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あすなろおじさん

Author:あすなろおじさん

「近・現代史」に興味があり、日々「美しい国・日本」を夢見ているちょっと(?)歳をとったちょっと太めの“あすなろおじさん”です。※※※※※※※※※
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HM殿宛のメール
 久々に「HM殿宛のメール」を転載する。
 日付を見てみたら本年の3月9日であった。
 早いものである。「あっ!」という間に月日は過ぎ去って行く。

 そもそも、このブログを始めた理由の一つが「HM殿宛のメール」であった。あの頃は、相手の迷惑も顧みず“幼友達”でもあるHM殿へ頻繁にメールを送りつけていた。

 HM殿は税理士さんである。お堅いお仕事である。神経をすり減らすお仕事でもあろう。その所為か幼い頃とは違って人格が複雑に絡み合ってしまっているが、それもいたし方がない。人は成長するに伴い人格が絡み合うものである。“税理士”としての人格もあれば“男”としての人格もあろう。社会的人格は数え切れないほど持つようになってくる。そうでなければ生きていけない。だから「パーソナリティー」という。“性格”とは「仮面・ペルソナ」なのである。

 その意味においてHM殿は税理士さんらしからぬ税理士さんである。とても税理士さんとは思えない。

 HM殿の名誉の為に言っておくが、何も税理士失格だといっているのではない。税理士の枠に閉じこまらない人間味に溢れた税理士さんだということである。

 HM殿は「それは俺の仕事ではないから…」と、官僚的な対応は一切しない。「そうかぁ、大変だなぁ…。よっしゃ!俺が何とかしてみる!」といってくれる。結果はともかくとして、その心意気に惚れ惚れする。税理士にしておくのはもったいない!と本気で私は考えている。

 そんな彼を「これ以上困らせてはいけない!」と思い、始めたのがこのブログでもあった。おかげさまで今では殆どメールで愚痴をこぼすことはなくなった。もしかしたら寂しい思いをされているかもしれないが、彼のことであるから今でも「地裁」や「悪徳金融機関」に怒鳴り込みに出かけていることであろう。因みに、普通は税理士さんという者は「地裁」や「悪徳金融機関」に怒鳴り込みには行かない。行かないのが普通である、と思う。だからHM殿は“変な(普通ではない)税理士さん”であると私は思っている。

 それはともかくとして“博士の独り言”に出合ったのもこの頃だった。HM殿への気兼ねだけではブログを始めてはいなかったかもしれない。結構私も鈍感なところがある。相手の迷惑など屁にも掛けないこともある。“博士の独り言”に奮起されなければ今でも「迷惑メール」は続いていたであろう。“被害者”を増やしながら。

 以上のような理由からして、この「2007年3月9日」は私にとって大切な記念日になりそうだ。その文面での憤りは今も変わってはいない。

 “あすなろおじさん”に変身する前の私がそこにはいる。いわばこのメールは私のプロフィールになるかもしれない。「私の想い」のプロフィールの一つとして。若干の誤字脱字は訂正した。恥を曝すつもりで後はそのまま転載する。

“HM殿宛のメール”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 23:48:56】
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ヨコスカ…何?
 そうかそうか、「ヨコスカ平和船団」という“日本の平和団体”があるのか。しかもこれは根っからの「市民団体」であるらしい。
 期待が出来る。早速調べてみよう。

『ヨコスカ平和船団は、
私達の海を軍隊から取り戻すために活動する市民の集まりです。
また、海との共生を求めて海と親しむ楽しい行事をも企画しています。
私達と一緒に船を出しましょう。』

 確かにホームページのトップページに上掲の文言が記されており期待が持てる。が、しかし、

『2007年の定例海上行動は終了。
2008年は3月30日より開始します。』

 どうやら“ヨコスカ平和船団”はお休みらしい。せっかくの好機なのに残念なことだ。当の平和団体の方々はさぞや地団太を踏んで悔しがっておられることであろう。
2007.11.30.yokosukaheiwasenndann ただ、私は「平和団体」に休みがあることを初めて知った。「平和」を名乗る団体にしては何か矛盾を感じないでもないが、「市民団体」でもあるらしいので、いたし方ないか。
 それぞれに仕事をお持ちのことでもあろうから、なかなか思ったような活動は出来ないであろう。一度や二度のチャンスを逃がしたとしても次の機会には頑張ってくれることであろう。 是非「ヨコスカ平和船団の約束」に違うことなく頑張っていただきたい。但し、くれぐれも「公平」に。
 さもないとただの「反日団体」だと勘違いされてしまう。

どうやら“加賀もん”さんの“期待はずれ”で終わってしまいそうだ。

“加賀もんのブログ”で教えてもらった情報でもあるし、とりあえずTBで連絡だけはしておこう。さぞかしがっかりされることであろうが。

追記
 どうやら“加賀もん”さんは既にご存知のようだ。私が見たのが23日の投稿文、今日は30日。“29日のブログ”に詳細が語られている。安心した。
 最後に以下の文言だけコピペさせていただくことにする。オリジナルよりも“少し”拡大して(実際には、今の作業環境での目一杯拡大)。

今からでもまだ間に合う。

「平和団体」は、

晴海に向けて、

或いは中国大使館(に)向けて

デモ行進をしなければならない。


by“加賀もんのブログ”より


関連投稿; “反戦平和団体” “反戦(反日?)平和団体”

凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 22:28:05】
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渡部昇一氏
2007.11.30.snkei.03 まさに「正論」。「異論」はあるまい。あっては困る。「意見」はあるにしても。
 渡部昇一氏は私の恩師である。とはいっても一面識もないが。渡部氏の著作により私は救われた。おんとし77歳。喜寿である。意気軒昂の日々をおくられているようだ。今後も末永いご活躍を期待する。

閑話休題

 「喜寿」という言葉を思い浮かべ、少し気にかかった。日本には古来から数々の“お祝い事”がある。「喜寿」の言葉も「長寿を祝うお祝い言葉・事(ごと)」の一つである。このぐらいのことは知っている。知っているつもりであった。
 その外にも思いつくままに並べてみると「還暦(かんれき/61歳)」「古希(こき/70歳)」「喜寿(きじゅ/77歳)」「米寿(べいじゅ/88歳)」「卒寿(そつじゅ/90歳)」「白寿(はくじゅ/99歳)」と思い浮かぶ。(※今調べたのだから間違いはないと思うが、間違って覚えていたものが二つあった。還暦が60歳で白寿は100歳と、何気なく頭の隅に記憶していた。)
 しかし、どうやらこの他にも色々とあるらしい。たとえば「緑寿(ろくじゅ/66歳)」。以下連記してみると「傘寿(さんじゅ/80歳)」「半寿(はんじゅ/81歳)」「盤寿(ばんじゅ/81歳/将棋界)」「茶寿(ちゃじゅ/108歳)」「川寿(せんじゅ/111歳)」「皇寿(こうじゅ/111歳)」等など色々とある。
 自らの“薄識”を恥じ入るばかりだ(薄識=博識の反語。造語である。読みは“はくしき” 類似後;薄氷)。いやはやびっくりたまげた。
 そもそもこのような「お祝い言葉・事(ごと)」は何であるのか。少し考えてみた。深く考える必要もないであろう。要は「やさしさ」である「おもいやり」である。敢えて“漢字”は使わずに“やまとことば(大和言葉)”にしてみた。何も漢字を知らないわけではない。たとえ憶えてなくともパソコンを使えば「優しさ」「思いやり」と、ほれこの通り“変換”することは出来る。「優しさ」を「易しさ」と間違って“変換・確定”してしまっては困りものだが、そのような間違いは“たまに(偶に)”しかしない。
 これも“日本文化・文明”の賜物であろう。是非、大切にしていきたい。
 
 ところで、問題が残る。今の日本は「長寿社会」と言われるようになってきた。100歳を“越える(※本来は“超える”であろうが“敢えて”)ご老人も5桁を“超える”。そのような中にあって、今調べたところによると「川寿(せんじゅ/111歳)」が最高位ではちと寂しい。
 生物学的な寿命の限界が120歳位だとしても、学問はあてにならない。ここは人間としての心意気を発揮して、せめて180歳ぐらいまでの“お祝い言葉”を“法令”で定めてみたらどうであろうか。“日本国憲法の条文”にでも組み込めたらさらに喜ばしいことだ。
 あくまでも参考までにというところだが、「120歳(色寿)」「130歳(即寿)」「140歳(是寿)」「150歳(空寿)」「160歳(桃寿)」「170歳(源寿)」「180歳(郷寿)」と。
 そう、「色即是空」の「桃源郷」である。別に深い意味はない。上手く字数があてはまっただけである。

 余談だが、嫌なものを見つけてしまった。お陰で一つ歳が増えてしまった。しかし、矢張り「数え年」が本来のあり方であろう。さすれば「親への恩」も一入(ひとしお)であろう。「満」では少し如何わしい。

■数え年とは
生れた時点を一歳と数え、その後正月を迎えるたびに一つ年を加える数え方です。 仏教ではお母さんのおなかの中での一年も「いのち」として数えますので、数え年を用いるのです。 生まれたときは0才ではなく1才で、次の正月が来るたびに年を加算します。 数え方は、満年齢に誕生日前なら2才、後なら1才を足します。


追記
 先ずは「還暦が60歳で白寿は100歳」でも間違いではないらしい。「数え歳」と「満年齢」の違いか?
 それから「あっ!」と驚いた。
 あった!111歳以上の長寿のお祝い言葉が。しかも「250歳」まで!
 さすが「中国文明!」。「白髪三千里」は伊達ではなかった。

ウィキペディア/誕生日
2007.11.30.tyoujyu


凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 18:43:04】
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博士の独り言
 本日の“博士の独り言”の一節を“凡人の独り言”のカテゴリーで紹介させていただく。
 尚、既にカテゴリー“凡人の独り言”のタイトルが“博士の独り言のパクリであることは“カミングアウト”している(“凡人の独り言”)。

タイトルは“「平塚八兵衛」一考”
“落ち”の部分だけ転載。

 …もしも、現今の政界に「八兵衛の交番所」があれば、「おい」と声をかけられ、「お前、支那の手下か」、「泥棒か、お前は」と。厳しい尋問に遭う政治家は数多と出て来るのかもしれない。…


“博士”には是非、“朝日新聞の天声人語”を執筆していただきたい。

凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 14:20:12】
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反戦(反日?)平和団体
2007年11月30日付産経新聞朝刊(Net View)より

2007.11.30.snkei.01 矢張り“旗振り”はいないようだ。“横断幕”も“拡声器”も“シュプレヒコール”も“アジテーション”も見られないようだ。何故なのだろう?不思議である。
 “反戦”を謳うからには“国”に関係なく頑張るべきだ。それが“真の反戦”というものであろう。“日本の反戦団体”ならば気合を入れ直せ!“軍艦”だぞ“軍艦”。しかも“ミサイル駆逐艦!”明らかに“戦争”の為の代物だ。“反戦”を主張するならば好都合のターゲットではないか!“戦争”のない“平和な世の中”を目指すのならば“ミサイル駆逐艦”等は“核兵器”と同様に必要はない!確りしろ確り!
 一体、“誰の為の平和”なのだ!“何の為の反戦”なのか!君ら(彼女ら)には“説明責任”がある!
 このままではまるで“反戦団体”ではなく “反日団体”だったと“誤解(?)”されてしまうぞ!
 しかし、この記事を読むと“軍艦”とは“海難救助艇”のことかと“誤解”してしまう。“海難救助艇”ならば何故に“ミサイル”を装備しているのであろうか?本当に世の中というものは奇奇怪怪である。

2007.11.30.snkei.02 また、「“陸の孤島”強制撤去 反対住民、農薬飲む」という記事が上掲の同紙面に掲載されている。
 私は“オリンピック”とは“平和の祭典”とばかり思っていたが、どうやら中国では違うらしい。少なくとも“平和の祭典”が終了するまでは“民衆の苦難”は続きそうだ。一体“平和の祭典”の為に何人の“尊い命”が失われることか。隣国のことながら心配である。中国には早過ぎた。“平和の祭典”を開催するのが。最早、悔やんでも遅い。本当に慙愧の念に耐えられないことであろう“IOC”は。

 さらに、同紙面に“HIV関連の記事”も載っていた。
 中国に行かれる予定のある方はくれぐれもご用心を。中国は“白髪三千里”の国柄である。“真実”はわからない。もちろん、“白髪”が「85万人」の方で、決して「“白髪”が“三千里”」ではない。誤解なきよう。

関連記事; “反戦平和団体”

凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 13:43:53】
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中国の新たな脅威
2007.11.29.snkei.04 私自身も詳しく知らなかったので少し調べてみることにした。
 兎に角、世界的には中国の人民元の記号は「¥」なのである。
 そう、日本円の 「¥」と同じである。
 日本の通貨名称(コード)は「JPY(Japanese Yen)」で中国(中華人民共和国)は「CNY(Chinese Yuan)」だ。
 おそらく殆どの日本人は「¥」は日本独自(固有)の貨幣単位だと考えているのではないであろうか。
 答えは「No!」なのだが、「うっそ~!信じられない!」という言葉が聞こえてきそうな気がする。

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凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 00:21:25】
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反戦平和団体
 確かにそうだ。“日本の反戦平和団体”は何をしているんだ!「軍艦」だぞ!しかも「ミサイル駆逐艦」だぞ!「万景峰号」とは違うんだぞぉ!“反戦平和団体”よ、頑張れ!今こそ君たちの存在価値を示す時だ!

頑張れ“日本の反戦平和団体”よ!


“一燈照隅”さんより一部転載

支那のミサイル駆逐艦が東京の晴海埠頭に入港しました。
いつも米国軍艦が入港するときに、入港反対の抗議活動をする反戦平和団体は何処に行ったのだろうか。
米国艦艇の時は艦の周りを船で囲んで、入港を阻止しようとまでしていたのだが。
これらの船も人も何処に行ったのだろうか。
まして佐世保や横須賀といった自衛隊の港ではなく、皇居の近くの東京湾です。
反戦平和団体と言うのがどのような団体か、特定国のための反戦平和団体だと言うことがこの事から理解できるでしょう。
それと、東京湾の奥まで支那のミサイル駆逐艦を入れるような政府では、いざという時に心配です。


関連投稿; “中国の真意”

凡人の独り言 | 【2007-11-30(Fri) 00:16:05】
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高山正之さ~ん
 少し心配になってくる。昨夜、高山氏の新刊本(?)を手にした。パラパラと本を紐解き、最初の数ページを読んでみた。

日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる 日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる
高山 正之 (2007/04)
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 本日は、先ほどコンビニに寄った序に“週刊新潮”を買ってきた。もちろん高山氏の“変見自在”を読む為である。今週号のコラムのタイトルは「国悪し」。内容を読んでみると「国=日本」とも読み取れるし「国=諸外国」とも読み取れる。おそらく後者の意味なのであろうが、それにしても辛辣だ。とても“まともな日本人”には読みすすめることは出来ない、であろう。幸いに私は“余り、まともではない”ので何とか読み終えることが出来た。

 その中に「慰安婦」に関する事柄も書かれていた。以下の文面である。

…彼は日本の裁判所で嘘つきと認定された吉田清治の嘘と韓国人の嘘つき金一勉の著作をもとに「朝鮮人女性を軍が拉致して性の奴隷にした」とする「Comfort Women」を執筆した。
 この一点の真実もない英文の本が後に国連のクマラスワミ報告のネタ本になり、マイク・ホンダの決議文に化けていくことになる。
 もちろん朝日も韓国人妻をもつ植村隆記者を使って「軍の拉致」という虚構を独自に立ててヒックスを支えた。
 余談になるが、今年の新聞大会でこんな罪深い嘘を並べてきた朝日が「新聞倫理の向上に努めた」という理由で表彰された。笑えない冗談だ。…


 この文面は未だ“ましな方”で高山氏の最近のコラムには“まともではない”私でさえも目を覆いたくなるような文面が数多い。どうやら高山氏は年齢と共にパワーアップされているようだ。日増しに“正直者”になりつつあるように見受けられる。
 “まとも”になるためには先ず“嘘をつく”ことを覚えなければいけない。“正直者”過ぎても困りものだ。その点“朝日”は参考になる。それから“国を愛さない”ことも必要だ。“国を愛し過ぎ”ても困りものになる。しかし“過ぎなくても”困りものだ。要するに“国は愛してはいけない”らしい。“まともな人たち”はそのようにいっている。他にも“責任”は自ら買って出てはいけない。あくまでも他人に転嫁しなければいけない。そうしなければ“まともな人間”にはなれないそうだ。
 だからこそ心配になる。高山氏は「正直過ぎて“まともではない”」。これでは“まともな社会”では生き続けることが大変であろう。せめて高山氏が執筆を続ける限り“週刊新潮”を買い続け、高山氏の著作も買い続けていくことにする。応援するつもりで。

 転記した一部コラムの後半部分は少し「慰安婦」からはみ出してしまっているが、高山氏お得意の“笑えない冗談”が書かれている。是非“高山流の笑えない冗談”で一冊の本にしていただきたい。楽しみである。

 因みに高山氏によれば前掲の「悪し諸外国」とは“オランダ”と“豪州(オーストラリア)”のことのようだ。矢張り“豪州”の決議案も間違いなく可決されることであろう。なぜならば「国悪し」なのだからしかたがない。

凡人の独り言 | 【2007-11-29(Thu) 19:54:27】
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従軍慰安婦?性的奴隷??
 “博士”には申し訳ないが“つぶやく”つもりが“ほぼ全文コピー”になってしまった。
 恥ずかしながら、微力も微力、今の若者の言葉を借りれば「“超”微力」かもしれないが、ここは声を大にして“博士”を応援したい。“博士の論考”は決して“独断”では有り得ない、と。
 なぜならば、少なくとも“私”も同じような鬱憤なり疑問・懸念を腹一杯に抱えているからである。したがって今後はせめて「独断“的”かもしれないが…」とか「“独断ではない”と思うが…」等といってもらいたい。尚、《 》内は“あすなろおじさん”の追記。

関連投稿; “従軍慰安婦の正体”

“従軍慰安婦?性的奴隷??”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2007-11-29(Thu) 18:06:42】
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奥克彦氏と井ノ上正盛氏
 本当に月日の流れるのは速い。あれから4年も経つとは。亡くなられた後、偶然にも週刊誌で見かけたお二人のお姿が忘れられない。
2007.11.29.snkei.05 色々な問題はあるであろう。「アメリカによる侵略戦争の協力者」と短絡的な(バカな)決めつけをされる方々もおられることであろう。
 しかし、何時までも忘れずに記憶にた止めておきたいお二人である。私も追悼の念を捧げることにする。

奥克彦氏(おく かつひこ 享年45歳)と井ノ上正盛氏(いのうえ まさもり 享年30歳)。

 2003年11月29日、イラクにて凶弾に倒れ殉職。

ご冥福をお祈りする。

凡人の独り言 | 【2007-11-29(Thu) 17:49:01】
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中国の真意
2007.11.28.snkei.12 本日、正確には昨日の28日より中国の軍艦が日本の晴海ふ頭に寄航しているらしい。正直驚きである。何せ最近中国は「軍艦を出す」といって日本を恫喝したばかりである。はたして「相手の真意を見極めよう」などと悠長なことを言っていて大丈夫なのであろうか。
 私は何も“いらぬ不安”を醸し出そうとしているのではない。現実を見ればその“真意”は明らかであろう。中国は“中華思想”に基づく“冊封体制”を築き上げようとしているだけでのことである。その為の“軍事力”であり“政治力”である。ただ、ここで“中国”というと誤解を招きかねないので正確に「中国共産党」とその本性を明らかにしておく必要がある。中国は“易姓革命”の国である。この先、体制が変わればどのように変化するかは正直わからない。しかし現状の「中国共産党一党独裁政権」下の中国に於いては、その表層は“中華思想”から“毛沢東思想”に変わっているにしろ、その根底における“原理主義的独善主義”は何等変化はしていない。
2007.11.28.snkei.13 “中国の本性(真意)”は十二分に分っている筈である。少なくとも私たち日本人は幾多の苦汁を舐めさせられている。未だに覚醒できないでいるのであろうか。そのことが心配なのである。
 “中国(中共)”の真意は真意として目を逸らすことなく確りと見つめ、その上での対応でなければ何の効果も得ることは出来ないであろう。もう一つの隣国の“太陽政策”のような対応がこと中国にたいして有効な政策になるとは私にはどうしても思えない。“暖かな日差し”は確かに必要であろうが、それだけでは“中華”を誇る“大国”には何等効果を及ぼすことにはならないであろう。矢張り“寒風”を吹きつけることも必要だ。結局は「対話と圧力」ということになるのであろうか。
2007.11.28.snkei.14 “友好”は確かに大切なことであろう。しかし、“友好”ばかりでは侮られるだけに過ぎない。既に中国は日本に対して何度も“敵意”を表明している。そのような国とまともに付き合うことなど出来はしないことは冷静に考えれば分る筈だ。
 “中国への効果のある圧力”が何であるのか。そのことを考えることが先ずは必要なことである。それが「日米安保体制の維持・強化」なのか「経済的援助・協力」なのか、或いは「日本独自の軍事力の強化」、さらには「日本の核保有」なのか。“タブー”を取り除き逃げることなくその現実的な選択を急がなければならない。さもなければ何れ日本は中国(中共)の“冊封体制”のなかに組み込まれてしまうことであろう。
 日本はこのまま“アメリカの被保護国”であり続けるのか、それとも“中国の冊封国家”に成り下がるのか、或いは“真の独立国家”として生き残る道を選ぶのか。日本を愛する国民の一人としてこのことが心配でならない。
 少なくとも今のままでは“真の独立国家”に成り上がることだけは出来ないであろう。悲しいことではあるがこれが“日本の現実”であると私は認識している。

凡人の独り言 | 【2007-11-29(Thu) 01:27:19】
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産経の正論(岡本行夫氏)2
2007.11.28.snkei.04 とりあえず記事の貼り付けだけ。“つぶやく”ことが億劫になってきた。頭が“ボー”。風邪には気をつけよう。風邪は万病の元である。“免疫力”の低下をひしひしと感じる今日この頃である。
 しかし、ものは考えようだ。“免疫力の低下”はいわば新たな「老人力(ろうじんりょく)」の獲得でもある。若い人たちがいくら頑張っても原則的には「老人力」を手に入れることは出来ない。「老人力」はそれなりの年輪を積み重ねなければ身につけることが出来ない「魔法の力」でもある。
 たとえば、昔は結構“無理”が効いていたが、「老人力」が身についてくると“無理”が効かなくなってくる。“無理”をすると逆効果になってしまう。これは決して悲しむべきことではない。見方を変えれば身体に“自動調整機能”が付与されたと考えればよい。要は“考え方しだい”である。
2007.11.28.snkei.05 若い頃は少しぐらいの“風邪気味”ならば“無理”をすれば治ってしまっていたが、今は無理をすれば身体を壊してしまう。だから、自然と“無理”が出来ないよう「老人力」が調整してくれる。それを「無理ができない身体になってしまった」等と嘆くことはない。今回の“風邪気味”等のとき等は特にそうだ。風邪には“安静”が大事である。「老人力」が身についてこないとなかなか“安静”が出来ない。色々と“誘惑”が多くてとても安静などしていられない。それが「老人力」がついてくると自然と“自動調整機能”が働いて“無理”をすることなく“安静”状態に陥り、“養生”ができるようになってくる。現に今、私も半分以上は既に安静状態に入っている。有りがたいことだ。
2007.11.28.snkei.06 これから風邪薬を服用してさらなる“安静”を行い“養生”することにしよう。自然と身体がそのように動いていく。本当に不思議な力だ、「老人力」というものは。
 もし、このような「魔法のパワー」を若い人たちがどうしても身につけたいと願うのならばそれは「鈍感力」で我慢してもらうしかない。「老人力」は明らかなる「特権」である。そう易々とは人に渡せない。渡そうと思っても渡せもしない。まぁ、欲しがる人もいないとは思うが。今の私には大切な「既得権益」の一つになりつつある。
2007.11.28.snkei.07 しかし、不思議だ。何だかんだといって記事とは関係ない事柄ながらも“つぶやく”ことが出来てしまった。これも「老人力」のなせる技なのかもしれない。
 
 記事関連の“つぶやき”は後日また。但し、予定は未定。

“産経の正論(岡本行夫氏)2”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2007-11-28(Wed) 22:41:58】
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産経の正論(岡本行夫氏)
インド洋に補給艦戻せ

2007.11.28.snkei.01 本日の「産経新聞朝刊(Net View)」の一面である。流石に他の新聞では一面には掲載できないであろう。そればかりか「“チョウニチ(朝日)”新聞」等はおそらく非難ごうごう、雨あられ、論理をすり替え、レトリックを屈指して“いじめ”に専念するのではないであろうか。ちと心配である。
「チョウニチ(朝日)”新聞」の「金魚の糞の“毎日”」も心配だ。「風見鶏の“読売”」さえ怪しいものだ。ガキ大将の「“チョウニチ(朝日)”新聞」の旗振りの下、“いじめっこ集団”に加わらなければよいが。なにせこれらの「自称“公正な報道機関(マスメディア)”」“いじめ”が大好きである。つい先ごろも時の日本国総理大臣の安倍晋三首相が“いじめ”で辞めさせられた。針小棒大に事実を報道して国民を煽り“ニュース”をでっち上げて、“いじめて、いじめて”喜んでいた。まるで“サディスト(マルキスト)”のように。これでは「大本営発表」の時代とそう変わりはないであろう。一度ならずも二度三度と国民に塗炭の苦しみを与えるつもりなのか、“自らの権益の擁護の為”に。少しは「正論」を語ってみろ。イデオロギーに偏らない国益を重んじた「正論」を。いい加減“恥を知れ恥を!”と言いたい。殊に「“チョウニチ(朝日)”新聞社」には。
2007.11.28.snkei.02 また、日本は民主主義国家であり言論の自由があるはずなのに、どういうわけか未だに「言霊信仰」に犯されてしまったままでいる。殊に「社民党、共産党、公明党、そして民主党(旧社会党員)」。マスコミは“いわずもがな”である。
 その点、産経新聞は頑張っている。“言霊”もなんのその、「正論」をバンバン報道してくれている。将にマスメディアの中の“救世主”だ。と、私は思う。しかし、驕ってはいけない。“救世主”だからといって何時までも“救世主”のままでいてはいけない。「チョウニチ(朝日)」にしろ「毎日」にしろ、「読売」にしろ、その他の全ての“偏向マスメディア”がもし自らの非を認め(あり得ないことではあるが)「正論」をバンバン語りだしたら、その時こそは「産経」が「偽論」を“おしゃべり”し始めなければならない。
2007.11.28.snkei.03 ものごとには“相対原理”が働いている。白色があっての黒色であり、男性がいて女性がいる。もちろん逆も真なり。「偽論」があって「正論」が成り立つ。そして際立つ。だから“偏向マスメディア”が改心したら涙をこらえ“悪者(悪魔)”にならなければならない。その時こそ産経は「事実を歪曲し真実を捏造して虚報さえも臆面もなく堂々と公共の電波なり紙面を使って喧伝」するべきだ。それまでは是非とも孤独な戦いをすすめて欲しい。「正論」をバンバン撃ち放してもらいたい。
 産経が「偽論」を語りだす、そのような日が一日でも早く訪れて欲しい。その時こそ日本が「まともな国」に生まれ変われる秋(とき)である。

 以上、少し“逆説”が過ぎたであろうか。少し、反省。

 本日は風邪気味で頭が“ボー”としている。頭が“ボー”としている方が何故かキータッチが軽い。尚、以上の“つぶやき”には私の“偏見”が多く含まれている(含まれていると思う。否、含まれていると思いたい)。“偏向マスメディア”も時には「正論」を語る時はある。そのことだけは認めよう。しかし少なくとも「従軍慰安婦」で「“チョウニチ(朝日)」が、「百人斬り」で「金魚の糞の“毎日”」が国民に対して真摯な謝罪をしない限り個人的には“偏見”を持ち続けるつもりでいる。

凡人の独り言 | 【2007-11-28(Wed) 20:14:17】
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二人の同志
 注文していた「夫婦純愛」がやっと入荷した。昨夜取りに行って(自宅近くのコンビニへ)、一気に読了してしまった。
 決して大そうなことが書かれているわけではない。しかし、読み始めたら止められなくなってしまった。タイトルは「夫婦純愛」だが「台湾独立の同志、周英明と金美齢」の方がそのタイトルとしては似つかわしいような気もする。

夫婦純愛 夫婦純愛
金 美齢 (2007/10/16)
小学館

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中華民国は中国国民党の傀儡国家だ!
台湾は独立すべきだ!

ということを改めて考えさせられる著作であった。

関連投稿; “金美齢さん” “日本人の覚悟”

“二人の同志”の続きを読む>>
凡人の独り言 | 【2007-11-28(Wed) 18:29:56】
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野口健氏
 何か感動した。いい話(“野口健氏と靖国神社”)だと思う。“素直な心”が表されている。
 “野口健”氏のことは知ってはいたが「…私はヒマラヤ遠征の前には必ず、先の大戦で亡くなられた方々に祈りをささげに訪れる。…」とか「…以来私は、靖国神社の参拝も大事だが、それ以前に戦争で日本のために亡くなられた方々の遺骨を収集し、弔うことが必要だと強く感じた。…」等の野口氏の“生き様”は知らなかった。
 “自然と対峙している”からだろうか、それとも“死を見つめて生きている”からであろうか、その“素直な心”に感服した。そういえば“白石康次郎”氏も“素直な心”の持ち主のように私には見受けられる。矢張り自然と対峙しているからだろうか、死を見つめながら生きている所為なのであろうか、その目の輝きは人を魅了する。
 いっそのこと“日教組・文部省が仕切る学校教育”は止めて“理念”ではなく“自然”のなかで子供たちを育ててはどうか。その方がまともな子供たちが育つような気がする。少なくとも“祖先を敬い日本を愛する”ことが出来る当たり前の“良識(常識)”を持った子供たちは育つであろう。

 “一燈照隅”の管理人さんには感謝する。「美しい話」を有難う。それにしても「一燈照隅」とは素晴らしいいタイトルだ。拙ブログの“あすなろおじさんのつぶやき”とは雲泥の差がある。

 因みに、何処かで聞いた言葉ではあるが詳しくは知らなかったので「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」を調べてみた。矢張り奥が深い。

慣用句辞典より
一燈照隅、万燈照国(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく) 一つの燈は一つの隅しか照らせないが、多くの燈が集まれば、点が線になり線が面になり、国全体を照らすであろうということ。 出典:伝教大師(=最澄)の言葉と言われる。 ★「一燈照隅、万燈遍照」は、安岡正篤がこれを準(なぞら)えて言ったもの。


“安岡正篤「一日一言」”より

「一燈照隅・萬燈遍照」
(安岡正篤『青年の大成』(致知出版社刊)より)

◇   ◇   ◇

安岡正篤先生は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。
青年を相手に語られた先生の言葉に耳を傾けてみましょう。

おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。

なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのかーーとよく考える人がある。大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。

つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。

それよりも、自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。



つれづれなるままに | 【2007-11-27(Tue) 19:24:27】
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世界は腹黒い
 先日、ネットで購入した高山正之氏の著作“世界は腹黒い”を読み進めている。

世界は腹黒い―異見自在 世界は腹黒い―異見自在
高山 正之 (2004/11)
高木書房

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 読み進めているうちに「?」と思った。“タイトル”は違うから何か私の勘違いか、とも思ったが、余りにも私の拙い記憶に引っかかる文面が多いので、怪訝に思いながら本棚から一冊の本を探し出してきた。タイトルは“異見自在―世界はみんな腹黒い”。

異見自在―世界はみんな腹黒い 異見自在―世界はみんな腹黒い
高山 正之 (2000/12)
PHP研究所

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 確かにタイトルは違う。今回購入した高山氏の著作は“世界は腹黒い―異見自在”である。

 ということで、一度読んだ本(コラム)を読み返すことになった。但しその数は「58コラム」。
 “異見自在”には1998年1月24日~2000年7月29日までの「58コラム」が掲載されており、対して“世界はみんな腹黒い”の方は1998年1月10日~2003年4月15日までの「163コラム」が掲載されている。また、“まえがき”等によれば、高山氏執筆の“異見自在”の「全てのコラム」が掲載されているらしいので、高山氏ファンの私としては「105(163-58)コラム」も“新しいコラム”が読めるのだから決して後悔することはない。
 しかし、2000年7月29日以降のコラムを取り上げて“異見自在 パート2”にでもすれば良かったのにとも思うが、“以降”は「36コラム」しかないのだから仕方がないであろう。出版社も商売である。「36コラム」では単行本として少しボリュームが少な過ぎる。それに“一度ボツになったコラム”を加えてみても何か魅力に欠ける。だとすれば、改めて追加執筆を高山氏にお願いするか、頭を使って他の方策を考えなければいけない。
 高山氏も忙しかろう。頭を使うのも面倒であろう。
 結果、二段組で字が小さくなり一部の人たち(シニアグラス利用者)には読み難くなったとしても、「全コラムを掲載」すればそれ相応の価値はあると見込んで“異見自在―世界はみんな腹黒い”ではなく“世界はみんな腹黒い―異見自在”のタイトルで出版に踏み切ったのであろう。出版社には一冊でも多くの売上を“コストをかけずに”上げなければならない至上命令がある。「出版社は腹黒い」などとは決して考えないことにしよう。

 何れにしろ、先の“ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ”とは違って帯の文面は素晴らしい。“帯の裏面”ではあるが、以下の販促文面には頭が下がる。読んだ記憶が微かにあるので本文中からの“転載”だとは思うが、これでは買わずにはいられなくなる。帯の文言に絆されて買ってしまったようなものだ。要は、単純なのである、私は。

今の日本を悪くしているのは無能な官僚や政治家だ。
しかし最も悪いのは新聞だ。
彼らは中国や韓国と組んで、嘘を書き、
そのくせ河野洋平の愚行は書かない。



凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 18:45:47】
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屋山太郎さん
2007.11.26.snkei.01 私の尊敬する方のお一人である。但し結構長い間、「お・く・や・ま たろう」さんだと思っていた。「や・や・ま たろう」さんとは“別人”だと考えていた。お恥ずかしい限りである。
 何故このような“正論”を語る政治評論家が注目されないのだろうと怪訝に思っていたが、何のことは無い、私が間違って名前を覚えていただけである。「や・や・ま たろう」さんだったら時々マスコミにも登場している。「や・や・ま たろう」さんがマスメディアに登場する度に「似たような名前の人がいるものだなぁ」と思っていた自分が恥ずかしい。間違いは素直に認めよう。そしてごめんなさい「や・や・ま」さん。
 結構、このような“勘違い”は数多い。世の中の軋轢は殆どがこのような“勘違い”によって引き起こされている。何も言い訳をしようというのではないが、言い訳に聞こえるのならばこれまた謝るしかない。或いは勘違いすることが私だけの性癖ならば甘んじて一身に非難も受けようが、決してそうともいえないであろう。勘違いは人間としての、否、生物としての“性(さが)”である。
2007.11.26.snkei.02 要は、“勘違いすること”を前提として自らの行動を律しなければいけない。これが一つの人間として生まれてきたからには守らなければいけない大切な行動原理であろう。「天下りや渡りを禁止するようだと官僚に成り手がなくなる」等と言い訳をするのはもっての外だ。
 私も人間の端くれである。だからこそ沢山の“勘違い”はする。しかし「や・や・ま」さんを「お・く・や・ま」さんと勘違いすることはまだ“可愛い勘違い”ではないであろうか。勘違いには「可愛い勘違い」「可愛くない勘違い」がある。「可愛い勘違い」ならば余り他人様には迷惑を掛けることはない。己自身が損をするだけだ。しかし「可愛くない勘違い」の場合は他人様に沢山の迷惑を掛けてしまう。「公務員の勘違い」もその一つの代表的な例になろう。
2007.11.26.snkei.03 そもそも国家官僚も含め「公務員」とは何なのであろうか。このことの理解なくして“勘違い”もへったくりも見えてこないが、少なくとも“公務員は国民の僕(しもべ)”であることだけは間違いない。“僕(しもべ)”が嫌ならば私利私欲を追究して“民間”に勤めれば良い。もし“成り手がいなくなる”と言うならば、言う前に先ずは辞めてもらおう。その上で“公務員(官僚)の成り手”が本当にいなくなれば、その時は“天下りや渡り”を大っぴらに解禁して頭を下げて“可愛くない勘違いをした公務員(官僚)”になってもらおう。それはそれでいたし方がない。
 しかし、である。“公務員が僕(しもべ)である”ことには変わりはない。“僕(しもべ)”とは“尽くす人”のことである。では誰に対して“尽くす”のか。それは“ご主人様”に対して“尽くす”のである。身を粉にして自らの私利私欲に囚われず“ご主人様”の為を想い、誠心誠意尽くすのが“僕(しもべ)”たる者の務めである。だからこそ“僕(しもべ)”はご主人様から信頼され感謝の誠と共に敬愛の対象ともなり得る。それが自らの“僕(しもべ)”たる役割を「勘違い」してしまったのではご主人様から信頼されず嫌悪の気持ちを抱かれてしまったとしても、それは自業自得であり因果応報である。
 先ずは“成り手がいなくなる”等と“論理のすり替え”をすることなく、「公益」よりも「私益」、「国益」よりも「省益」という“自らの「勘違い」を糺(ただ)す”ことが先決だ。“僕(しもべ)”は「ご主人さま=国民」に仕える者であり、決して「私益」、「省益」に奉仕するものではない。そのような「可愛くない勘違い」は断固是正するべきだ。
 私も自らの勘違いを素直に認めて反省し、これからは「や・や・ま」さんと間違いなく呼べるよう努力していくことにする。

凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 00:20:30】
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正論
久しぶりに“この国は少し変だ!”を訪れてみた。感激した。余りにも純粋な正論に。

「日本が嫌いなら日本から出て行け!」


しかし、日本…

…だから、怒る時は怒らねばならないのだ!それを はしたない?!だとか、日本人らしく無い!だとか。まずは論理的に説明をして彼らが何か因縁をつけて来たら怒ってもいいけど・・・・・などと言っていては、恐らく効果は無い!数千人に対して20人で訴えるには、そのような戦法は何の効果も無い。

既存の保守派の方々は騙されているのだ。日本らしくない!と言われ続けられ!そんな奴らの世論誘導を見抜けぬか!

全身の血を逆流させ怒りをあらわにして絶叫するのだ!日本から出て行け~!と


 返す言葉がない。“見抜けない”わけではないが、“言挙げ”を嫌う日本人の“美徳(DNA)”を憾(うら)むばかりである。
 しかし私は“火病”に罹りたくはない。伝染されたくない。結構難しいところだ。「美しい国」の日本人の一人としては。
 そもそも“言挙げ”を嫌うのが日本文明の美徳だとしても、戦後多く見られる“自虐的な失語症”“日本文明が培った美徳”なのであろうか。私には寧ろ、先の大戦で「怒った為に酷い目に遭わされたトラウマ」が我々を“怒れなくさせている”のではないかと考えるようになって来ている。
 だとすれば、彼の国のように“狂ったように”叫ぶことは必要はない。ただトラウマから解放されれば済むことである。日本を“日本人の心”を取り戻せばすむことである。しかし、これが厄介だ。「日本の心」は風前の灯である。逆風を吹かせなければならない。そのことの方が先決のような気がする。
 確かに言葉で言うのは簡単だ。しかし、実行は難しい。私自身未だに「日本の心」を捜し求め彷徨い続けている。情けない。そして、哀しいことである。

凡人の独り言 | 【2007-11-27(Tue) 00:12:31】
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Moonlight Sonata
 急に“月光の曲”が聴きたくなった。お気に入りのバックハウスの演奏を聴いている。ユーチューブには“バックハウスの月光の演奏” はなかったが、色々な動画がアップされている。有名どころではケンプの演奏。
 矢張り私には上品過ぎる。個人的に思い描くベートーベンとは違ってしまう。私はベートーベンのピアノソナタはバックハウスかギリレスの演奏が好きだ。要は感性の問題。ただそれだけのこと。
 以前、ピリスの演奏を聴きに行ったことがある。確か“紀尾井ホール”。“紀尾井ホール”にはコンサートグランドピアノは似合わない。その広さからして鍵盤楽器ではチェンバロが精一杯だと思う。会場の音響設備の所為もあろうが、二度とピリスのベートーベンは聴きたくないと思ってしまった。その時演奏していたのは“熱情”。私には反逆のベートーベンとしか聴こえなかった。余りにも繊細なピリス自身の演奏スタイルに対する、ピリス自身の反逆の演奏だったのであろう。
 人はなかなか安住の地を見つけられない。欲深い存在である。おそらく彷徨っていたのであろう。余りにも完璧にモーツアルトなりシューベルトを演奏してしまったので。私の感性はそのようにあの夜のピリスの“熱情”の演奏を結論付けている。
 本当に聴衆とは勝手なものだ。自らは“ネコふんじゃった”でさえも満足に弾けないくせに、勝手なことばかり言っている。才能がなくてよかった。ピアノが弾けなくて良かった。勝手なことを言っていられるのだから。凡人は幸せである。
 それにしても面白い“月光の曲”である。弦楽合奏、合唱つき?まるでレクイエムのようだ。

Moonlight Sonata


Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 1
Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 2
Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 3

Beethoven's Tempest Sonata mvt. 1 -- Wilhelm Kempff
Beethoven's Tempest Sonata mvt. 2 -- Wilhelm Kempff
Beethoven's Tempest Sonata mvt. 3 -- Wilhelm Kempff


つれづれの音楽 | 【2007-11-26(Mon) 21:20:03】
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中国人の本質2
 ついつい書き(打ち?)写したくなってしまった。“中国人の本質”である。“ボケ防止の為”と自らに言い聞かせ、キーボードを叩くことにする。

日本人の覚悟 (WAC BUNKO 65) 日本人の覚悟 (WAC BUNKO 65)
金 美齢 (2007/07)
ワック

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P240「上有政策、下有対策」の中国社会より

 …勝つためには手段を選ばない。スポーツの世界だけではなく、これは一般的な傾向である。中国の「老百姓」(庶民)にとって、お上はいまだかつて信頼に耐える存在ではない。「上有政策、下有対策(お上に政策あらば、下々には対策あり)」は悠久なる歴史を通じて培われた信条である。人治で朝令暮改の社会を生き延びるためには、お上の決めたルールなぞ面従腹背が当たり前。今日はヒーローでも明日は吊るし上げの対象になりかねない。国際的なルールも間隙を縫って実利を求めるのが利口なやり口。違反も見つからなければ良い。強きを助け、弱きをくじくのが善なのだ。…


日本に生まれてよかったと、つくづく想う。

関連投稿; “中国人の本質” “日本人の覚悟” “中国の本性”

凡人の独り言 | 【2007-11-26(Mon) 19:24:03】
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さくらへの想い
 驚いた。“博士の独り言”にリンクを貼ってもらった。“博士”にリンクを貼ってもらえるような私は“草莽の志士”ではない。お恥ずかしい限りである。
 ただ、“草莽の志士”に“な・ら・な・け・れ・ば・い・け・な・い”、とは思ってはいるがまだまだ力不足である。
 私が“博士の独り言”を訪れるようになった切っ掛けは「パラオの桜と英霊」の記事であった。ブログを始めて未だ間もない頃、偶然に“博士の独り言”に出逢った。そして涙した。デジタルの文面に生まれて初めて涙したのである。その後度々訪れることになり、都度“博士”の文面に心打たれることが多くなってきた。見ず知らずの、しかも魑魅魍魎が跋扈するデジタルの世界での心に響く文言に驚愕を覚えながら、自らの至らなさを反省する日々が続いている。
 全ての投稿を読んでいるわけではないが博士は私よりは年齢のお若い方のように見受けられる。しかし、年齢などはどうでもよいことだ。素直にその“博識”に、そして“心意気”に敬意を表させていただく。
 “博士の独り言”の応援団の一員にしか過ぎない私ではあるけれども、今後の“博士”のご活躍に期待する。

“パラオの桜と英霊”より一部転載

…やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」  
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…

船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。


これが「日本人の心」である。

 一部の他国が、捏造をもとにいかに非難しようとも、建国以来、幾多の先人、幾多の英霊がもたらした恩恵によって、日本の今日がある。先人、英霊が自らの命と引き換えに、守り育てた国土に我々は生まれ、生活している。

 そして、我々が今守るべきもの、後代に伝えるべきものは何か。その明確なる答えを、先人、英霊は教えている。


これが「日本人としての心構え」である。

凡人の独り言 | 【2007-11-26(Mon) 18:08:11】
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藤岡信勝氏の正論

11月22日付産経新聞(Net View)より
“msn産経ニュース”

sankei2007.11.22.03 「率直に申し上げます。このまま推移するなら、福田首相と渡海文科大臣はあの悪名高い「近隣諸国条項」を推進した宮沢官房長官と同じ、拭(ぬぐ)いがたい汚点の刻印を文教行政に刻んだ政治家としてその名前を後世に記憶されることになります。」
 「教科書会社各社は早速、検定意見をつけられた5社7冊のみならず検定意見をつけられなかった1社1冊までもが便乗して、11月上旬までに訂正申請を提出しました。」
この訂正申請が承認されるなら、文科省が一度つけた「沖縄戦の実態について誤解を与える表現である」という検定意見は完全に否定され、検定前よりもさらにあくどい反軍イデオロギーに基づく歴史の虚構が教科書に載ることになります。目の前でこのような歴史の再偽造が行われ子供に提供されるのを見るのは到底耐えられません。
sankei2007.11.22.04「第1に、実数2万人以下の沖縄県民大会が「11万人」と誤報された直後に方針転換したことです。「集会で歴史を書き換えさせる」という前例をつくることは法治国家の基礎を揺るがす最悪の「政治介入」です。
「…しかし、教科用図書検定規則第13条に定められた訂正申請制度の趣旨は、検定終了時点から使用開始にいたる約1年の間に発見された誤記・誤植・脱字などについて教科書会社からの訂正申請を認めるもので、検定意見を否定するような訂正は認められていません。「学習上の支障」というこじつけで検定意見を否定する訂正申請をさせているのです。」「…本来、訂正申請の審査はあくまで検定意見の範囲内で行われるべきもの…」「…検定意見撤回運動を推進してきた特定勢力…」「…日本史小委員会の特別委員またはヒアリングに少なくとも秦郁彦、中村粲、曽野綾子の諸氏など集団自決問題に見識と実績のある学者・研究者・作家をくわえねばなりません。…」


 まさに「正論」である、と思う。世の中(多数のマスコミ等)がおかしいのか、藤岡氏がおかしいのか、はたまた私がおかしいのか…。
 “一部のマスコミ・政治家・市民団体、etc.”がおかしいのは分っているが、「正論」がおかしく思われる世の中は、矢張り“おかしい”のではないであろうか。当たり前のことが忘れ去られようとしている。ある意味、怖い世の中である。“現在の民主主義”の世の中は。

沖縄集団自決 | 【2007-11-26(Mon) 17:59:37】
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進歩的文化人の実相
 二つほど投稿し忘れていた“つぶやき”があった。この“進歩的文化人の実相”と“藤岡信勝氏の正論”である。少し時を逸してはいるが“つぶやき”がもったいないので投稿することにする。

sankei2007.11.21.03  私は“大江健三郎氏”が嫌いである。たとえ“権威あるノーベル賞”の受賞者であろうとも嫌いである。そもそも個人的には大江氏が“ノーベル賞”を受賞した時点で“ノーベル賞”そのものへの信頼を失ってしまった。勿論“ノーベル賞”への信頼の欠如はそれだけの理由ではないが、こと“文学賞”に関していえば大江氏個人よりも“翻訳者”を称賛するべきである。相当に“誤訳や意訳”をしてくれたのであろう。そうでなければ、あのように“講演”や“論考(コメント等)”で偏見に満ちた言質を弄する“文化人”が“ノーベル賞”を受賞できる筈がない。中国や一部の共産(全体)主義国家には受け入れられても、現代の民主主義的価値を標榜する自由主義の国々では受け入れられるわけがない。
 何れにしろ、大江氏の講演や論考をたまたま聴いたり見たり読んだりする限りにおいては、このような考えを持ってしまう。おそらく“偏見”であろう。先ずはそう思うことにする。少なくとも今回の“大江裁判”の経緯(いきさつ)を忘れることが出来ればの話ではあるが。
 ともかく私は大江氏の著作は殆ど読んだことはないので、今度、読んでみようと思う。余り気は進まぬが。
2007.11.21.snkei.04 大江氏とは違いもう一人のノーベル文学賞受賞者である“川端康成氏”は私の大好きな作家の一人である。川端氏の小説の中には失われてしまった“日本の心”が鏤められている。矢張り「美しい日本の私」の心意気を持って書かれた作品と「あいまいな日本の私」が書いた作品では雲泥の差が出てきても当然のことなのかもしれない。とはいっても川端氏の作品は結構読んではいるが大江氏の作品は殆ど読んだことがないのだから、これまた“偏見”といわれてもいたし方がない。しかし、今般の大江裁判での本人の答弁を読んでみると矢張りその根底には「美しくない日本の私」の観点から「美しくない日本人」を垣間見るようで進んでその著作を読んでみようとはどうしても思えなくなってしまう。大江氏は今の私にとって忌むべき「卑怯」「潔く」ない「進歩的文化人」の代表的な一人として感じられてしまう。
2007.11.21.snkei.05 まさに、その答弁は「良心の欠けた不誠実な弁明」であり「美しくない日本の私」である。矢張り「あいまいな日本の私」は必然的に「美しくない日本の私」を形作ってしまうのであろう。
 私は川端氏が言うような「美しい日本の私」でありたいと願う。そして事実は将にその通りであると信ずる。勿論、“私が美しい”というのではなく「日本は美しい」ということだ。せっかく「美しい日本」に生まれたのだから後は「美しい私」になれるよう頑張るだけだ。何も無理やり「美しくない日本の私」になることもないであろうに、結構、“変質者”は多くいる。今の日本には。返す返すも忸怩たる思いで私の心は満杯である。
 実際に裁判を傍聴された秦氏は「もしこうした語り口が法廷戦術の一環だとしても、これほど非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない長口舌に接した経験は私にはない。」と述べられている。
 矢張り“進歩的文化人”はただ者ではない。日本人でありながら日本人ではなくなってしまっているようだ。「卑怯」で「潔く」なく「詭弁家」ある。まるで世界に不幸を撒き散らす(散らしている)「マルキスト」や「原理(≒全体)主義者」のようである。

沖縄集団自決 | 【2007-11-26(Mon) 17:58:03】
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スティーブ・フラハティ
2007.11.25.yosiaki 良い本だ。“良書”だと思う。多くの人に読んでもらいたいとも思う。
 私がこの本を手にしたのは“偶然”である。ネットで他の本を検索していて、そのタイトル「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」に心惹かれ、思わず購入してしまった。読んでみて感動を覚えた。久しぶりに涙した。
 「没後38年を経て紡がれる数奇な運命と絆の物語」とその“帯の背”に内容を簡潔に紹介した文面があるが、返す返す残念なのがその“帯の表”にある“推薦文”である。
 個人的な好き嫌いはあるにしても、“その余りにも稚拙な文面”に呆れかえってしまった。これでは売れる本も売れなくなってしまうのではないかと心配になってしまう。はたして出版元の担当者は何を考えているのであろうか。この推薦人、そして推薦文では“販売促進”どころか“販売抑制”になってしまうと思うのだが、そのように思うのは私だけであろうか。

ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ
面高 直子 (2007/08/01)
講談社

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 確かに本を読んで受ける印象(感想)は人それぞれであるとは思う。そしてその感想(印象)にとやかくは言いたくないが、このような推薦文ではせっかくの名著も台無しである。品位が貶められてしまう。少なくとも私の場合は書店でこの著書を目にしていたら“その推薦文”を読んで、棚に戻し、購入することはなかったであろう。本当に本との出会いは不思議である。兎にも角にもネットでの出会いでよかった。お陰で感動を得ることが出来たのだから。
 また、本の“帯の表”に『「誇り高き日本人」の感動秘話』と、日の丸を模したデザインと併用され記されているが、これでは余りにも“ヨシアキ氏”をバカにしている。内容を読めば分るように、もし“ヨシアキ氏”のことを少しでも想う気持ちがあるのならば『「誇り高きアメリカ人」の感動秘話』とするべきだ。天下の“講談社”の感性を疑ってしまう。
 この著作の解説は「数奇な運命と絆の物語」だけで十分だ。それだけで後はタイトルの「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」「スティーブ・フラハティ氏の写真」が全てを物語ってくれていると思う。

 著者の面高直子さん(面高昌義氏)、そしてスティーブ・フラハティ氏に関わりを持った全ての人たちに感謝する。感動をありがとう。

つれづれなるままに | 【2007-11-25(Sun) 17:13:34】
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官僚の詭弁(言い逃れ)2
 平成19年9月19日提出の「東京宣言と日ソ共同宣言の内容に関する質問主意書」
 鈴木宗男議員は頑張っている。矢張り政府答弁は“詭弁(言い逃れ)”としてしか読み取れない。そもそも“官僚”“言い逃れ(詭弁)”天才秀才である。

詭弁(きべん);1.道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。「―を弄(ろう)する」/2.《sophism》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。

平成十九年九月十九日提出
質問第三〇号

東京宣言と日ソ共同宣言の内容に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男

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東京宣言と日ソ共同宣言の内容に関する質問主意書

一 一九九三年十月、日露関係に関する東京宣言(以下、「東京宣言」という。)が当時の細川護熙内閣総理大臣とエリツィン・ロシア大統領によって署名されたが、「東京宣言」が署名された時に駐ロシア日本国大使、外務省欧亜局長、ロシア課長を務めていた人物の氏名を明らかにされたい。
二 一の三名は、「東京宣言」作成においてどのような役割を果たしたか。
三 「東京宣言」に「日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識を共有し、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行った。双方は、この問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきことに合意する。」との文言があるが、右文言からは、日ロ間での歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島の帰属のあり方について、論理的には四対〇、三対一、二対二、一対三、〇対四の五通りの帰属の可能性が読み取れると思料するが、政府も同様の認識を有しているか。
四 一九五六年十月に署名された日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(以下、「日ソ共同宣言」という。)に「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」との文言があるが、少なくとも歯舞、色丹の二島の日本への引き渡しを決めた「日ソ共同宣言」と、歯舞、色丹の日本への引き渡しについて何ら言及されず、右二島を含め、北方四島すべてが帰属の交渉の対象になると決めた「東京宣言」は、北方四島の我が国への返還を図る上で、我が国にとって後退であると受け取れるのではないかと思料するが、政府の見解如何。
五 「日ソ共同宣言」も「東京宣言」も、日ソもしくは日ロ両国の国会において承認を受けているものと承知するが、四で述べたように、「日ソ共同宣言」と「東京宣言」は内容において矛盾するものではないか。政府の見解如何。

 右質問する。


平成十九年十月二日受領
答弁第三〇号

  内閣衆質一六八第三〇号
  平成十九年十月二日

内閣総理大臣 福田康夫

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員鈴木宗男君提出東京宣言と日ソ共同宣言の内容に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

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衆議院議員鈴木宗男君提出東京宣言と日ソ共同宣言の内容に関する質問に対する答弁書

一及び二について

 お尋ねのロシア連邦駐箚特命全権大使、外務省欧亜局長、同局ロシア課長の氏名は、それぞれ枝村純郎、野村一成、西田恒夫である。これらの者は、それぞれの職務に応じ、千九百九十三年十月十三日付けの日露関係に関する東京宣言(以下「東京宣言」という。)の準備を行った。

三から五までについて

 東京宣言は、北方領土問題が択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題であることを明確に位置付けた上で、この問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決するというロシア連邦との間の平和条約の締結に関する交渉(以下「交渉」という。)の指針を明確に示したものである。ここで言う「両国の間で合意の上作成された諸文書」には、両国が批准した日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(昭和三十一年条約第二十号。以下「日ソ共同宣言」という。)が当然に含まれており、東京宣言と日ソ共同宣言の内容に矛盾はなく、また、東京宣言の採択が御指摘のような交渉の後退を意味するとは考えていない。いずれにせよ、政府としては、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して、ロシア連邦との間で平和条約を締結する考えであるが、北方領土問題については、我が国とロシア連邦との間で交渉を行っているところであり、北方四島の帰属の問題に関する具体的な解決策について政府としてお答えすることは差し控えたい。



北方領土 | 【2007-11-25(Sun) 14:31:28】
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官僚の詭弁(言い逃れ)
 以下の鈴木宗男議員提出の「一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書」に対する政府答弁書を読んでみると、「詭弁」という言葉が頭に浮かんできてしまう。おそらく、当たり前のことだとは思うが、この答弁は時の内閣総理大臣“小泉純一郎”の名でされてはいるが、「官僚」の作文であることは間違いあるまい。
 このような答弁しか出来ない「国家官僚」に何か寂しさを感じてしまう。何れにしろ「官僚」は、既に「四島返還」は諦めているようだ。否、諦めているというよりも“どちら(0~4島)”に転んでも“責任を回避”できるように懸命に答弁を書いている、ように私には読み取れる。
 本当に鈴木宗男議員、そして国民は「官僚」に真からバカにされているようだ。出来得るならば「官僚の皆々様方」には“一懸命”ではなく“一懸命”に仕事をしてもらいたい。一人の国民の小さな願いである。

質問本文情報

平成十八年二月十四日提出
質問第六九号

一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書

提出者  鈴木宗男

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一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書

一 平和条約締結の要件如何。
二 一九〇四年にモンテネグロ王国が日本に対して宣戦を布告したという事実はあるか。ポーツマス講和会議にモンテネグロ王国の代表は招かれたか。日本とモンテネグロ王国の戦争状態はどのような手続きをとって終了したか。
三 一九五六年の日ソ国交回復が平和条約という形をとらなかった理由如何。
四 一九五六年の日ソ共同宣言は法的拘束力をもつ国際条約か。
五 一九九三年の東京宣言は法的拘束力をもつ国際条約か。
六 一九五六年の日ソ共同宣言第九項後段では、「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」との文言があるが、「引き渡し」と「返還」は法的に同じ意味か。同じでないとするならば、法的にどのような違いがあるか。
七 一九五六年の日ソ共同宣言で、ソ連が平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の引き渡しについて合意したことをもって、歯舞群島、色丹島に対する日本の潜在主権が確認されたと解釈するのは妥当か。
八 一九五六年の日ソ共同宣言で、日本は歯舞群島と色丹島の二島返還で平和条約締結に合意したとの解釈は妥当か。
九 日本固有の領土である歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島に対する政府の要求は一九五六年の日ソ共同宣言のどの文言において担保されているか。

 右質問する。


答弁本文情報

平成十八年二月二十四日受領
答弁第六九号

  内閣衆質一六四第六九号
  平成十八年二月二十四日

内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

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衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対する答弁書

一について

 お尋ねの「平和条約締結の要件」がどのようなことを意味するのか必ずしも明らかではないが、一般にいう「平和条約」は、主として、戦争状態の終結、それに伴う領土問題の解決及び戦争賠償等に係る問題の解決等に関する事項を含むものであると承知している。

二について

 政府としては、千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。モンテネグロ国の全権委員は、御指摘のポーツマスにおいて行われた講和会議に参加していない。

三、四及び七から九までについて

 先の大戦後、我が国はソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連邦」という。)との間で平和条約の締結に関する交渉を行ったが、我が国固有の領土である択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島のうち、択捉島及び国後島の帰属の問題について合意に至らなかったため、法的拘束力を有する国際約束である日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(昭和三十一年条約第二十号。以下「日ソ共同宣言」という。)を締結することにより、日ソ間の国交を回復することとなった。
 お尋ねの「潜在主権が確認された」がどのようなことを意味するのか必ずしも明らかではないが、いずれにせよ、ソ連邦及びこれを承継したロシア連邦は、現在に至るまで択捉島及び国後島を含む北方四島を法的根拠なくして占拠してきているものである。日ソ共同宣言第九項においては、両国が「平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」と明記されており、政府としては、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して、ロシア連邦との間で平和条約を締結する考えである。

五について

 千九百九十三年十月十三日付けの日露関係に関する東京宣言は、法的拘束力を有する国際約束ではない。

六について

 日ソ共同宣言第九項にいう「引き渡す」とは、単なる物理的な占有の移転を意味するものと解している。「返還」については、様々な文脈で用いられるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。



北方領土 | 【2007-11-25(Sun) 00:12:23】
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左翼の論法
 本日(24日)の“博士の独り言”に興味を惹く引用記事(藤岡信勝氏)が掲載されていた。「論理のすり替え」とは何か、どのように行われているのか、を説明する為の好材料と思われる。

先ずは「左翼の行動原理」 

左翼は熱心に電話をかけ、集会・デモをやり、マスコミに働きかけ、政治家を動かし、官僚に圧力をかけます。…


次に「論理のすり替えの実相」

従来集団自決に軍命令があったと教科書に書かれてきたのは、『鉄の暴風』とそれを引き写した多数の出版物が、梅澤・赤松両隊長の「命令」を記述してきたからだ。それが、林氏の研究でも隊長命令がなかったとすれば、従来の教科書記述が修正されなければならないのは当然なのだ。だから、要するにこのあとは、「隊長命令説」を引っ込めて、いろいろな理屈をつけて、日本軍が集団自決を「強制」したと言いつくろうのである。林氏の発言を拾ってみよう。
 〈当日の部隊長命令の有無は、実はそれほど大事な問題ではありません〉〈いざとなったら死ぬことを日本軍によって住民が強制・誘導されていたことが「集団自決」問題の本質なのです〉〈本質的な問題は、軍命の有無ではなくて、軍による強制・誘導だったのです〉


そして「レトリックの実相」

 …沖縄タイムスはこれを2006年10月3日付けの一面トップで「米公文書に『軍命』」という見出しを付けて大々的に報道した。…

 しかし、右の沖縄タイムスの紙面に掲載されている英文を見ると、林氏の翻訳は不正確であり、意図的でもあることがわかる。関連する原文は次の通りである。Civilians, when interrogated, repeated that Japanese soldiers, on 21 March, had told the civilian population of Geruma to hide in the hills and commit suicide when the Americans landed.ここで林氏が「命令する」と解釈した単語は tell であって、order, command, direct, instruct のいずれでもないことに注意しなければならない。…〈即ち、敢えて「tell 人 to ~」の用法を使用している原文は、軍による自決命令の存在を否定することを示すものというべきなのである〉林氏は、むしろ「軍命令」でないことが明かな単語が使われていることをわざと無視して、あたかも「軍命令」があったかのように翻訳してみせたのだ。まともな学者のやることではない。


以上のように、「命令」から「強制・誘導」「論理のすり替え」を行い、「tell」「命令」と訳す「レトリック(=意図的な誤訳)」を「平然」と行う。 「11万人」という「虚報」さえも喧伝する。

その「目的」

日本軍を悪逆非道な存在として描くという目的のために…


 即ち、左翼にとっては事実・真実などはどうでもよい。自らの主張に合わせる為に事実・真実を歪曲し捏造する。そしてその為に「論理のすり替え」を行い「レトリック」を利用する。
 これらは明らかに日本人の価値観にはそぐわない。それは「卑怯」であり 「潔く」無い。だから私は左翼(共産主義者・マルキスト)が嫌いである。

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沖縄集団自決 | 【2007-11-24(Sat) 18:52:32】
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「最後通牒」の記事
2007.11.24.snkei.01 「今さら」、という気がしないでもない。しかし、未だに「だまし討ち」と米国側から罵られ非難され続けている以上、はっきりとした“真偽”を知りたいとは思う。
 何れにしろ、今の私は、“アメリカの歴史”“共産主義の歴史”を見つめれば分るように「日本が時代の策謀に嵌った」と考えるようになっている。そのように考えるようになった経緯について今ここで一言では言い表せないが、戦後の「日本悪玉史観」に囚われることなく、真摯に歴史を紐解けば、自ずと導かれる結論であると考える。
 現在の日本を形作っている歴史観は「日本悪玉史観」のみならず「マルクス的唯物史観」や「白人優越史観」、即ちその身近な元凶は「東京裁判史観」に辿りつくことになるのかもしれないが、戦後の日本では余りにも歴史を歪めて見つめ過ぎてきているように思える。以前にも“つぶやいた”ことがあるが、それはひとえに「敗戦利得者達」の策略(陰謀)である。
2007.11.24.snkei.02 今ここで歴史を見つめ直すことは決して無駄にはならないであろう。否、寧ろ、必要でさえある。自国の歴史を卑下し、自ら貶めている限りにおいて日本は“まともな独立国”になることはない。何時まで経っても“戦勝国の被保護国”であり続けることになる。それでよしとするならば話は別だが、それでは多くの先達に対して顔向けが出来ない。
 親の汚名を濯ぐのは子の務めであろう。何時までも汚名の下に自らの安住を謳歌していたのでは日本人としてのDNAが許さない。「和を以って尊しとなす」が日本文明の礎であるならば、「誠の心」も日本人としての歴史が培った大切な行動原理である。このことを確りと理解したうえで歴史を見つめ直すことが大切である。「日本の心、日本人の心」の理解なくして歴史を結論づけることは現代人の傲慢以外の何ものでもない。そこからは“真実”は決して見えてこない。怖れることなく“事実”を見つめ“真実”を掴み取ることこそ、より良き未来を築き上げる為には必要である。
 ここで“怖れることなく”とわざわざ言葉にしたのは、結論から言わせてもらえば、「戦争の真の原因は私たち一人一人の心の中にある」、と考えているからである。
 このことの説明は容易ではない。要は、その真の責任は、“軍部”でも“官僚”でも“政治家”でも“マスコミ”でも“日本”でも“中国”でも“ロシア”でも“ドイツ”でも“イギリス”でも“アメリカ”でもない。“人間文明”が具え持つ“業(ごう)”であり“性(さが)”である。したがって“人間”そのものが変わらない限り、“人間性”が変化しない限り、“人間が人間でなくならない限り”、忌むべき戦争が“人間社会”から消え去ることは無い。

 やれやれ、“つぶやく”ことがだんだん(どんどん)厄介になってきた。また別の機会に“つぶやく”ことにしよう。

 結論、“最後通牒”は“取るに足りない問題”でもある。
 真に争い(戦争)の無い平和な世の中を望むのならば視点を大きく広げなければならない。矮小化した(された)事実からは“真実”は見えてこない。“真実”が見えてこなければ“同じ間違い”を繰り返すだけだ。現に今も“間違い(争い・戦争)”は世界のあちらこちらで繰り返され続けている。
 先ずは“一国平和主義の幻想”から覚醒することが必要であろう。我が国、日本としては。
 
 等などと、兎にも角にも色々なことを考えさせてくれる“最後通牒の記事”であった。

※平成19年11月24日付産経新聞(Net View)より

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大東亜戦争 | 【2007-11-24(Sat) 16:40:36】
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北方領土の“国際的”な取り決め
 以前に“少し批判”はしたものの“独立行政法人北方領土問題対策協会”のホームページ“四島(しま)のかけはし”に分りやすくその“国際的な取り決めの経緯”が知るされていた。
 “独立行政法人の問題”は少し“棚上げ”にして、今後とも参考にさせていただくことにする。(他の参考サイト; 内閣府外務省北海道

 1855年(安政元年)「日露通好条約」が結ばれました。
  この条約で両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定め、ウルップ島より北につらなる千島列島はロシア領と定められました。択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本の領土であることが、この条約によってロシアとの間で法的に確定したのです。
hoppouryoudo.a


1875年(明治8年)、日本はロシアと「樺太千島交換条約」を結び、千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄しました。
 この条約には、譲り受ける千島列島としてシュムシュ島からウルップ島までの18の島の名前をあげています。このことは歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島が、千島列島には入らないことを物語っています。
hoppouryoudo.b


(日露戦争後の)1905年(明治38年)、日本とロシアは「ポーツマス条約」を結び、南樺太が日本領となりました。
hoppouryoudo.c


第2次世界大戦後の1951年(昭和26年)「サン・フランシスコ平和条約」が結ばれ、日本は千島列島・南樺太を放棄しましたが、日本が放棄した千島列島とは、ウルップ島より北の島のことで、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島はその中に含まれていません。
hoppouryoudo.d


◎国際条約(法)上、「」は「日本領土」、「赤(桃)」は「ロシア領土」、そして「(無色)」は【 “帰属”が定められていない 】。(“日本の領土”でも“ロシアの領土”でもない)

1956年(昭和31年)、「日ソ共同宣言」
1960年(昭和35年)、ソ連は対日覚書を発出し、日ソ共同宣言第9項を一方的に否定
1973年(昭和48年)、日ソ共同声明
1991年(平成3年4月)、日ソ共同声明
1993年(平成5年)、「東京宣言」
1997年(平成9年)、クラスノヤルスク首脳会談
1998年(平成10年)、川奈首脳会談
1998年(平成10年)、モスクワ宣言
2000年9月プーチン大統領の訪日 平和条約問題に関する両首脳の声明
2001年3月イルクーツク声明
2003年1月小泉総理の訪露
2003年5月小泉総理の訪露(サンクトペテルブルク建都300周年記念行事)
2004年6月シーアイランド・サミットにおける日露首脳会談
2004年11月APEC首脳会議における日露首脳会談
2005年1月町村外務大臣の訪露(日露外相会談)
2005年5月小泉総理の訪露(第二次大戦終了60周年記念式典)
2005年5月ラヴロフ外務大臣の訪日
2005年6月森前総理の訪露
2005年6月イラク支援国際会議における日露外相会談
2005年7月グレンイーグルズ・サミットにおける日露首脳会談
2005年9月国連総会における日露外相会談
2005年11月プーチン大統領の訪日
(参考;外務省:“北方領土の経緯”)関連投稿;“ロシア(旧ソビエト)の本性”

結局、日本は弄(もてあそ)ばれている。

※注;弄(もてあそ)ぶ;弄(なぶ)る、弄(いじ)る/1.手で持って遊ぶ。いじくる。2.人をなぐさみものにする。3.思うままにあやつる。4.慰めるものとして愛好する。 関連語;翻弄、愚弄、etc.(参考;“増殖漢字辞典”

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北方領土 | 【2007-11-23(Fri) 17:17:15】
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屈中外交
産経新聞(Net View)より(“msn産経ニュース”
2007.11.23.snkei.012007.11.23.snkei.02

またか、日本!何をかいわんや。
“戦後レジュームからの脱却”は遥かなる夢と消え去るのか。
私には“国益”よりも“党益”としか思えない。
“事なかれ主義”、そして“問題の棚上げ”は日本外交の「美徳」か?
“棚上げ”されて有余年。
“北方領土”は半世紀以上。
“領土問題”と“歴史問題”と“拉致問題”
“棚上げ”は何時まで続くのか。
一世紀、二世紀、三世紀?
そんなに広く丈夫な“棚”はもう要らない。

いい加減にして欲しい。


凡人の独り言 | 【2007-11-23(Fri) 13:41:37】
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