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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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野口健氏
 何か感動した。いい話(“野口健氏と靖国神社”)だと思う。“素直な心”が表されている。
 “野口健”氏のことは知ってはいたが「…私はヒマラヤ遠征の前には必ず、先の大戦で亡くなられた方々に祈りをささげに訪れる。…」とか「…以来私は、靖国神社の参拝も大事だが、それ以前に戦争で日本のために亡くなられた方々の遺骨を収集し、弔うことが必要だと強く感じた。…」等の野口氏の“生き様”は知らなかった。
 “自然と対峙している”からだろうか、それとも“死を見つめて生きている”からであろうか、その“素直な心”に感服した。そういえば“白石康次郎”氏も“素直な心”の持ち主のように私には見受けられる。矢張り自然と対峙しているからだろうか、死を見つめながら生きている所為なのであろうか、その目の輝きは人を魅了する。
 いっそのこと“日教組・文部省が仕切る学校教育”は止めて“理念”ではなく“自然”のなかで子供たちを育ててはどうか。その方がまともな子供たちが育つような気がする。少なくとも“祖先を敬い日本を愛する”ことが出来る当たり前の“良識(常識)”を持った子供たちは育つであろう。

 “一燈照隅”の管理人さんには感謝する。「美しい話」を有難う。それにしても「一燈照隅」とは素晴らしいいタイトルだ。拙ブログの“あすなろおじさんのつぶやき”とは雲泥の差がある。

 因みに、何処かで聞いた言葉ではあるが詳しくは知らなかったので「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」を調べてみた。矢張り奥が深い。

慣用句辞典より
一燈照隅、万燈照国(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく) 一つの燈は一つの隅しか照らせないが、多くの燈が集まれば、点が線になり線が面になり、国全体を照らすであろうということ。 出典:伝教大師(=最澄)の言葉と言われる。 ★「一燈照隅、万燈遍照」は、安岡正篤がこれを準(なぞら)えて言ったもの。


“安岡正篤「一日一言」”より

「一燈照隅・萬燈遍照」
(安岡正篤『青年の大成』(致知出版社刊)より)

◇   ◇   ◇

安岡正篤先生は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。
青年を相手に語られた先生の言葉に耳を傾けてみましょう。

おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。

なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのかーーとよく考える人がある。大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。

つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。

それよりも、自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。



つれづれなるままに | 【2007-11-27(Tue) 19:24:27】
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世界は腹黒い
 先日、ネットで購入した高山正之氏の著作“世界は腹黒い”を読み進めている。

世界は腹黒い―異見自在 世界は腹黒い―異見自在
高山 正之 (2004/11)
高木書房

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 読み進めているうちに「?」と思った。“タイトル”は違うから何か私の勘違いか、とも思ったが、余りにも私の拙い記憶に引っかかる文面が多いので、怪訝に思いながら本棚から一冊の本を探し出してきた。タイトルは“異見自在―世界はみんな腹黒い”。

異見自在―世界はみんな腹黒い 異見自在―世界はみんな腹黒い
高山 正之 (2000/12)
PHP研究所

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 確かにタイトルは違う。今回購入した高山氏の著作は“世界は腹黒い―異見自在”である。

 ということで、一度読んだ本(コラム)を読み返すことになった。但しその数は「58コラム」。
 “異見自在”には1998年1月24日~2000年7月29日までの「58コラム」が掲載されており、対して“世界はみんな腹黒い”の方は1998年1月10日~2003年4月15日までの「163コラム」が掲載されている。また、“まえがき”等によれば、高山氏執筆の“異見自在”の「全てのコラム」が掲載されているらしいので、高山氏ファンの私としては「105(163-58)コラム」も“新しいコラム”が読めるのだから決して後悔することはない。
 しかし、2000年7月29日以降のコラムを取り上げて“異見自在 パート2”にでもすれば良かったのにとも思うが、“以降”は「36コラム」しかないのだから仕方がないであろう。出版社も商売である。「36コラム」では単行本として少しボリュームが少な過ぎる。それに“一度ボツになったコラム”を加えてみても何か魅力に欠ける。だとすれば、改めて追加執筆を高山氏にお願いするか、頭を使って他の方策を考えなければいけない。
 高山氏も忙しかろう。頭を使うのも面倒であろう。
 結果、二段組で字が小さくなり一部の人たち(シニアグラス利用者)には読み難くなったとしても、「全コラムを掲載」すればそれ相応の価値はあると見込んで“異見自在―世界はみんな腹黒い”ではなく“世界はみんな腹黒い―異見自在”のタイトルで出版に踏み切ったのであろう。出版社には一冊でも多くの売上を“コストをかけずに”上げなければならない至上命令がある。「出版社は腹黒い」などとは決して考えないことにしよう。

 何れにしろ、先の“ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ”とは違って帯の文面は素晴らしい。“帯の裏面”ではあるが、以下の販促文面には頭が下がる。読んだ記憶が微かにあるので本文中からの“転載”だとは思うが、これでは買わずにはいられなくなる。帯の文言に絆されて買ってしまったようなものだ。要は、単純なのである、私は。

今の日本を悪くしているのは無能な官僚や政治家だ。
しかし最も悪いのは新聞だ。
彼らは中国や韓国と組んで、嘘を書き、
そのくせ河野洋平の愚行は書かない。



凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 18:45:47】
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屋山太郎さん
2007.11.26.snkei.01 私の尊敬する方のお一人である。但し結構長い間、「お・く・や・ま たろう」さんだと思っていた。「や・や・ま たろう」さんとは“別人”だと考えていた。お恥ずかしい限りである。
 何故このような“正論”を語る政治評論家が注目されないのだろうと怪訝に思っていたが、何のことは無い、私が間違って名前を覚えていただけである。「や・や・ま たろう」さんだったら時々マスコミにも登場している。「や・や・ま たろう」さんがマスメディアに登場する度に「似たような名前の人がいるものだなぁ」と思っていた自分が恥ずかしい。間違いは素直に認めよう。そしてごめんなさい「や・や・ま」さん。
 結構、このような“勘違い”は数多い。世の中の軋轢は殆どがこのような“勘違い”によって引き起こされている。何も言い訳をしようというのではないが、言い訳に聞こえるのならばこれまた謝るしかない。或いは勘違いすることが私だけの性癖ならば甘んじて一身に非難も受けようが、決してそうともいえないであろう。勘違いは人間としての、否、生物としての“性(さが)”である。
2007.11.26.snkei.02 要は、“勘違いすること”を前提として自らの行動を律しなければいけない。これが一つの人間として生まれてきたからには守らなければいけない大切な行動原理であろう。「天下りや渡りを禁止するようだと官僚に成り手がなくなる」等と言い訳をするのはもっての外だ。
 私も人間の端くれである。だからこそ沢山の“勘違い”はする。しかし「や・や・ま」さんを「お・く・や・ま」さんと勘違いすることはまだ“可愛い勘違い”ではないであろうか。勘違いには「可愛い勘違い」「可愛くない勘違い」がある。「可愛い勘違い」ならば余り他人様には迷惑を掛けることはない。己自身が損をするだけだ。しかし「可愛くない勘違い」の場合は他人様に沢山の迷惑を掛けてしまう。「公務員の勘違い」もその一つの代表的な例になろう。
2007.11.26.snkei.03 そもそも国家官僚も含め「公務員」とは何なのであろうか。このことの理解なくして“勘違い”もへったくりも見えてこないが、少なくとも“公務員は国民の僕(しもべ)”であることだけは間違いない。“僕(しもべ)”が嫌ならば私利私欲を追究して“民間”に勤めれば良い。もし“成り手がいなくなる”と言うならば、言う前に先ずは辞めてもらおう。その上で“公務員(官僚)の成り手”が本当にいなくなれば、その時は“天下りや渡り”を大っぴらに解禁して頭を下げて“可愛くない勘違いをした公務員(官僚)”になってもらおう。それはそれでいたし方がない。
 しかし、である。“公務員が僕(しもべ)である”ことには変わりはない。“僕(しもべ)”とは“尽くす人”のことである。では誰に対して“尽くす”のか。それは“ご主人様”に対して“尽くす”のである。身を粉にして自らの私利私欲に囚われず“ご主人様”の為を想い、誠心誠意尽くすのが“僕(しもべ)”たる者の務めである。だからこそ“僕(しもべ)”はご主人様から信頼され感謝の誠と共に敬愛の対象ともなり得る。それが自らの“僕(しもべ)”たる役割を「勘違い」してしまったのではご主人様から信頼されず嫌悪の気持ちを抱かれてしまったとしても、それは自業自得であり因果応報である。
 先ずは“成り手がいなくなる”等と“論理のすり替え”をすることなく、「公益」よりも「私益」、「国益」よりも「省益」という“自らの「勘違い」を糺(ただ)す”ことが先決だ。“僕(しもべ)”は「ご主人さま=国民」に仕える者であり、決して「私益」、「省益」に奉仕するものではない。そのような「可愛くない勘違い」は断固是正するべきだ。
 私も自らの勘違いを素直に認めて反省し、これからは「や・や・ま」さんと間違いなく呼べるよう努力していくことにする。

凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 00:20:30】
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正論
久しぶりに“この国は少し変だ!”を訪れてみた。感激した。余りにも純粋な正論に。

「日本が嫌いなら日本から出て行け!」


しかし、日本…

…だから、怒る時は怒らねばならないのだ!それを はしたない?!だとか、日本人らしく無い!だとか。まずは論理的に説明をして彼らが何か因縁をつけて来たら怒ってもいいけど・・・・・などと言っていては、恐らく効果は無い!数千人に対して20人で訴えるには、そのような戦法は何の効果も無い。

既存の保守派の方々は騙されているのだ。日本らしくない!と言われ続けられ!そんな奴らの世論誘導を見抜けぬか!

全身の血を逆流させ怒りをあらわにして絶叫するのだ!日本から出て行け~!と


 返す言葉がない。“見抜けない”わけではないが、“言挙げ”を嫌う日本人の“美徳(DNA)”を憾(うら)むばかりである。
 しかし私は“火病”に罹りたくはない。伝染されたくない。結構難しいところだ。「美しい国」の日本人の一人としては。
 そもそも“言挙げ”を嫌うのが日本文明の美徳だとしても、戦後多く見られる“自虐的な失語症”“日本文明が培った美徳”なのであろうか。私には寧ろ、先の大戦で「怒った為に酷い目に遭わされたトラウマ」が我々を“怒れなくさせている”のではないかと考えるようになって来ている。
 だとすれば、彼の国のように“狂ったように”叫ぶことは必要はない。ただトラウマから解放されれば済むことである。日本を“日本人の心”を取り戻せばすむことである。しかし、これが厄介だ。「日本の心」は風前の灯である。逆風を吹かせなければならない。そのことの方が先決のような気がする。
 確かに言葉で言うのは簡単だ。しかし、実行は難しい。私自身未だに「日本の心」を捜し求め彷徨い続けている。情けない。そして、哀しいことである。

凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 00:12:31】
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