいたい。
2008.01.24.sankei.04  また、“日教組”もいただけない。これでは“我儘な子供”である。とても子供たちを教え導く資格はない。とっとと教職員を辞任していただきたい。
 “旧国鉄”にしろ“日教組”にしろ、これらは“戦後民主主義者の権化”である。“敗戦利得者”の代表者たちである。未だに残滓が暗躍している。
 “旧国鉄”は解体され“民営化”により生まれ変わっているのでまだ良いにしろ、“日教組”は未だに身勝手な活動を行っているようだ。やれ国歌を斉唱するなとか、国旗を掲揚するなとか、“公務員”である教職員でさえも“社会のルール”を守れない不埒な者たちが多くいるようだ。
 “教職は聖職”である。“義務”だけをはたしておればよい。“権利”などは主張する必要はない。他人に迷惑を掛けるな。そもそも“警察の警備が必要な集会”など開くな!
 そうすれば自然と教職員に対しての尊敬の念が湧き上がってくる。生徒からもPTAからも世間一般からも尊敬されるようになる。するとどうなるか、当然、“プリンスホテル”で“教育研修集会”を開催することができる。“プリンスホテル”側も決して断ることはないであろう。
 これが“現実”というものである。
 権利ばかりを主張する身勝手で我儘な教職員は辞職しろ!世の為、人の為である。
 
教職員は聖職者たれ!


凡人の独り言 | 【2008-01-24(Thu) 23:23:02】
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中国(中共)という国
「上海の海事法院(裁判所)が昨年12月、約70年前の船舶賃借をめぐり、日本の商船三井に総額で約39億円の支払を命じる判決を下した」
 
 これだから“中国(中華人民共和国)”は嫌いだ。現代の裁判所でさえこうなのだから戦後中国で行われた“軍事裁判”などはとても裁判などというようなしろものではなかった。
 ある本に戦後中国で行われた“戦犯裁判”を受けた日本人の話が記されていた。

「たとえ見に覚えのないことでも、中国人が“あいつがやった”といえば、それだけで罪が確定された。」と。

 中国で行われた“戦犯裁判”では戦後(1945年8月15日以降)、百人以上の日本人の命が奪われている(世界各地で行われた戦犯裁判で総数千人以上の命が失われている)。殊に有名なのが“百人斬り”の野田毅少佐と向井敏明少佐であろう。

 野田毅少佐はその遺書の中で次のように述べている。

「…只俘虜、非戦斗員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。…」

 しかし、中国の“軍事法廷の判決”により昭和二十三年1月28日、広東において彼は銃殺されている(参考投稿;“百人斬り”)。

2008.01.24.sankei.01

 “裁判”とか“法律”とかの言葉に騙されてはいけない。中国は“法治国家”の国ではない。有史以来、今日に至るまで“人治国家”の国であり、現在では“中国共産党の政策”が法律であり宗教でもある。
 そのような国との“謝罪外交”なり“ODA外交”は相手をつけ上がらせるだけである。決して“友好関係”は生まれてこない。そこにあるのは“善隣外交”という美名の元に隠された“朝貢外交”の実体だけである。そして、このような卑屈な“朝貢外交”から様々な利益を得ている日本人達が数多くいる。それは“親中派”と呼ばれる政治家であり外務官僚でありマスメディアであり知識人達である。また、企業利益を最優先させる一部の企業体もその仲間に入れなければならない。
 “親中派”は得てして“自虐的な性格”を有する。しかしそれは自らの欺瞞さに対してではなく“日本国”に対してであり、あたかも自分たちだけは“正統派”だといわんばかりに日本を非難する。そして非難することによって相対的に“自らを正当化”している。このよな“相手を非難することによって自らの正当化を謀る行為”はいくら“科学的な対応”として社会的に認知されていようが、日本文明の価値観からすれば明らかに“卑怯な行為”ある。
 自らが“偏執狂的な原理主義者”であるにもかかわらず、その事実を指摘されると相手を非難して相対的に自らを正当化する。これは“論理のすり替え”の基本パターンであり“レトリック”の一手法でもある。その典型例が“南京大虐殺”であり“中国=被害国、日本=加害国”“絶対(原理)化”である。また、日本への“原爆投下”も忘れてはならない。一般市民を殺戮することを目的とした非道な連合国による“原爆投下”“正当化”するためには“日本軍は残虐非道”であり“南京大虐殺”はナチスのホロコーストと同じく史実として確立されなければならない。だから、“原爆投下”は間違っていなかったと主張する為に。
 このような理由の下、日本が何か主張すると“南京大虐殺”を取り上げ日本を非難し“ODAは戦後賠償”だと得意げに世界に向けて公言する。南京大虐殺記念館に展示されている展示物は殆どが“支那(中国)人同士の殺戮の結果”であろう。自らが犯した蛮行を日本人の所為にしている。そうやって歴史は捏造され続けている。自らの蛮行を覆い隠し、世界での影響力を確保する為に日本国を貶める。このような策謀が世界中に拡散している。そしてそのような謀略を幇助している日本人がいる。
 尚、“偏執狂的な原理主義者”とは“戦後民主主義者・敗戦利得者”のことでもある。
 いずれにしろ“朝貢外交”はいい加減止めてもらいたい。国民の税金をもっと有効に使ってもらいたい。“朝貢外交”の結果が今回のような事件を齎す要因である。「日本は脅せば金を出す」と思われてしまっている。
 中華思想を有する中国(中華人民共和国)と付き合うにはなにも“親中”になることはない。まして“嫌中”になる必要もない。ただ“普通”に付き合えば良いだけのことである。
 “南京大虐殺”は「嘘をつくな!」と反論し、“尖閣諸島”は「日本の領土だ!」と主張して、現行の“共産党政権”は「中国の多くの国民を苦しめている!」と事実を指摘して、「中国共産党の数々の悪行を悔い改めよ!」と教え諭すだけでよい。勿論、今回の事件も同様だ。
 そのような“普通のこと”ができないで何が“政治家”で“国家官僚”で“マスメディア人”だ。そのような輩はただの“敗戦利得者”でしかない。
 悲しい哉、戦後日本は“敗戦利得者達”が日本を牛耳ってきた。もうそろそろ“敗戦利得者達”が大手を振って闊歩している世の中は終わりにしなければならない。さもなければ日本がこの世からなくなってしまう。それこそ“敗戦利得者達”の望みである。
 “国家”を否定し、“世界市民”であることを謳い上げ、日本人でありながら日本の歴史を唾棄し、机上の空論をもてあそび、多くの不幸を世の中に撒き散らす。そしてその責任を他所に転嫁する。権利ばかりを主張して自らの責任、義務をはたそうとしない。これらが“敗戦利得者達”の実相である。
 そのような日本の“敗戦利得者達”は“反日国家・団体”を支援し日本を国際的孤立へと導こうとしている。
 国家を挙げて是々非々でことにあたらなければならない。それができてこそ真の政治家であり国家官僚でありマスメディアである。
 最近ではそのようなまともな人たちもちらほら見え始めている。日本も捨てたものではない。

「中国に対しより強い姿勢を示す必要がある。」

 正にその通りであると私も思う。

アジアの特定三国 | 【2008-01-24(Thu) 22:10:47】
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社会貢献?
食べ物は大切にしよう!

 全く同感である。“大食い企画”のテレビ番組を見ていていつも気にかかる事柄である。結局、私だけではなかった。少なくとも中村氏も同じ様な感慨をお持ちのようだ。
 ただ、“社会貢献”は如何なものか。それではただの“経済的貢献”にしかならないのではないだろうか。もしかしたら“経済的貢献”にさえもならないかもしれない。
 要は、そのような番組を視聴しないことが肝要である。いっそのことテレビをこの世から無くすことの方が先決かもしれない。

2008年1月24日 産経新聞(Net View)より2008.01.24.sankei.02

 とはいっても、テレビでは多くの有益な情報も放映してくれている。寧ろその方が多い。否、多いと思いたい。したがって問題は視聴する側の心構え、及び対応であろう。“大食い番組”を視聴するから“視聴率”が上がってテレビ局も図に乗ってしまう。“視聴率”が高い番組はスポンサー受けする。スポンサーとしてはできれば視聴率の高い番組に販促費は使いたい。だから番組作りには“視聴率”が大事にされる。“事実・真実”の報道などは二の次にされてしまう。“視聴率”の為なら少し位の“嘘”は仕方がない。マスコミ人も人の子である。いい暮らしがしたい。だから“視聴率稼ぎ”に躍起になる。
 私たちが視聴しなければ当然のことながら視聴率は下がる。したがって放映は自粛される。儲からない番組は放送局は作らない。マスコミは営利企業であるから当然の帰結である。
 したがって、先ずは“大食い企画もどきの番組”を視聴しないことが一番の“社会貢献”となろう。このことは中村氏も分かっていることではあると思うが、氏のコンビニでのアルバイト経験が奇抜な社会貢献を考えさせるのであろう。
 このような思考癖はいたるところに見受けられる。決して悪いことだとは思わないけれども“本質”だけは見失わないようにしたいものだ。“飽食社会”は決して良い状態とはいえない。いわば“資源の無駄遣い”である。資源は限られている。殊に資源の乏しい我が国日本においては憂慮されるべき問題である。せめてコンビニエンスの“賞味期限切れ食品”については“大食いさん”たちの腹の中に収めるよりは、“ユニセフ”なり“北朝鮮”に寄贈した方がよっぽど“社会貢献”になると思うのだが。いくら“賞味期限切れ”とはいえ現代の流通システムを屈指すればたちどころに世界中に配送することができる。飢餓で苦しむ人たちは“賞味”期限」などは問題にしない。要は“鼻”でかぎ分ける。私も小さい頃は“鼻”でかぎ分けていた。それでもいたって健康に成長できている。先ずは現代人としての私たちの“心の中”を見つめ直すことが一番の“社会貢献”となろう。具体的にどのように“見つめ直すかについては追々“つぶやく”ことにしていきたい、と考えてはいる。

凡人の独り言 | 【2008-01-24(Thu) 13:02:22】
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大東亜戦争
 以前、読みかけていた本を今読みすすめている。実際に戦い、生き残った方々の言葉である。戦後は“戦争を知らない者達”が余りにも多く“戦争”を語りすぎていたのではないだろうか。“戦争を語るべき者”が“戦争”を語らず、“戦争物語”“マスメディアの商材”の一つになってしまっていた。大東亜戦争は太平洋戦争と呼称され、東亜解放は侵略と定義付けられ、日本は無謀な戦争を戦ったと、その筋書きが創り上げられてしまっていた。それ以外の筋書きは許されず、糾弾の対象にさえなってしまっていた。たとえそれが“戦争体験者の言葉”であっても“戦争を知識でしか知らない世代”がそれらの物語を排斥した。 
 私たちは先の大戦を知らなければならない。“大東亜戦争”を理解しなければならない。何故、戦ったのか。そして、何故、負けたのか。
 その為には大東亜戦争を“太平洋戦争とか第二次世界大戦”とか言っていたのでは何時まで経ってもその本質を理解することはできない。日本はあくまでも“大東亜戦争”を戦ったのであり、そして、“敗戦(惨敗)”したのである。決して軍部だけが暴走して戦ったわけではない。多くの日本人が“米英相手の戦争”を望んでいたのである。だからこそ戦争が起こった。
 何故、“米英相手の戦争を望んでいた”のか。この事実を確りと理解しなければならない。少なくとも“ペリー来航”以来の歴史を紐解くことが必要になってくる。その時、その事実(理由)が明らかにされる。
 日本(大日本帝国)は“戦うべきして戦った”。あるいは“戦わさせられた”。これが“歴史の真実”である。
 もし、“大東亜戦争が悪”だとするならば、それは“負けることが悪”なのであり、“負け方が悪”だったのである。“歴史”はそのように理解しなければいけない。さもなければ“真実の歴史”は見えてこない。
 “真実の歴史”が見えなければ同じ間違いを繰り返してまう恐れがある。“戦争”を二度と繰り返さない為にも“大東亜戦争”を理解しなければならない。“イデオロギー”に左右されず、“東京裁判史観”に籠絡されずに“日本が戦った戦争”を日本人自らの手で再検証しなければならない。
 そのことが実現して初めて戦後は終わる。そして永久の平和を手にする為のスタートラインにつくことができる。平和は与えられるものではなく自らの手で勝ち取らなければならない。
 “事実・真実”を見極めることが肝要である。
 日本は今、“情報戦争”を仕掛けられている。“敵”は世界各国にいる。日本国内にも“敵(敗戦利得者)”が沢山いる。この“情報戦争”に負けることは日本の存在自体を危うくさせる。負ければ“アメリカの属国”に成り下がるか“中国の貢国”として生き残る道しか残されていない。
 “事実・真実”を手にして戦わなければならない。戦う兵士は私たち一人ひとりである。“武器”はいたるところに転がっている。“事実・真実”を拾い集めていくことが大切だ。
 
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『特攻・最後の証言』制作委員会

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「敵がそこまで攻めてきている。ここで防がなければいけない。
防ぐと言ったって、戦局を一挙に覆すことはできないわけですから、
敵に打撃を与え早く講和をしてもらいたい。
こんな打撃を受けるのなら、いい加減もう戦争をやめたいと、
敵をしてそういう心境に持っていかせれば大成功という気持ちがありました。
自分の命に代えて、壊滅的な被害を受ける前に
できるだけ有利な形で講和に持ち込めたらという思いでした。」

鈴木英夫氏 終戦時海軍大尉 第七二一桜花隊分隊士


「“人間魚雷”の一言で、
これこそアメリカの上陸を止める非常の手段だと思いました。
聞いて7人が一様に喜びました。
我々は命を失わなければならないが、
その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。
日本民族をこの地上に残すためには我々が死ぬしかない。
それができるなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。
その夜、遅くまで将来の期待を語り合ったものです。
そのときの気持ちは今でも変わりません。」

「…戦後の新聞はやれ、愚かな戦争とか愚かな特攻隊員などと書きたがりますが、回天に限らず特攻隊員は皆、とにかく日本人をこの地上に残したい、そのためには自分の命は投げ出してもよいと納得した上での捨て身だった。そういう多くの人に尽くす人を評価し、敬わなかったら、誰が人に尽くすようになりますか」

小灘利春 終戦時海軍大尉 第二回天隊長

関連投稿; 大東亜戦争とは


特攻・神風 | 【2008-01-23(Wed) 00:14:17】
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国家基本問題研究所2
国家基本問題研究所の趣意書

国家基本問題研究所ホームページより2008.01.22.sakurai.01


国家基本問題研究所(国基研・JINF)の設立について

趣意書

 私たちは現在の日本に言い知れぬ危機感を抱いております。緊張感と不安定の度を増す国際情勢とは裏腹に、戦後体制から脱却しようという志は揺らぎ、国民の関心はもっぱら当面の問題に偏っているように見受けられます。平成十九年夏の参議院議員選挙では、憲法改正等、国の基本的な問題が置き去りにされ、その結果は国家としての重大な欠陥を露呈するものとなりました。

 日本国憲法に象徴される戦後体制はもはや国際社会の変化に対応できず、ようやく憲法改正問題が日程に上がってきました。しかし、敗戦の後遺症はあまりにも深刻で、その克服には、

今なお、時間がかかると思われます。「歴史認識」問題は近隣諸国だけでなく、同盟国の米国との間にも存在します。教育は、学力低下や徳育の喪失もさることながら、その根底となるべき国家意識の欠如こそ重大な問題であります。国防を担う自衛隊は「普通の民主主義国」の軍隊と程遠いのが現状です。

 「普通の民主主義国」としての条件を欠落させたまま我が国が現在に至っている原因は、政治家が見識を欠き、官僚機構が常に問題解決を先送りする陋習を変えず、その場凌ぎに終始してきたことにあります。加えて国民の意識にも問題があったものと考えられます。

 私たちは、連綿とつづく日本文明を誇りとし、かつ、広い国際的視野に立って、日本の在り方を再考しようとするものです。同時に、国際情勢の大変化に対応するため、社会の各分野で機能不全に陥りつつある日本を再生していきたいと思います。

そこで国家が直面する基本問題を見詰め直そうとの見地から、国家基本問題研究所(国基研・JINF)を設立いたしました。

私たちは、あらゆる点で自由な純民間の研究所として、独立自尊の国家の構築に一役買いたいと念じております。私たちはまた、日本に真のあるべき姿を取り戻し、21世紀の国際社会に大きく貢献したいという気概をもつものであります。

この趣旨に御賛同いただき、御理解をいただければ幸いに存じます。御協力を賜りますようお願い申し上げます。

代表     櫻井よしこ

副代表    田久保忠衛


大いに賛同!


凡人の独り言 | 【2008-01-22(Tue) 17:53:48】
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国家基本問題研究所
 頑張れ!“櫻井よしこ”さん!“国家基本問題研究所”

2008年1月22日 産経新聞(Net View)より2008.01.22.sankei.03

2008.01.22.sankei.01

※“赤ライン”は私が“師”と仰ぐ方々。勿論、櫻井よしこ氏も。

凡人の独り言 | 【2008-01-22(Tue) 12:58:59】
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緑、みどり、ミドリ
 昨年(2007年11月20日)のニュース記事。
 日本に生まれてよかった。日本は“緑”で塗りつぶされている。
 しかし、“緑”が少ない。何か“地球が息苦しそう”だ。“緑”“酸素発生装置”と理解しているので。
 これも“地球温暖化”の一つの要因であろう。オゾン層の破壊”だけではなくの喪失”にも原因がありそうだ。“科学的知識”ではなく、人間(生物)としての“本能”がそのように教えてくれている。

2008.01.21.msnsankei.01

2007年11月20日msn産経ニュースより

初の「緑の世界地図」 国土地理院が試作版
2007.11.20 21:08

土地が緑に覆われている率を濃淡で示した「緑の世界地図」の試作版。密度が高くなるにつれ濃い緑に変わっている(国土地理院提供) 国土地理院(茨城県つくば市)は20日、土地が樹木などの緑に覆われている樹木被覆率を色の濃淡で示した世界地図の試作版を公開した=写真。世界規模の「緑の地図」は初めてといい。中国やベトナムといったアジア諸国で森林伐採が進み、緑が減少している様子などが分かる。

 人工衛星で平成15年に観測したデータを基に1平方キロごとに地表の面積に対する樹木の比率を5%刻みで色分け。100%を濃い緑、50%を黄、0%を白で表した。

 地図は世界各国が参加する地球地図国際運営委員会が作成、地理院はデータの解析など中心的役割を果たした。来年4月に正式に公開した後、5年ごとに更新する計画という



つれづれなるままに | 【2008-01-21(Mon) 12:44:23】
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アサヒった?
 何か“war of aggression”を“侵略戦争”等と訳して平然としている方々、そしてサンフランシスコ講和条約もろくに読みもせず、知ったかぶりして“accepts judgments”を“裁判を受託した”などと(意図的に?)誤訳して、戦後長きに渡り国民を騙し続けてきた方々、そのような“お偉い方”や“(進歩的?)知識人”や“新聞記者等のマスメディア”の方々は未だに自らの無知さ(欺瞞さ)を露呈し続けておられるようだ。
 一向に反省する気配がない。反省しないばかりか自らその間違いを認めようともしない。今でも“-ism”を“一面的”に理解しながら間違った認識を国民に与え続けていようとは。少なくとも“朝日新聞社系”は“アサヒる”癖が直りそうもないようだ。
 私も今後は『ジャーナリズムもアカデミズムも「中毒」と訳することにしよう。その方が日本語として現実に則していると思う。

2008年1月20日 産経新聞(Net View)より20080120sankei01.jpg


凡人の独り言 | 【2008-01-20(Sun) 23:56:30】
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アメリカ大統領選挙
2008年1月19日 産経新聞(Net View)より

“アメリカの民主党政権”が日本を戦争に引きずり込み原爆を投下した。
 この事実を決して忘れてはならない。勿論、民主党政権になったら再度日本へ原爆を投下するということではないけれども、明らかに対アジア政策においてアメリカの“民主党”は中国(支那)よりであって、“共和党”は日本重視の政策を執っている。
2008.01.19.sankei.01 歴史に“イフ”はない。それは分かっている。しかし、“イフ”を語らなければ真実の歴史が見えてこないこともある。
 もし、あの時、アメリカが“共和党政権”であったならば、“日米開戦”が起こらなかった可能性も決して否定することができない歴史的の検証一つであると思う。少なくとも、何れは“矛”を交えなければならなかったとしても、“あの時”は回避できたであろう。“支那(中国)”への援助も中止して、“ソビエトと連携”を結ぶこともなく、“近衛文麿との首脳会談”を通して日本も含めた“孤立主義(モンロー主義)”を謳歌していたのではないであろうか。たとえ“一時の幻想的日米関係”だと揶揄されようとも、歴史を真摯に紐解けば、その可能性を否定することは出来ないと私は考えている。
 確かに“海の向こうの国の大統領選挙”ではある。しかし、良い悪い、ことの是非は別にして、日本はアメリカと切っても切れない関係にある。言葉は悪いが今の日本はアメリカの“被保護国”である。戦後の日本はアメリカを“保護国”として崇め奉ってきた。その結果。“経済的発展と平和”を日本は享受することが出来ている。
2008.01.19.sankei.02 先ずは、“真の独立国”になりたいと思うのならば“強い軍隊”を保有しなければならない。そして“平和”を求めるのならば“核武装”をしなければいけない。これが“世界の現実”である。
 私は“日本がアメリカの従属国家”である現状を否定はしない。胸を張って“従属国家”であることを誇ればよい。そして、アメリカもまた、日本の“従属国家”であることを実現しさえすればよい。お互いが“従属国家”同志。これが“真の互恵関係”というものではなかろうか。
 今の日本に必要なことは“日本がアメリカの従属国家”であることを“恥じる”ことではなく、寧ろ“誇りに思う”ことであると考えるようになってきた。
 だけれども“有為転変するアメリカの思惑”を忘れてはならない。少なくともアメリカには“民主党的思惑”“共和党的思惑”の二つの思惑がある。
 私はアメリカとの“真の互恵関係”を結ぶ為には“共和党的思惑”が是非とも必要であると考えている。したがって、アメリカに“民主党政権”が誕生することについては多くの懸念を抱いている。
 アメリカのことはアメリカの国民が決める。これは今の世界の趨勢を占める“民主主義的価値観”においては当然の事柄である。
 だが、日本としても無視するわけにはいかない。“アメリカの国体(政権)”が日本の行く末に多大な影響力を齎すことを。これが“歴史の教訓”である。
 是非、日本人の一人として肝に銘じておきたい。

凡人の独り言 | 【2008-01-19(Sat) 18:01:44】
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環境保護団体?
 「人質返還に条件をつけるのは、テロリストの特徴だ。われわれはテロリストグループとは交渉しない。」とは、『環境保護団体「グリンピース」から分かれた米国の団体「シー・シェパード」の言い分らしい。
 対して本日(2008年1月18日)の“産経妙”では、
「2人の活動家が無理やり侵入し、1人がガッツポーズを取る映像は何度もテレビで流れた。悪臭を撒き散らす薬品入りの瓶を投げつけ、スクリューにロープを絡ませようとするなど狼藉を働いたくせに」と相手を難詰し、「テロリズムとは、政治的な主張を押し通すために暴力を使うことをいう。」と“語彙解説”までしてくれている。ありがたいことである。
2008.01.18.sankei.01 そもそも「公海上で国際ルールの下で行われる調査捕鯨」「テロ活動」「嘘八百」により止めさせようとする行為そのものが“平和団体”とは認めにくい。やはり“グリンピース”なり“シー・シェパード”は“環境保護団体”という美名を被ったテロ集団なのであろうか。少なくとも純粋な“平和団体”ではあり得ない。“環境保護団体”とは身勝手な“騒乱誘発団体”のことなのであろうか。
 もし、アメリカに本部を置く今回のテロ活動の首謀者の“シー・シェパード”も含め“環境保護団体”を自称するならば、“中国の環境(海洋)汚染”についてはさらに“激烈な抗議活動”を行っていることであろう。ただ、私は寡聞にして知らない。そのような抗議活動を“環境保護団体”が行っていることを。
 「グリンピース」「シー・シェパード」』のホームページを訪れてみた。それ相応の“環境保護団体”のようだ。頑張っていただきたい。正直そう思う。
 しかし、“捕鯨反対”については、少なくとも自らが“マックハンバーグ”を食べないことから始めないといけない。それと“ケンタッキーフライドチキン”も。
 それぞれの国にはそれぞれの“食文化”がある。それを一方的に否定することは是非止めてもらいたい。“牛”“鳥”は食べてもいいが、“鯨”はいけないでは論理が通らない。それではいくらなんでも“牛さん、鳥さん”に失礼であろう。
 確かに私も“犬食”には虫唾が走る。隣国では今も“犬”が食されている。しかし“食文化”であるからには余り文句は言えない。他国の文化は尊重されるべきである。
  また、正直、“日本の食文化”の一つだとしても“イルカ(海豚)”を食するのは、いい加減止めにしてもらいたい。私は食したことはないけれども、地方によっては未だに“海豚(イルカ)”は食用として重宝されているらしい。サメは良くて、何故イルカがいけないのか。カジキは良くて何故イルカが駄目なのか。論理的な説明は出来ないけれども、いくら“海”“豚”と書いて“イルカ”と読むとしても、“イルカ”は可愛らしい。“サメ”“カジキ”も余り可愛くはない。かといって“豚”は可愛くはないのかというと、結構これも可愛い生き物である。
 要するに、“それぞれの国の食文化を尊重する”としか言いようがない。
 ただ、いくら“食文化”とはいえ“堕胎された嬰児”を食することはだけは止めてもらいたい。“隣国の中華文明の国”のことである。

凡人の独り言 | 【2008-01-18(Fri) 18:11:59】
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