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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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記憶に残したい動画・他
Moonlight Sonata
 急に“月光の曲”が聴きたくなった。お気に入りのバックハウスの演奏を聴いている。ユーチューブには“バックハウスの月光の演奏” はなかったが、色々な動画がアップされている。有名どころではケンプの演奏。
 矢張り私には上品過ぎる。個人的に思い描くベートーベンとは違ってしまう。私はベートーベンのピアノソナタはバックハウスかギリレスの演奏が好きだ。要は感性の問題。ただそれだけのこと。
 以前、ピリスの演奏を聴きに行ったことがある。確か“紀尾井ホール”。“紀尾井ホール”にはコンサートグランドピアノは似合わない。その広さからして鍵盤楽器ではチェンバロが精一杯だと思う。会場の音響設備の所為もあろうが、二度とピリスのベートーベンは聴きたくないと思ってしまった。その時演奏していたのは“熱情”。私には反逆のベートーベンとしか聴こえなかった。余りにも繊細なピリス自身の演奏スタイルに対する、ピリス自身の反逆の演奏だったのであろう。
 人はなかなか安住の地を見つけられない。欲深い存在である。おそらく彷徨っていたのであろう。余りにも完璧にモーツアルトなりシューベルトを演奏してしまったので。私の感性はそのようにあの夜のピリスの“熱情”の演奏を結論付けている。
 本当に聴衆とは勝手なものだ。自らは“ネコふんじゃった”でさえも満足に弾けないくせに、勝手なことばかり言っている。才能がなくてよかった。ピアノが弾けなくて良かった。勝手なことを言っていられるのだから。凡人は幸せである。
 それにしても面白い“月光の曲”である。弦楽合奏、合唱つき?まるでレクイエムのようだ。

Moonlight Sonata


Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 1
Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 2
Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 3

Beethoven's Tempest Sonata mvt. 1 -- Wilhelm Kempff
Beethoven's Tempest Sonata mvt. 2 -- Wilhelm Kempff
Beethoven's Tempest Sonata mvt. 3 -- Wilhelm Kempff


つれづれの音楽 | 【2007-11-26(Mon) 21:20:03】
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中国人の本質2
 ついつい書き(打ち?)写したくなってしまった。“中国人の本質”である。“ボケ防止の為”と自らに言い聞かせ、キーボードを叩くことにする。

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金 美齢 (2007/07)
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P240「上有政策、下有対策」の中国社会より

 …勝つためには手段を選ばない。スポーツの世界だけではなく、これは一般的な傾向である。中国の「老百姓」(庶民)にとって、お上はいまだかつて信頼に耐える存在ではない。「上有政策、下有対策(お上に政策あらば、下々には対策あり)」は悠久なる歴史を通じて培われた信条である。人治で朝令暮改の社会を生き延びるためには、お上の決めたルールなぞ面従腹背が当たり前。今日はヒーローでも明日は吊るし上げの対象になりかねない。国際的なルールも間隙を縫って実利を求めるのが利口なやり口。違反も見つからなければ良い。強きを助け、弱きをくじくのが善なのだ。…


日本に生まれてよかったと、つくづく想う。

関連投稿; “中国人の本質” “日本人の覚悟” “中国の本性”

凡人の独り言 | 【2007-11-26(Mon) 19:24:03】
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さくらへの想い
 驚いた。“博士の独り言”にリンクを貼ってもらった。“博士”にリンクを貼ってもらえるような私は“草莽の志士”ではない。お恥ずかしい限りである。
 ただ、“草莽の志士”に“な・ら・な・け・れ・ば・い・け・な・い”、とは思ってはいるがまだまだ力不足である。
 私が“博士の独り言”を訪れるようになった切っ掛けは「パラオの桜と英霊」の記事であった。ブログを始めて未だ間もない頃、偶然に“博士の独り言”に出逢った。そして涙した。デジタルの文面に生まれて初めて涙したのである。その後度々訪れることになり、都度“博士”の文面に心打たれることが多くなってきた。見ず知らずの、しかも魑魅魍魎が跋扈するデジタルの世界での心に響く文言に驚愕を覚えながら、自らの至らなさを反省する日々が続いている。
 全ての投稿を読んでいるわけではないが博士は私よりは年齢のお若い方のように見受けられる。しかし、年齢などはどうでもよいことだ。素直にその“博識”に、そして“心意気”に敬意を表させていただく。
 “博士の独り言”の応援団の一員にしか過ぎない私ではあるけれども、今後の“博士”のご活躍に期待する。

“パラオの桜と英霊”より一部転載

…やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」  
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…

船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。


これが「日本人の心」である。

 一部の他国が、捏造をもとにいかに非難しようとも、建国以来、幾多の先人、幾多の英霊がもたらした恩恵によって、日本の今日がある。先人、英霊が自らの命と引き換えに、守り育てた国土に我々は生まれ、生活している。

 そして、我々が今守るべきもの、後代に伝えるべきものは何か。その明確なる答えを、先人、英霊は教えている。


これが「日本人としての心構え」である。

凡人の独り言 | 【2007-11-26(Mon) 18:08:11】
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藤岡信勝氏の正論

11月22日付産経新聞(Net View)より
“msn産経ニュース”

sankei2007.11.22.03 「率直に申し上げます。このまま推移するなら、福田首相と渡海文科大臣はあの悪名高い「近隣諸国条項」を推進した宮沢官房長官と同じ、拭(ぬぐ)いがたい汚点の刻印を文教行政に刻んだ政治家としてその名前を後世に記憶されることになります。」
 「教科書会社各社は早速、検定意見をつけられた5社7冊のみならず検定意見をつけられなかった1社1冊までもが便乗して、11月上旬までに訂正申請を提出しました。」
この訂正申請が承認されるなら、文科省が一度つけた「沖縄戦の実態について誤解を与える表現である」という検定意見は完全に否定され、検定前よりもさらにあくどい反軍イデオロギーに基づく歴史の虚構が教科書に載ることになります。目の前でこのような歴史の再偽造が行われ子供に提供されるのを見るのは到底耐えられません。
sankei2007.11.22.04「第1に、実数2万人以下の沖縄県民大会が「11万人」と誤報された直後に方針転換したことです。「集会で歴史を書き換えさせる」という前例をつくることは法治国家の基礎を揺るがす最悪の「政治介入」です。
「…しかし、教科用図書検定規則第13条に定められた訂正申請制度の趣旨は、検定終了時点から使用開始にいたる約1年の間に発見された誤記・誤植・脱字などについて教科書会社からの訂正申請を認めるもので、検定意見を否定するような訂正は認められていません。「学習上の支障」というこじつけで検定意見を否定する訂正申請をさせているのです。」「…本来、訂正申請の審査はあくまで検定意見の範囲内で行われるべきもの…」「…検定意見撤回運動を推進してきた特定勢力…」「…日本史小委員会の特別委員またはヒアリングに少なくとも秦郁彦、中村粲、曽野綾子の諸氏など集団自決問題に見識と実績のある学者・研究者・作家をくわえねばなりません。…」


 まさに「正論」である、と思う。世の中(多数のマスコミ等)がおかしいのか、藤岡氏がおかしいのか、はたまた私がおかしいのか…。
 “一部のマスコミ・政治家・市民団体、etc.”がおかしいのは分っているが、「正論」がおかしく思われる世の中は、矢張り“おかしい”のではないであろうか。当たり前のことが忘れ去られようとしている。ある意味、怖い世の中である。“現在の民主主義”の世の中は。

沖縄集団自決 | 【2007-11-26(Mon) 17:59:37】
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進歩的文化人の実相
 二つほど投稿し忘れていた“つぶやき”があった。この“進歩的文化人の実相”と“藤岡信勝氏の正論”である。少し時を逸してはいるが“つぶやき”がもったいないので投稿することにする。

sankei2007.11.21.03  私は“大江健三郎氏”が嫌いである。たとえ“権威あるノーベル賞”の受賞者であろうとも嫌いである。そもそも個人的には大江氏が“ノーベル賞”を受賞した時点で“ノーベル賞”そのものへの信頼を失ってしまった。勿論“ノーベル賞”への信頼の欠如はそれだけの理由ではないが、こと“文学賞”に関していえば大江氏個人よりも“翻訳者”を称賛するべきである。相当に“誤訳や意訳”をしてくれたのであろう。そうでなければ、あのように“講演”や“論考(コメント等)”で偏見に満ちた言質を弄する“文化人”が“ノーベル賞”を受賞できる筈がない。中国や一部の共産(全体)主義国家には受け入れられても、現代の民主主義的価値を標榜する自由主義の国々では受け入れられるわけがない。
 何れにしろ、大江氏の講演や論考をたまたま聴いたり見たり読んだりする限りにおいては、このような考えを持ってしまう。おそらく“偏見”であろう。先ずはそう思うことにする。少なくとも今回の“大江裁判”の経緯(いきさつ)を忘れることが出来ればの話ではあるが。
 ともかく私は大江氏の著作は殆ど読んだことはないので、今度、読んでみようと思う。余り気は進まぬが。
2007.11.21.snkei.04 大江氏とは違いもう一人のノーベル文学賞受賞者である“川端康成氏”は私の大好きな作家の一人である。川端氏の小説の中には失われてしまった“日本の心”が鏤められている。矢張り「美しい日本の私」の心意気を持って書かれた作品と「あいまいな日本の私」が書いた作品では雲泥の差が出てきても当然のことなのかもしれない。とはいっても川端氏の作品は結構読んではいるが大江氏の作品は殆ど読んだことがないのだから、これまた“偏見”といわれてもいたし方がない。しかし、今般の大江裁判での本人の答弁を読んでみると矢張りその根底には「美しくない日本の私」の観点から「美しくない日本人」を垣間見るようで進んでその著作を読んでみようとはどうしても思えなくなってしまう。大江氏は今の私にとって忌むべき「卑怯」「潔く」ない「進歩的文化人」の代表的な一人として感じられてしまう。
2007.11.21.snkei.05 まさに、その答弁は「良心の欠けた不誠実な弁明」であり「美しくない日本の私」である。矢張り「あいまいな日本の私」は必然的に「美しくない日本の私」を形作ってしまうのであろう。
 私は川端氏が言うような「美しい日本の私」でありたいと願う。そして事実は将にその通りであると信ずる。勿論、“私が美しい”というのではなく「日本は美しい」ということだ。せっかく「美しい日本」に生まれたのだから後は「美しい私」になれるよう頑張るだけだ。何も無理やり「美しくない日本の私」になることもないであろうに、結構、“変質者”は多くいる。今の日本には。返す返すも忸怩たる思いで私の心は満杯である。
 実際に裁判を傍聴された秦氏は「もしこうした語り口が法廷戦術の一環だとしても、これほど非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない長口舌に接した経験は私にはない。」と述べられている。
 矢張り“進歩的文化人”はただ者ではない。日本人でありながら日本人ではなくなってしまっているようだ。「卑怯」で「潔く」なく「詭弁家」ある。まるで世界に不幸を撒き散らす(散らしている)「マルキスト」や「原理(≒全体)主義者」のようである。

沖縄集団自決 | 【2007-11-26(Mon) 17:58:03】
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